「なあ、ここって飯くえるとこ? ケーキとかしかねえんじゃねえの?」
ファンシーな外観の建物を見上げ、帝統が不満げに声を上げた。タイミングを見計らったように、大きな腹の音が鳴る。乱数はあははっと笑って帝統の脇腹をつついた。
「もー、食いしん坊さんっ!だいじょーぶだよ、ちゃんとフードメニューもあるから!」
「それが心配なんだっての。腹にたまんねえカフェメニューしかねえなら、俺帰るからな」
「えー、帝統ってばひどいよー。いっぱい頼めばいいじゃん。ボクのおごりなんだから文句言わないのっ!」
「んー、まあ、それもそうだな」
帝統と同じく店の装飾を眺めていた幻太郎は、横目で二人をちらりと見た。
「……乱数がいいならそれはそれでいいですが……しかし、乱数はともかく小生と帝統が入るには、いささか可愛らしすぎやしませんかねえ。もともと女性客を対象としたお店なのでは?」
「ボクの仲良しのオネーさんがやってるところだからねー。この外観はオネーさんの趣味だと思うよ。かっわいいよねえ! さ、入ろっか!」
「人の話聞いてます?」
幻太郎の抗議を背中で聞き流し、乱数はぴょんぴょんと三段ほどしかない小さな階段を上ってドアを開けた。ろろろん、と変わった音の鈴の音がする。ほう、と頭上の鈴に目を遣りながら幻太郎が入店すると、帝統も周りを見回しながら後に続いてきた。
店は大きくはないが、その分奥に向かって長く、狭苦しい感じはしない。カラーリングはさすが乱数の知り合いの店だけあってティファニーブルーと甘いピンクを基調とした目が覚めるような配色具合だが、カーテンや壁の装飾、テーブルクロスなどにオフホワイトのきめの細かいレースがふんだんに使ってあるので品のない印象は受けなかった。そんな徹底した少女趣味の空間に、ソファーとテーブルが数セットと、その横にキャットタワーやハンモックなどが置かれており、どのテーブルからも猫が数匹は見えるようになっている。
「なるほど、こうなっているんですね、猫カフェとやらは」
「猫と飯食って楽しいか?」
「これ、やめなさい。聞こえますよ」
幻太郎が帝統と二人、ぼそぼそと話していると、一歩奥に入って店主と歓談していた乱数がぐりんっと振り向いた。
「ねえねえ、好きな子一匹選んで一緒に座っていいんだって! どの子にする? 二人のタイプはどんな子かなあ? ボクはねー、どうしよっかなー」
乱数の奥で女店主がにこにこと笑っている。この店の雰囲気からすると少し意外にも思える、大人しそうな黒髪の眼鏡の女性だ。少女趣味というのは得てしてそういうものだろうか。
乱数ははしゃいだように両手で丸を作って双眼鏡のように目に当て、ぴょこぴょこと背伸びを繰り返した。
「うーんみんなかわいい!」
「乱数、そんなに動いていてちゃんと見えているんですか?」
「だいじょーび! 最後は直感で選ぶからっ!」
「見ていないじゃないですか」
軽口をたたきながら漫然とキャットタワーのほうを向いていた幻太郎は、こちらをじっと見ている猫がいることに気づいて口を閉じた。店の一番奥のタワーの一番上で前足を揃えて座っている真っ白い猫が、微動だにせずこちらを見ている。瞳は大きく見開かれており、そのままぴくりとも動かない。猫の表情というものは分からないが、こうまばたきもせずに凝視されると睨まれているようにも見える。
「……猫ってまばたきしないんでしたっけ」
「は? 何言ってんだよ、急に」
「いえ……あれ、あの奥の……本物ですよね?」
怪訝そうにこちらに顔を向けた帝統に首を振り、幻太郎は猫を指さして女店主に話しかけた。彼女は猫に目を遣って、ええ、と頷いてから目を細めて笑った。
「珍しいですよ。あの子、普段は全然愛想が無くてお客様が入ってきてもこちらに見向きもしないんです。でも、さすがに夢野先生には反応するんですね」
幻太郎は猫を差していた指を自分に向けた。店主がくすくすと笑う。
「あの子、夢野先生のファンなんですよ。テレビや何かで、いつも熱心に見てますよ」
「はあ? 猫だろ、そんなことあんの?」
「ええまあ……。ほら、帝統くんの周りにも」
その言葉に下を向くと、帝統の足元に数匹の猫が集まってきていた。帝統が「うおっ」と驚いて足を引くと、さらに詰め寄ってくる。
「まじかよ。どうすりゃいいんだ、これ」
「テーブルに連れていけるのは一匹なので、どの子か選んであげてください。他のところにいる子でも、もちろんいいですよ」
「んなこと言われてもなあ」
ぶちぶちと言いながらも、帝統はしゃがみ込んで足元の猫たちを構い始めた。足にすり寄るもの、手にじゃれつくもの、背中によじ登ろうとするもの様々である。
「おや、モテモテですね、帝統」
「お前もだろ。まだ見てるぞ、あいつ」
「そうですねえ……」
幻太郎がじっと見つめると、白猫はびくりと震えて固まり、やがてそろそろと身を低くしてうずくまった。目を落として下を向いているが、細い尻尾はゆらゆらと揺れている。その様子が面白くて観察していると、たまにちらりと顔がこちらを向き、視線が合ったかと思うとまた逸らされた。淡いレモン色の瞳が、室内灯を反射してゼリーのように光る。
猫の態度を見た店主が、あらあらと口の中で呟いた。眉を下げて幻太郎の顔色を窺う。
「ごめんなさい、人見知りなんですよ、あの子。もっとすぐに慣れる子もいるから、最初は扱いやすい子のほうがいいかも」
「いえ。近くに行っても?」
「もちろんいいですけど……引っ掻くことがあるので、お気をつけて。夢野先生なら大丈夫かもしれないですけど」
どうも、と返事をして、幻太郎はゆっくりと歩み出た。偶然か店主が取り計らったものか、店内に他の客はいない。店内の猫もたった三人の客に興味深々なのか、足元にちょろちょろと他の猫が寄ってくるのを蹴らないように、ゆっくりと足を下ろさなければならなかった。
カツン、カツンと幻太郎のブーツが鳴るごとに、白猫がしっぽをぴくりと動かしているのが見て取れる。猫の生態には詳しくないが、意識はこちらに向きつづけているような雰囲気がある。幻太郎はキャットタワーの前に止まると、そっと「こんにちは」と声を掛けた。至近距離に来た為、目線よりも若干高い位置にあるタワーの最上部の様子は見ることができない。何となしにそのままの位置に立ち尽くしていると、すこしの無音の後、キャットタワーの上から微かな鳴き声が聞こえた。
「……お返事ですか?」
生まれたての子猫のような鳴き声がどこか頼りなさげで、幻太郎はふっと笑った。かし、かしと爪の音が聞こえ、白い前足と耳が覗く。手を伸ばそうとしたが、乳白色の爪を間近で見て思いとどまった。拒否されなければ連れて行こうかと思ったが、手など引っ掻かれては仕事に支障が出る。
どうしたものかと思っていると、もう一度小さな鳴き声が聞こえ、そろそろと猫が顔を出した。ほぼ真下にいる幻太郎は、その瞳に遠目に向けられていた視線とは違う印象を受けた。やわらかな黄色の瞳は、攻撃性を帯びているようには見えない。
「小生痛みに弱いんですよ。引っ掻かないでもらえると有難いんですが」
そう言いながら、右手をゆっくりと上げ、猫の顔近くに差し出してみる。猫は一瞬怯えたように身を縮めたが、幻太郎がそのまま動かずにいると、大きな瞳でぱしぱしとまばたきをしてからそっと首を伸ばした。幻太郎の手に顔を近づけ、匂いをかいだ後でふわりと頬を寄せる。幻太郎が指を動かさずに待っていると、小さく頬ずりをして、小さな口でちょんと人差し指の第二関節に触れた。幻太郎が指の甲で顎をなぞっても逃げる素振りはなく、そのまま顎の下を撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。
「よければ、一緒に食事でもいかがですか」
そう声を掛けて左手も伸ばし、猫の両脇に手を差し込む。猫はされるがままに持ち上げられ、幻太郎の腕の中に丸く収まった。頭を撫でれば目を細め、胸に頭をすり寄せてくる。慣れれば案外かわいらしい、と頬を緩めると、後ろから「幻太郎やっるー!」「よっ、ジゴロ!」と野次が飛んだ。
「誰がジゴロですか。不名誉極まりない」
「えー、だってうまーく口説いてたからさっ! 上手だね、ゲンタロっ!」
「口説いてません」
猫を手の中であやしながら乱数と帝統のほうを向くと、二人は店中の猫を寄せ集めてにゃあにゃあと囲まれていた。
「そちらのほうがよっぽどジゴロでは?」
ぼそりと呟くと、店主は頬に片手を当てて「ご指名いただく前からこんなに楽しんでいただいて、本当なら商売あがったりですわあ」と苦笑した。