春が来た。黄色い花咲く季節に、アヤカはふらりと寄った町で、動物園に来ていた。
当てもなくふらふらと旅するように彷徨う今の生活を、アヤカはそれなりに気に入っていた。知らない町で出会う人々や街並みを、知らない世界を知る喜びを。あの短く濃密な出会いと別れが、アヤカをほんの少しだけ前向きに変えたことは一目瞭然だった。そうして少しだけ変わった自分を、アヤカは嫌いではなかった。
優しい風が、生き物たちの生きている気配を運ぶ。ともすれば人間よりも短い時間を、こうして檻に囲われて過ごす彼らの幸せを図る天秤をアヤカは持ち合わせていない。幸福を決めるのはいつだって外側の人間ではなく、本人だけなのだと知ってしまったから。肩にかかる荷物の重さに、続けてきた旅の長さを感じながら、アヤカはふとひとつの檻の前で立ち止った。
『キングペンギン』と掲げられた札の奥に、佇まいが絵になる一匹のペンギンが立っていた。
別名、オウサマペンギン。頭の両側にある鮮やかな赤みがかった斑紋、喉から胸に走る黄色から橙に変わるグラデーションに、ひどく懐かしさを刺激された。スラリと佇む姿は思わず目を奪われてしまう程に美しく、その姿の美しさがキングペンギンの特徴だと、説明板には刻まれていた。
「……あんたは、何処にでもいるんだね」
その名前も、その立ち姿からも、なんだか随分既視感があって、思わずアヤカは笑ってしまう。こうして旅をするようになってから、アヤカはありとあらゆるところであの男のおもかげを見つけるようになった。それは朝日が昇る空だったり、焼き立てのパンにだったり、誰かの笑顔だったりした。今日はどうやらそれがこの檻の前だったらしい。人のまばらな平日の動物園では、こうしてアヤカが檻の前を陣取っていても文句を言われることもない。行儀が悪いと知りながら、柵に頬杖をついて目を細めた。
いつか出会ったときに、「あなたと似たペンギンを見たんだよ」って伝えたらどんな顔をするだろうか。獅子と評されることの多かった男だ。「ぺ、ペンギン…? 獅子とか、獣とかではなくか?」と困惑するだろうか。それとも「アヤカがそういうなら、そうなんだろうな! 俺もそのペンギンとやらを一度見てみたい!」と好奇心溢れる瞳を輝かせるだろうか。どっちもありそうだ。
アヤカの人生を変えた男は、確かにあの日跡形もなく光の粒になって空気に溶けた。けれど、共に過ごした七日間の記憶が今日もアヤカの中に息づいている。あの男を構成していた光の粒は、空気に溶けて、世界に散って、そうしてふとした瞬間に顔を出すのだ。まるでアヤカがひとりでこの世界に生きているのではないと言い聞かせるように、アヤカがこの世界で生きていてさみしくないように。消えてからも世話焼きな男の置き土産を、こうして搔き集めるためにアヤカは旅していると言っても過言ではなかった。
今日も今日とて、男のおもかげをひとつ胸に書き留めたアヤカは、肩からずり下がった荷物を背負い直す。いつかの土産話にこの話をしてやろうと心に決めて。頭上では、男の髪色によく似たミモザがこぼれるように咲いていた。