「あ、左京。お前はこのまま帰るの禁止だからな」
――ヴォルフス主催のアクションワークショップの手伝いをしたのち。いつものように賄いを用意してくれた善に礼を言って帰ろうとする左京は、音もなく隣に寄ってきてするりと息をするように左京の腰に腕を回してきた善にそう言われ、固まった。
「あ……?」
「なんすか、それ」
先に店を出ようとしていた万里と臣が振り返って目を瞬かせる。万里は若干不機嫌そうに眉を寄せ、臣はあからさまに心配そうに眉をへにゃりと下げた。
そんな二人と自分の腕の中でこちらも眉を潜めている左京を交互に見、善は面白そうにふっと笑った。
「言葉通りだ。このあとあいつらが飲みに来るからな。そのゲストにお前を差し出そうかと思って」
「俺はつまみじゃないんだがな」
左京は善を見上げて抗議するが、その声には喜色を含まれていた。睦まじい様子の左京と善に万里と臣はますます眉を上へ下へと動かす。
「アポなしなんて、善さんたちズルくないっすか? おっさんも忙しいんだから」
「左京さんだけなんて、大丈夫ですか? 潰したりしないですか?」
万里と臣の心配と少しだけ嫉妬を含んだ視線に、善は目を細めて小さく微笑む。
「安心しろ。お前たちの左京はちゃんと無事に返してやるから」
「という訳で、今日は左京を無事に返すように」
善からの前置きに、「わっはっは!」と豪快に笑ったのは柊だ。
「秋組は新旧まとめて過保護なこった。そもそも、こんな宵の口も口の飲み会に心配する要素なんてねえだろうが」
「いやいや柊さん、夜の10時は普通に夜だから。うちの子たち、みんなすやすや夢の中だから」
「俺の息子もな。だからこうやって集まれるっていうのはあるが」
善の釘を笑い飛ばす柊に、霞と紘がツッコミを入れる。幼い子供がいる二人からすれば、今は深夜と言っても差し支えない感覚だ。そんな時間感覚に大いなる隔たりがある3人を眺めながら、雄三は隣に座る左京に「相変わらずうるせえだろ」と笑いながら同意を求めた。
「まあ、あんたらが揃って静かな訳はねえよな」
左京は若干肩を縮めながら手元にあったスパークリングワインを口に含む。柊が手土産に持ってきただけあって、口当たりが上品で、飲みやすさに反して度数が高かった。
「昔から何かにつけて飲んでたしな。稽古で怒られた記念とか、初日で失敗した記念とか」
「あーあったあった。左京もよく巻き込まれてたよなあ。酔っ払いに取っ捕まってグリグリされてよお……」
左京の思い出話に乗っかったら、「それ、雄三さんもよくやってたヤツだろ」と左京が呆れたように笑った。しかしその細められた紫水晶の瞳には懐かしむ色を宿している。それは他のメンツにも伝播して、それぞれが思い出を嗅ぐように酒を煽った。
「あの頃の左京くんはホンット可愛かったよねえ! 小っちゃくてちょっと意地っ張りで、でも俺たちの稽古をキラキラした目で見ててくれてさ……」
「そうそう! 時々こっそり真似てるのがあんまり可愛いもんで、稽古場に引っ張り出して色々ついて教えたっけなあ」
「団員たちとの稽古のあとだと、いつもより食う量が多くて安心したもんだ」
「芝居のことになるとクソ真面目なのは、あの頃から変わってねえなぁ」
霞・紘・善・柊のかつてのリーダーズの言葉に、左京の頬が微かに赤くなる。
「お、照れたのか? 左京の坊主」
「照れてなんかねえ!」
雄三がからかうと、キッと眉を吊り上げて怒る姿も、あの頃と変わらない。
あの頃の自分たちよりも年上になったというのに受ける印象が変わらないのは、きっとあの頃から左京の心の真ん中にあるものが変わっていないからだろう。それが単純に嬉しかった。それゆえ――全員のお酒がよく進む。気が付けばみんなほどよく出来上がっていた。
「ねーえ、左京くん。どうやったらこんなにお肌ツヤツヤになれるのぉ?」
酔った霞が左京の頬を両手で包み込む。ムニムニと手の平全体で頬を揉まれ、左京も顔を赤くする。が、昔から霞にはどうも強く出れない左京は振り払うこともできずされるがままだった。
「別に、大したことしてないですよ。坊が……うちの莇がそういうのに詳しいから、人より丁寧に出来てるだけだ」
「莇くんも、すーっごいお肌綺麗だもんねぇ。俺なんてカッサカサ……ほら、触ってみて」
「あ、おい」
今度は左京の手を掴んで自分の頬を触らせる霞に戸惑う左京だったが、やはり振り払うことはできない。指先に触れた霞の肌は確かに少し水分量が少ない気がするが、本人が言うほどかさついてはいなかった。
「カサカサでしょ? なかなかお肌に時間もお金もかけられなくってさぁ」
嘆く霞に、左京はふっと微笑んでその肌を指先で優しく撫でた。
「……そんなことねぇよ。霞さんの肌、綺麗だ」
「左京くん……!」
キュンと胸を高鳴らせる霞を見つめ、左京は微笑んだまま誘う。
「今度うちに来い。莇や雪白に見てもらやぁちったあいいアドバイスが聞けると思うぞ」
「行く……! 花束持って、行く……!」
「いや、花束はいらねえけど」
霞の相談がひと段落したと思えば、今度は雄三がやって来てずっと隣で笑っている。
「全くホントにこいつら変わらねえよなあ! はっはっは」
「雄三さんが笑い上戸なのも変わんねえけどな」
「んなこたねえだろ、お前らが面白いから笑いが止まらんだけだ。そういう左京の坊主はちゃんと飲んでるのか? おら、これ旨ぇから飲めって」
「ありがてぇがもう飲んでる。雄三さんはそろそろ水飲んだ方がいいんじゃねぇか」
「ああ? んな水臭ぇこと言うなって…………水だけに」
そう言ってげらげら笑っている雄三を呆れたように見つめる左京。
「雄三さん……おっさん化がひどくなってるぞ」
「誰がおっさんだ! お前だっておっさんって呼ばれるようになるんだからな!」
「…………安心しろ、もう呼ばれてる」
オヤジ化している雄三の元を逃げ出したと思ったら、今度は紘に絡まれた。
「なあ左京ぅ。子供ってどうやったら期限直してくれると思う……?」
「なんだ、息子さんと喧嘩でもしたのか?」
「うっうっうっ……実はこの前撮影スケジュールの変更で、息子が楽しみにしてた遊園地が行けなくなったんだ……その話をしたら、息子が怒っちまって……もう3日も口聞いてくれない……」
酔いが回った所為でもあるのだろうが、グズグズと鼻を鳴らす紘に左京は同情的な視線を向ける。
「それは……ご愁傷様だな。俺も、昔坊との約束破っちまって、1週間口どころか目も合わせてくれなくてな……あれは参った」
「! 左京にも分かるか、この気持ち!」
思わぬ賛同を受けられ、紘は鼻を赤くしたまま涙目で顔を輝かせる。
「辛いよなあ……! 大好きな息子に無視されるのって! でも、俺だって息子との遊園地楽しみにしてたんだぞ……でも仕方なかったんだ……俺のワガママで撮影スケジュール変える訳にもいかねえし」
「俺の場合は息子じゃないけど……そうだよな。紘さんも息子と仕事の板挟みで辛いよな」
左京の慰めるような優しい笑顔に、紘は思わず縋りついてしまった。
「左京ぉぉぉ! 分かってくれるのはお前だけだあああ! パパ仲間ぁぁぁ!!」
「苦し……っ!? 落ち着け紘さん。あと、俺はパパじゃねえ」
涙も鼻水も垂らしながら泣いている紘をどうしていいか分からず、左京は抱き締められたまま動けないでいた。そこへ、善がやってきてひょいっと左京を引き寄せると泣いて縋る紘に無理やり水を飲ませ机に沈めた。
「大丈夫か? 左京」
「あ、ああ……大丈夫だが……善さん、あんたも酔ってるな」
「ん? そんなことないだろ」
いつもと全く変わらない表情の善。だが、左京は半眼になって善を見つめて言った。
「あんた、酔ってるとやたら距離が近くなって触りたがるんだよ。今だってそうだろ」
左京は自分の腰に回された手の甲を軽く摘む。善はふっと微笑んで、左京の耳元に唇を寄せた。
「酔った俺は嫌いか?」
「っ! だから近いって!」
鼻先を掠める酒精は上品だがやはり強く、甘い重低音と合わさって左京は思わずくらりとしてしまう。それを支えるように善はグッと腰に回した腕に力を込めた。
「全く……本当にお前はいつでも細いな。ちゃんと飯食ってんのか」
「食ってるだろ! つか、さっきも今もここで食べてただろうが。何食っても筋肉になるあんたらと一緒にすんな」
壮年になっても一向に衰えることのない美しい肉体美を誇る善や秋組のメンツを思い浮かべながら抗議する左京。すると、それに乗っかってくる影が背後に現れた。
「そうだそうだ、お前ぇらみてぇな筋肉だるまと一緒にすんな。なあ、左京の坊主」
「っ! だから柊さんも近ぇ!」
背後から左京を抱き締めるように近寄ってきた柊はニコニコと楽しそうに微笑んでいて、左京と目が合うとグッと顔を近づけた。
「っやめろ! あんたまで酔っ払ってんのか」
「はは、俺がこの程度の酒で酔う訳ねぇだろ」
「あんた酔うとキス魔になるんだよっ!」
柊の美しいかんばせを押し返しながら抵抗する左京。柊は面白がって善から左京をひったくると左京を壁まで追い詰め、ドンと手をついて逃げ場をなくした。
「じゃあ、本当に酔ってるかどうか、キスして判断してくれや」
「どんな判断基準だ!?」
「いいだろ、可愛い左京の坊主……」
「うっ!」
目を細めてとろりとした視線をこちらに向ける柊は妖艶そのもので、立場も相まって左京は一瞬抵抗できなかった。その隙をついて柊は一気に距離を縮め、左京の唇に……届く前に、「やめろ」と冷静な声が割って入る。
「全く……遅れてきてみればなんて地獄絵図だ。情けない。なあ柊」
そこには、スーツ姿のレニが大きな皺を眉間に寄せて柊を睨んでいた。柊が不満そうに唇を尖らせる。
「麗仁、いいとこなんだから邪魔すんじゃねえよ」
「何がいいとこだ。柊、そう言うのを最近ではセクハラというんだ」
「パワハラの間違いじゃねぇのかい?」
「どちらにしろ自覚があるなら自重しろ、全くどいつもこいつも」
そう言いながらレニは子どもからおもちゃを取り上げるように柊から左京を引きはがした。
「あ、と。どうも」
何と反応していいのか戸惑う左京は、とりあえず頭を下げてみる。レニは「はあ」と大きめのため息をついて「別にお前の為じゃない」と言いながら少し庇うように左京を自分の背後に下がらせた。が、今度はその背後から「さきょーくーーーんーーー!!」と妙に伸びた声が迫ってくる。
「会いたかったよ、左京く……んん?」
「おい立花。お前は酔ってないのにどういう了見だ?」
声が左京に抱き着く直前、やはりレニが左京の居場所を器用に動かし抱き着くのを阻止した。そして影を見下して思い切り睨みつける。
「えー? だって、左京くんが珍しく俺たちの飲み会に顔出してくれるって聞いたから嬉しくてつい……」
「妻子のある男が気軽に他人に抱き着くな。しかも相手は娘の主宰する劇団の団員だぞ。もっと節度というか常識を持て。全くお前という奴は……」
「あっはっは! 幸夫さん、来て早々レニさんに怒られてやんの」
「雄三笑いすぎだよ。でも……くすくす、ホントあの二人の喧嘩を見てると和むなあ」
「おおーーん! 幸夫ーー! 来てくれたのかあ!」
「お前はうるさい。全く、遅れてくるのが主役とはいえ、遅れ過ぎだ二人とも」
「おうとも。お陰でみんなこんなに出来上がっちまってるぞ」
雄三・霞・紘・善・柊が笑いながら遅れてきたレニと幸夫を歓迎していた。その光景を見て、左京も我知らず微笑む。この空気が、大好きだった――一度は壊れかけ、蘇った気の置けない温かな空気。それをこの場で共有出来ている事実に、左京はゆっくりと目を閉じた。【終】
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