「あのさぁ……」
整備室から出るなり、カートは低く押し殺した声を漏らした。
お疲れ、と振り向いたマックスが吹き出す。
「っえ、どーしちゃったの? カート、いやカートちゃん? キキちゃん?」
「殺すぞ」
キキちゃん、とはイニシャルがKの女の子の一般的な愛称のようなものだ。わざわざ言い換えてまで揶揄ってくるマックスに憮然として言い返せば、奥の社長席に座るジェーンが目線を寄越してにやりと笑う。
「案外似合うじゃないか、キキちゃん」
「……これ訴えたら勝てんだろ」
「うちより良い再就職先を見つけてから言うんだな」
半笑いですげなくあしらわれ、カートは目を眇めて黙った。
それを言われると弱い。弱くはあるが、流石にこれはないだろ、とは思わざるを得なかった。
「……なんで女型の機体しか用意してねーんすか……」
ぶつぶつと零せば、ジェーンがあのなあと肩を竦める。
「今日の依頼であんな派手な破損があると思わないだろ。それにうちの陸軍ボディのスペア備品は一体。丁度先日、お前の後輩が一機使ったとこで在庫は未入荷だ。運とお前の教育が悪かったな」
「くっそ……」
分かってはいる。会社は良くやってくれている。そもそも、サイボーグが破損したからといって即日で代替ボディを貸してくれる会社など、軍でもなければどれほどあるだろう。
頭では分かっていても、カートは収まりのつかない気持ちに口元のランプを光らせた。
「だからって、女型セクサロイドの中古品じゃなくても良いだろ……」
呟けば、隣で喉を押さえていたマックスがとうとう腹を抱えてくの字に折れた。
「笑ってんじゃねえよ最悪すぎだろ……」
「いや可愛いよキキちゃん、どう? 俺と今夜」
「本当に殺していいか?」
今や唯一自前のものとなってしまった顔でにらめば、うわぁ顔はいつものカートなんだよなあ、と笑いながらマックスが言う。
「もうマジでなんなんだよ、最悪だろ……」
しゃがみ込めば、ジェーンがまあまあととりなした。
「そう言うな、明日の夜にはちゃんとお前の体用のパーツが到着する。明日は休みにしてやるから大人しく家で寝てればいい」
この社長、尊大ながら結局のところ手厚く、優しいのだ。カートもそうまで言われ、臨時で休みまで貰えば文句も無くなってしまう。
「……っす、ミスってすいませんした」
と頭を下げれば、
「依頼は完了しただろ? 良くやったな」
と眉を下げて笑った。
会社ともひと段落つき、今のカートにできることは人目につかないようにいち早く家に帰り、明日の夜まで籠城することだけだ。一日外に出ずに済むように食料だけ買って、じゃああそこだけ寄るか、嫌だけど、と考え始めれば、ふと横のマックスが棒立ちで黙っていることに気づく。
嫌な予感がして立ち上がれば、案の定録画機能を起動しているマックスを見て、カートは溜め息をついた。
「お前マジでやめろって」
「いや、記念に? でも実際イケてるよ、カート」
「そりゃこの機体がだろ」
会社の倉庫に転がって埃を被っていた中古のセクサロイドという最悪の状態だが、一応専用機だけあってプロポーションは申し分ない。カートの頭部をくっつけられても等身の高さでなんとか違和感を相殺しているその機体は女性にしては背が高く、普段通りではなくとも十センチ程度しか違わないだろう。現実的な程よく引き締まった生身の女性の体を再現しており、モデル体型好みの開発者がさぞ凝って作ったのだろうと思わせる出来だ。
「低身長巨乳系じゃなくてよかったじゃん。普通にカッコいいよ」
「まっっっじでそれ……」
その光景を想像して大きく溜め息をついたカートを、マックスが面白そうに眺める。無貌ながらありありと表情が窺える相棒の視線に目を眇めていると、マックスがふと思いついたように手を上げた。
「あ、てかチハルちゃんに送っていい?」
「良いわけなくね!?」
座り込んでいたカートが思わず立ち上がる。声が音割れするほどの大声に、ジェーンが迷惑げに顔を顰めた。しかしカートとしては、いかに畏怖の対象であるジェーンが目の前で怒ったとしても優先して阻止すべき事柄だ。
「絶っ対やめろ。マジで見られたくない。おま、これマジ。マジで」
動揺を隠しきれないカートが、慌ててマックスに詰め寄る。
「お前マジなに考えてんの? ありえねえ、ほんと」
「うわすごい怒るじゃん」
「怒るに決まってんだろ」
マックスがどうどう、と手を振って笑う。
「えーだって超良い反応しそうじゃない? 面白がってくれそう」
「面白いとこ見せてどうすんだよ」
「今日あったことを報告しあうのもたまには良いんじゃない? どうせたいして連絡も送ってないんでしょ」
図星を突かれ、カートは憮然として腕を組んだ。両腕が自身のものになってしまった胸に当たる。うわ柔らか、ノーブラじゃん、そりゃそうかと反射的に眉を顰めながら、マックスに返事する。
「別に今日じゃなくて良いだろ、絶対」
「え〜、でもチハルちゃん、後から知ったら絶対見たかった〜って言うよ」
「……言いそうだけど」
カートとしては、全然見られたくない。意中の女の子に、自分がミスをしてこんな情けない格好になっていることを知られたい男がどこにいるだろう。
チハルとの出会いは、とある任務中に勾留された先の警察署だった。そこでなんだかんだとトラブルに見舞われながら生還を果たし、その時のメンバーとはくだんのチハル主導で季節に一回集まるような仲だ。その中でじわじわとチハルに惚れていったカートは、なんとか彼女にアプローチをするべく隙を窺っているのだった。目下、どこまで仲良くなれば二人きりで誘ってキモくないか、など考えながら、集まった時にちまちまと話しかける回数を増やしているだけだが。
「良いじゃん、なにもしないより記憶に残った方がいいって。なんならビデオ通話する? 久々に顔見たくない?」
「……」
魅力的な誘いに閉口する。カートの突飛な状況に、チハルがどんな反応をするのか見たくないと言えば嘘になる。チハルの笑顔は可愛いのだ。こうなれば爆笑でもいい。やばーいキモい、とかでも全然いい。冷笑だけはちょっと厳しいがそういうタイプではないと信じたい。
「……笑ってくれると思う?」
「チハルちゃんノリいいし大丈夫でしょ」
ついに呆れた顔のジェーンに、お前ら外でやれよ、と釘を刺されて廊下に移動する。じゃあかけるよ、とマックスがピコポを操作すれば、三回目のコールでぷつんと音声が繋がった。
「もしもしぃ?」
記憶通りの可憐な声に、カートの胸が高鳴る。三十路に近くなっても学生みたいに好きな子の声だけでときめく自分が怖い、とカートは胸中で溜め息を吐いた。
カメラをオフにしているのか画面は暗いままで、どうしたの〜、と間延びした声が響く。
「チハルお風呂上がりだしすっぴんだから、ビデオむりだよぉ」
あまりにも無防備な発言にカートがぎくりとしていると、マックスが話し始める。
「あ〜そっか、大丈夫。お疲れチハルちゃん。夜にごめんね〜」
「いいよぉ、今なんもしてないし」
「時間ある? よかった。ほんと一瞬でいいんだけどさ、チハルちゃんに見せたいものがあって」
「え〜なに?」
もう寝るだけと言ったところだろうか、いつもより少し落ち着いたトーンの声を聞き逃すまいと黙るカートをよそに、マックスがこのくらいの方がわかるかな、などと言いながら画角を測り始める。ようやく位置を決めたマックスがよし、と頷いた。
「画面越しでわかるかな〜、今から外カメラにするから見ててね、チハルちゃん」
「うん? うん、わかったぁ」
わざわざ勿体をつけたマックスが、じゃーん、と言いながらボタンを押す。
一瞬の沈黙の後、チハルの大声がスピーカー越しに音割れして聞こえた。
「えーっ!?」
期待通りの良いリアクションを見せてくれるチハルに、カートの表情が思わず緩む。
「久しぶり」
こんな状況でも、彼女が自分だけに注目しているのは嬉しいものだと知る。カートが小さく手を振れば、興奮冷めやらぬチハルの声が応える。
「久しぶり〜! えっほんとにカートくんだ! 妹さんかと思った!」
「俺なんだよ、残念だけど」
状況を知らない人間から見れば、女装より先によく似た他人の可能性が第一候補に上がる程度には頭と身体は馴染んでいるらしい。カートが複雑な気持ちでいると、チハルの感嘆したような声が続く。
「え〜なんか、似合うね!」
「それあんま嬉しくないかも」
カートが目を眇めれば、チハルがけらけらと笑う。
「そうなの? 好きでしてるのかと思った」
「あの、マジで違う」
さっそく女装趣味だと勘違いされてはたまらない。カートが簡単に経緯を説明すれば、チハルは大変じゃん、と笑いながらも状況を素直に飲み込んでくれたようだった。明るい笑い声に、カートの心境もずいぶん明るくなる。
「明日の夜までそれなんだ?」
「まあね」
ふ〜ん、と返答を受けたチハルが、一拍後にじゃあさ、と口を開く。
「今夜パジャマパーティーできるじゃん!」
「……え?」
予想していなかった発言に、カートは目を見開いて固まった。説明を求める余裕もないカートの代わりに、カメラ係に徹していたマックスが口を挟む。
「えっと、えーとそれ俺も行っていいやつ?」
カートほどではないにせよ、同じく動揺しているマックスがとりあえず返した言葉に、チハルがなに言ってるの、と返事する。
「え? 男の子はだめだよ、一緒に寝るんだから」
当然のように断られ、マックスの双眸が瞬いた。
「カートはいいの?」
「うん、だって今だけ女の子なんでしょ?」
「そう、まあ、そうかも」
小さく首を傾げたマックスから、カートに視線が送られる。任せる、と言わんばかりの雰囲気に、カートは意見が固まらないまま会話を引き取った。
「あ〜……あのさ、まあ身体は女だけど、中身は俺だよ」
噛んで含めるように言い聞かせるが、チハルはうん、と当然のように相槌を打つ。
「いつもじゃできないでしょ? 今やらなきゃもったいなくない?」
「……そう?」
チハルがあまりにも自信を持って断定するので、カートは俺が意識しすぎなんかな、と口には出さないが首を傾げた。
「いやチハルちゃん、一緒に寝るとかはやばくね、夜に男を家に上げんのも、よくないし。危機感持って」
「え、だから今日やるんじゃん! いっつもはできないから今日やろうよ」
「え……そういうもん……?」
カートが口ごもれば、チハルの声が一段階低くなる。
「あ、ごめん、もしかして彼女さんとかいる? そしたら、女子会っぽい感じでもまずいよね」
声を顰めるように言われる。カートは慌てて首を振った。
「いないいない」
「あ、ほんと? よかったー」
否定すれば可愛い声が呑気に喜んでいて、まじこれチハルちゃんどういう気持ち? なんも考えてない? なさそ、とカートの脳が鈍く回転する。こんな状況で、ただチハルがパジャマパーティー女子会好きなわけでないなら、こんなに脈アリなセリフもないのだが。思わず黙っていると、チハルがねーえ、と甘い声で呼びかけた。
「今日来れない? チハルんちでしようよ。マキナ用にサイボーグのお菓子とか飲み物も買ってあるし、寝れる服で来てくれたらなんも持ってこなくていいよ」
その誘惑に、倫理と欲の間で揺れるカートが低い声で呟く。
「……行っていいの、チハルちゃんち」
とうとう言ってしまえば、チハルの弾んだ声が届く。
「来れる? 来て来て! うちの住所わかる⁉︎」
嬉しそうな声に、カートは目をゆったりと細めた。前送ったとこでしょ、わかるよ、と告げれば、チハルがおっけー、待ってるね、と返事する。
「じゃあ、準備しとくから! いつでも来てねっ」
その言葉と共に通話が切れる。緩慢に顔を覆ったカートに、マックスが声を掛ける。
「……行くんだ」
「行くだろ……チハルちゃんちに呼ばれてんだぞ……」
あっさりと欲に降伏した男を目の前に、マックスはそうだよねえと相槌を打った。六人で遊んだあと、カートがチハルを送っていった日といえば相当前だ。その一回きりで家の場所を正確に覚えている健気なカートを眺める。
「いいことあるといいね」
「……あっちゃダメだろ」
まだ好きとも言ってねえし、とカートが低い声で呟く。マックスはそうだねえと形式だけの返事をして、すっかり細くなってしまったカートの背を軽く叩いた。
車を近くの駐車場に停めて、カートはチハルの住むアパートの階段を登った。
深呼吸などしてからインターホンを鳴らせば、一拍置いて金具の音が聞こえ、そのままドアが開く。
「いらっしゃい〜! 迷わなかった?」
躊躇いもなくドアを開けたチハルは、カートが十センチほど縮もうとなお小さくて可愛い。カートは大きな目で自分を見上げる彼女をじっと眺めた。
「……誰か確認してから開けんと危ないよ」
「え〜、大丈夫だよそんなの。カートくんって意外と心配性なんだ」
可愛いから心配、などとても言える関係性の自信はない。ふっと笑うチハルの瞳を見返して
「んなこともねえけど。普通だろ」
と誤魔化す。チハルは気にもしていない様子で、片足だけ突っかけたサンダルから足を抜いた。
「上がって上がって。てか虫入るから早く閉めてー」
「ハイ」
お邪魔します、と一声掛けて玄関を入りドアを閉めれば、土間を上がって待っているチハルと、狭い空間でいよいよ二人きりだ。
「……パジャマパーティーって言ってたけど、他に誰か呼んでたりは?」
「誰もいないよぉ。さすがにその状況だし、言わずに呼ばないって」
可笑げに笑うチハルに、まあ、そうか、と相槌を打って靴を脱ぐ。足を上げただけで簡単に脱げる様子を見ていたチハルがそっか、とカートを見上げる。
「足のサイズとかも変わってるんだね」
「体まるごと取っ替えてるからね」
「そっかあ。なんか分かってても不思議な感じ。マキナはボディ変えてもあんまり服とか足のサイズは変えないからさあ」
その