長い昼寝から目覚めた紫苑はブランと竜胆を見て、「じいじとなかよくなったの?」と尋ねた。竜胆はにっこり笑って、「ああ、じいじもすっかりこの人のことが大好きになった」とブランの肩を叩く。なぜだか紫苑は胸を張って「むふー」と誇らしげにしていた。
「あのね、じいじ。もうひとり、ともだちがいる」
そう言って紫苑は抱きしめていたマクマを掲げる。「あっ」と思わずブランが声を上げた。
「おや……その子は私があげたテディベアだね。クマタロウ、だったかな」
「うん。いまはね、マクマっていうなまえなの。からだだけ、くまたろ」
「名前が変わったのかい?」
慌てたブランが「それも……説明します」と割って入る。
「この子のぬいぐるみに悪魔が憑りついたんです。ですがリンドウさん、悪い悪魔じゃありません。いや、悪い悪魔とか頭痛が痛いみたいだな……。本当に気のいい奴なんです。信じてやってください。この子にはマクマが必要なんです」
ぽかんとした竜胆が、「悪魔……って、動くのこれ」とマクマを指さした。ブランは頷き、「今は眠っていますが、動くし喋ります」と答える。さすがの竜胆も頭を掻いて考えている様子だったが、ふっと苦笑して「それは助かる。私も仕事をしているし、紫苑を見てくれる友達がいるのなら願ったりだ。この子が心を開く友達がいてよかった」と言った。ブランはほっとして、「ありがとうございます……本当に……」と感謝する。
「さて、夕飯にしよう。今夜はすき焼きだ。今日のために奮発したんだよ」
「すきやき!? きょう、なんのひ!?」
「シオンがじいじの家に無事たどり着いたお祝いと、お友達の歓迎だ」
「やったーっ」
ブランもすき焼きと聞いて、これはただ事じゃないなと思った。フロースト出身の|妻も一年に一度くらい「今日はすき焼きにしようか」と言った。大抵は誰かの誕生日や新年の祝いなどでしか食べられない料理だった。
そわそわしながら、ブランは「手伝います」と腰を浮かせる。
すると竜胆が睨みを利かせ、「客人は大人しく座っているように」と言った。
「……怒られちゃった」
「そっか……。シオンはおてつだいしてくるね」
「置いていくのか、僕を」
紫苑は困った顔をして、そっとマクマをブランの腕に抱かせる。「マクマといっしょにまってて」と言われ、ブランはマクマを見おろした。「台所で邪魔になりそうだと思われてるのかな」と問いかけてみたが、もちろんマクマは答えない。そんなマクマをぎゅっと抱きしめて、「早く元気になれよな。寂しいよ」とブランは呟いた。
目の前のちゃぶ台に鍋が置かれ、ブランは内心期待でワクワクしていた。蓋が開けられ、ぐつぐつと煮えた具材が見える。ブランと紫苑で「わーっ」と歓声を上げた。
「さあ、おあがりなさい。食べ方はわかるね?」と竜胆が微笑んでいる。
確か卵を割るんだったなと思い、用意されたお椀に生卵を割り入れた。卵を溶いて、鍋から具材をよそう。竜胆が紫苑の茶碗に具材をよそってやっていた。それから息を吹きかけて冷ましてやって、「まだ熱いから気をつけて」と紫苑に茶碗を差し出す。聞いているのかいないのか、紫苑は大急ぎで肉を頬張り「あついっ、おいしい! あついっ」と言った。
ブランも口いっぱいに頬張って、『あつい、おいしい、あつい、すごくおいしい』と内心で大騒ぎする。大人なので口には出さなかったが。
「美味しいです。すごく」
「それはよかった。十分に余るほどまだまだ具はあるから、たくさん召し上がれ」
「おかわり!」
「シオンも元気になってよかった。最近はあまり食欲がないようだったから」
竜胆もすき焼きを頬張って、「うん。奮発した甲斐があったな」と頷く。それからブランのお椀に盛って「さあ、もっと食べなさい。美味しいものをたくさん食べなさい、最後まで」と言った。
照れくさくて笑いながらブランは頭を下げる。
昔、妻に言われたことを思い出した。『よかった。あなたってちゃんと食べるのが好きなのね。それすら自分のためには楽しめなかったらどうしようと思った』と言って、彼女は腕まくりをしていた。『それなら私、あなたを幸せにできそうよ。私はね、美味しいものには一切手を抜かない国民の末裔なのよ』と。
夕食が終わると、竜胆が布団を敷きながら「本当に、やりたいことはないのかい」とブランに尋ねた。それは『この若者の願いを出来る限り叶えてやろう』という静かな覚悟を秘めた言葉だった。ブランも布団を敷きながら、「願わくば」と口を開く。
「シオンさんと出かけてもいいでしょうか。見せたいものがあって」
「最後まで孫と一緒にいてくれるのかい?」
「許されるのなら……そうしたいと思っています」
ふっと笑った竜胆は「そういうことではなかったのだが、そうか」と呟いた。それから紫苑に「ブランくんとお出かけするかい?」と訊く。紫苑は大きく「うんっ」と頷いた。
布団の上に寝転び、隣に眠る紫苑を見る。あんなに昼寝をしたのに、余程疲れているんだなと思った。その向こうには竜胆が、これまた規則正しい寝息を立てている。
竜胆は教師をやっているらしい。この島にも子供たちはたくさんいると言う。紫苑に友達がたくさんできるといいな、と目を閉じた。
色々なことを考えた。今まで時間はたくさんあったのに、こんな終わり際に足掻くように考えることになったのは、自分らしいと言えばらしいのかもしれない。答えなんてなくたってよかった人生なのに、今さら、何か答えを得てから死にたいと思ってしまった。そう思えてしまった。きっと今までに出会った人たちに、憧れを抱いたからだろう。