キツネはルビを伴ってエレベーターに乗り、地上へ出た。地上では、全身黒尽くめの男――スズメが退屈そうにスマホをいじっている。
「スズメ、交代だ」
「わかった」
それだけを言い交わすと、スズメはなにも言わずにキツネたちが乗ってきたエレベーターに乗って地下に降りていった。
「彼は優秀なハッカーでね。わたしたちが現地で調査をしている間、あなたのバロックに関するであろう情報を、合法・非合法問わず調べてもらいます」
「非合法」という言葉に、ルビは思わずぞくりとする。しかし、そもそもバロックは普通の病院や警察では対応できないからこそ、バロック屋に依頼することを決めたのだ。
「……で、どこに行くの?」
事務所の裏に停めてあった型落ちの軽自動車に乗り込みながら、ルビが尋ねる。
「異形の目撃情報は、明らかなガセも含めて多数ありますが、ある程度以上の信憑性がある情報の出どころは限られる。それが、ゼロ地区です」
そう言ってキツネは車をスタートさせた。窓の向こうに流れていく景色をぼんやりと眺めながら、ルビが言う。
「ゼロ地区って……あのゼロ地区? 安全度ゼロの? それこそ信憑性なんてないんじゃないの?」
キツネの言葉に、ルビは鼻で笑ってみせる。
「あんな一般の生活圏から隔離されてて廃墟ばっかりになってるところなんて、いかにもすぎでしょ? あからさますぎて、あんなところで怪物だの幽霊だのが出たなんてSNSで投稿しようもんなら、あっという間に嘘つき扱いだよ」
「逆だとしたら?」
ルビは一瞬、キツネの言葉の意味がわからず沈黙していたが、ややあってハッとした顔でキツネの方を向く。
「それって……『ゼロ地区に怪物が出た』んじゃなくて、『怪物が出たからゼロ地区に指定された』……ってこと!?」
車を運転しながら、キツネは器用に片眉を上げた。
「なかなか鋭いですね。そう、少なくとも私はそう考えています。そもそもゼロ地区指定の根拠である安全度ゼロをもたらしている原因を、誰も知らない。通常の犯罪や問題行動なら警察が取締や警備を行えば済むこと。だが実際には区画ごと危険区域として閉鎖している。不自然だとは思いませんか?」
「それが……わたしのバロックに関係があるってこと?」
「それをこれから調べに行くんです」
「でも、ゼロ地区っていくつもあるんでしょ? ぜんぶ虱潰しに回るの?」
「そこは、頼りになる相棒がサポートしてくれていますよ。ゼロ地区のうち、半年以内で侵入者や不審死が確認されているのは5か所。今からそこを順番に回ります」
そんな情報、どこから……と口に出しかけてルビは気づいた。メディアで公表されている情報だけが事実ではない。おそらくはアンダーグラウンドな手法で、表に出てこない情報を掴んでいるのだ。
「なんだか、探偵みたいでちょっとかっこいいね」
そう言うと、キツネは唇の端を釣り上げて笑ってみせた。
「警察や公安には嫌われていますがね……しかし、これだけ世の中にバロックが満ちているなら、これまでにない解決手段が必要になってくる。私はそう考えています」
「ふうん……」
それから数時間にわたって、キツネとルビは該当するゼロ地区を順番に確認していった。ある場所は入口を封鎖しているチェーンが切断されて侵入の形跡が見られ、ある場所はおそらくは銃器類で武装しているであろう警備員が周囲を警戒している場所もあった。ゼロ地区として指定されてはいるものの、その警戒度には差があるようだった。
しかし、いずれの場所でもルビはなんの反応も示さなかった。キツネの経験上、特定の場所に関連するバロックはその場所に強く結びついている。ルビは自身のバロック自体がはっきりしないという特殊なケースではあるものの、該当する場所にくれば何らかの反応はするはずだ。バロックは時として、その持ち主よりも先に反応することがある。
そして、キツネとルビは、最後のゼロ地区である地下クラブ跡地へとやってきた。もうすでに時間は夕方を過ぎており、人気のないクラブの入口周辺はオレンジ色の夕日に染まっている。
ルビの脳裏に、なにかの本で読んだ「逢魔が時」という言葉が去来した。夕暮れ時は魔に逢う時。この地下クラブの奥底には、どんな魔物が潜んでいるのだろうか。いや、もしかしたら、自分はすでに魔物の腹の中に――。
『警告します。この先は非常に治安が悪く、女性や未成年者のひとり歩きはたいへん危険です。夜間の侵入も自粛をお願いします。繰り返します――』
「ひゃっ!」
突然鳴り響いたアナウンスと電子音に、ルビは思わず飛び上がった。クラブの入口を閉鎖している金網に設置されたセンサーだ。センサーの両側からは鎖が伸びており、錠前のように入口を閉ざしている。
笑いをこらえているキツネを横目で睨みながら、ルビはにくらしげに金網に蹴りを入れる。
「……で、ここは入れそうなの?」
ルビがそう聞くと、キツネは懐から小さなカードを取り出した。端末のスリットにそのカードを差し込むと、それまでやかましく警告音声を繰り返していたセンサーはピタリと大人しくなり、代わりに入口を閉ざしていた鎖がじゃらりと音を立てて外れた。
「……これも、なんか違法なヤツ?」
ルビの問いには答えず、キツネはライトを片手に地下クラブへと通じる階段を降りていく。ルビも足早にそのあとを追った。