水木少年は特訓していた。
それは、あの、人ならざる者と話すための特訓であった。
毎日のように田中家に上がり込み、田中家にやってくる人ならざる者たちと話をする。話をするときのコツは「相手を理解しようとする」事だった。
今まで水木少年は彼らを「存在しない者」として扱おうとばかりしていた。しかし、それでは対話が出来ないのである。解ろうとする。そのたったワンアクションだけで少しずつ彼らの話す言葉を理解出来るようになってきたのであった。
初めに話せるようになったのは座敷童とだった。
彼女は田中家に居着いているようでいつもちょこんと部屋の隅に座っている。古めかしい振り袖を着て、フローリングのラグのない隅の床に黙って正座をしている。なんの害もないのでまずはこの子と話してみなさいと茶を飲みながら促したのは鬼太郎の父、ゲゲ郎だった。
「こんにちは」
水木少年は話しかける。最初はおっかなびっくりであった。ラグの上に正座する足が震える。それが声にも現れていたのだろう。やや後方から見ていたゲゲ郎も鬼太郎も互いに何やら目配せしていた。
「もっと親しみを持って話しかけるんじゃ。座敷童は良い妖怪なんじゃぞ?」
可愛い顔をしているじゃろ?
そう言われてよくよく見てみると、確かにくりっとした目が可愛らしい。そして不思議なことに、よく見ようとすればするほどその姿形がハッキリ見えるようで。まじまじと見た水木少年にはその座敷童のまつげまでも鮮明に見えるようになっていた。
「……そんなに、見ないでください」
まじまじと見る水木から顔を隠すように座敷童が両腕をあげる。古式ゆかしい真っ赤な振り袖は座敷童の小さな顔をすっぽりと覆い隠してしまう。
「こ、声! 聞こえた!」
「そうじゃろ? 解ろうとするだけで会話出来るようになるんじゃよ」
「すごい……」
「ほれ。なんでも良いから座敷童と話してみんか?」
部屋の隅で小さくなっている座敷童を指し示し、ゲゲ郎がそう促す。空になった湯飲みに鬼太郎が茶を注ぎ足していた。
水木はゴクリと唾を飲み込んだ。まさかこんな風に人ならざる者と話が出来るようになるなんて。何を話せば良いのか? そんなことはすぐには思いつかなかった。
「えっと……君は、なんでここに居るの?」
恐る恐る言った言葉はどうやら座敷童に伝わったようで。顔を隠していたその腕が、そぉっと下ろされ、まん丸の真っ黒な瞳が水木をじぃっと見つめるのだった。びぃ玉のような瞳が水木を映す。
「ここは、居心地がいいから……」
蚊の鳴くような小さな声だった。風でも吹いてしまえばその音で消されそうな。それでも確かに水木少年の耳に彼女の声が届いていた。それが水木には感動的で仕方がなかった。訊きたいことが次から次へと溢れてくる。
「いつから……ここに居るの?」
「ずっと前。この建物が建つ前の家からいるの」
水木少年よりももっと幼さそうに見える彼女が、水木が生まれるずっと前に建てられたこの団地の前の建物からこの地にいるなんて。まだ小学生だった水木少年には想像もつかない時の長さだった。
「あの木からいろんな妖怪が遊びに来るのよ。賑やかで楽しいわ」
座敷童も水木との会話を楽しみ始めたのかもしれない。彼女が指さしたのは角部屋の目の前にある大きな大きな木。確かそれはこの団地が建つ前からある樹齢の長いものらしい。あまりにも幹が太すぎて切り倒す方がお金がかかると処理出来なかったようだった。
「妖怪って、あの、透明な奴ら?」
「妖怪は妖怪。透明な奴らってのは地縛霊とかじゃないかしら?」
「幽霊って事?」
「幽霊族とはまた別……おやじ様、この子に何も教えてらっしゃらないの?」
今まで全くの平坦だった座敷童の声音が少しだけ咎めるように棘立った。その棘の矛先はどうやら水木にではなく、彼の後ろでのんびりと茶をすすっていたゲゲ郎に対しての様である。水木は座敷童の視線を追うようにゲゲ郎を振り返った。心配そうにゲゲ郎を見る鬼太郎とも視線が交わる。
「幽霊族とは太古の昔に絶滅しかけた者達のことを言う。水木が悩まされている霊とはまた別の存在じゃよ」
コトリと湯飲みがローテーブルに置かれる。
「そう。それで、この親子がその幽霊族の生き残り」
「は?」
すかさず言われた座敷童の言葉に、水木は思わずそう返していた。奇妙な親子だとは思っていたが、まさか彼らまで人ならざる者だったとは。だからゲゲ郎は大人なのに透明な奴らと会話出来るし、こうやって水木に彼らとの会話の仕方を伝授出来るのかもしれない。そう思ってしまえば、年がら年中素足に下駄を履いていることも、その手が普通の人よりもずっとひんやりとしていることも合点がいくような気がしていた。水木は、ハッと思い出す。初めて会ったときのこの『片目親子』に感じた恐怖感に似たような衝撃を。
「そうか、あんた達、人じゃないから初めて会ったときも違和感があったんだ」
「……それだけではないと思うがの」
二杯目の茶を飲みきったのか、ゲゲ郎が湯飲みの底を覗き込んでいる。そのくせ、鬼太郎に三杯目の茶を頼む気はなさそうである。窓の外の大きな木を見て、それからすぅっと水木を見るのだった。
外はもう夕闇だ。明かりも付けずに話していたので鬼太郎の表情もゲゲ郎の表情も薄暗くて見にくい。そうなってしまえば『片目親子』と気味悪がられる彼らの素の恐ろしさが匂い立つようだった。
「今日はもう帰ったほうがいいのではないか? 水木」
時計がどこにもない部屋を見渡して、それから水木は両親から持たされているスマートフォンを取り出した。確かにそろそろ母が帰ってくる時間だ。田中家に入り浸って特訓していることは誰にも内緒であるのだからそろそろ家に帰らなければ。母が帰ったときに水木が家に居なかったら秘密がバレてしまう。
「帰る。また明日来るよ」
「学校の帰りに寄るが良い。次は霊と話す練習をしようぞ?」
ゲゲ郎が緩く微笑んだように思えたが、水木には明確には見えていなかった。なぜならそれが本当に一瞬で、すぐに「ほれほれ」と玄関に追いやられてしまったから。座敷童への挨拶もそこそこに、水木は田中家の玄関へと押しやられる。急かされるままに玄関に並べてあった靴を履いた。
「水木はやはり筋が良い」
またの、と玄関で手を降られ、パタンとドアを閉められてしまう。鬼太郎に挨拶する暇もなかった。それに、水木に出されていたオレンジジュースも飲み残している。このやろ、と水木は閉じられた扉を睨み上げた。今までこんなにぞんざいに扱われたことがなかった水木少年はなんだか変に拍子抜けしてしまっていた。
「なんなんだ、ゲゲ郎のやつ……」
小さく呟いてからハッと周囲を見る。誰も水木の呟きを聞いてはいない。ゲゲ郎達が幽霊族の末裔だという事を信じるならば、きっとそれは周囲の普通の大人にはバレてはいけない事だろう。なにより、絶滅しかけている種の最後の二人だというのだから。幼い水木にもそんなことを大々的に公言して良いとは思えない。
それに、ゲゲ郎と水木が友のようにタメ語で話していることもナイショだ。そんなに仲が良いと思われて水木まで怪しまれるのはなんとなく良くない気がしていた。
ゲゲ郎と呼ぶのは外では止めよう。水木はその時からそう思い始めていた。
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水木少年の特訓
初公開日: 2025年09月12日
最終更新日: 2025年09月12日
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