休憩
秘密基地 2-24
「さく、ま……?」
僕は聞いたことのない名前に対して、呆然としたような声を吐き出してしまう。
もともと人間に対して興味がない、というか人との関わりを持てない僕であるせいか、名前を聞いても思い浮かぶような人物がいない。それも、自分と同じクラスでもない、隣にいるクラスの人間ともいえば尚更でしかない。
「ああ、そうだ」とニヒルな笑みを、もしくは自嘲的な笑みを浮かべながら松原は言った。
「佐久間、ああ、佐久間だ。佐久間 浩也。俺のことをいじめ始めた張本人、まあ、俗に言う不良ってやつ、だな」
僕は松原の説明を聞きながら、深瀬の方を視界に入れてみる。
松原が佐久間、と言葉を吐くたびに、その背筋が震えているような気がする。弾むような揺れでもなく、それでも確かに刻まれている記憶を思い出すように、彼女には思い当たる節があるようだった。
「ぶっちゃけ、本当に五月くらいまでは平和だったんだよ。佐久間は学校に来ることもなかったし、俺もただのぼっちとして過ごせたからな。佐久間がどうして学校に来なかったのかはわからないけれど、それでもあいつが来るまでは順風満帆とは言えないまでも、ただの高校生活を送ることができていたと思う」
はは、と自嘲気味な笑顔を浮かべ続けながら、松原は語った。
「まあ、とりあえず佐久間ってやつは不良なんだよ。五月の中旬くらいまで学校に来ることはなくて、いつも空席が目立っていた。誰なんだろうな、とかあいつが来るまではそう思っていた。ほら、不登校ってことは、もしかしたら俺みたいなやつでも気が合うんじゃないかな、とか、そういう希望みたいなもんを抱いていたんだ。不登校なんて、陰気な人間がやるもんだと、勝手に俺は想像していた。……人にはそれぞれ事情があるのにな」
「……」
「そして、五月中旬、ゴールデンウィークが空けて気だるい空気を醸し出しているときにアイツは、佐久間は来た。高校生には似つかわしくない中途半端な金髪とピアス穴、あからさまに自分は健全な人間ではありません、というような風貌でな。
あいつが来たことによって、ようやく空席は埋まった。まあ、埋まったとは言っても、その日まで無断欠席していたらしくてな、すぐに生徒指導に呼び出されていたけれど、それでも空席が埋まった。埋まってしまったんだ。
まあ、ああいうやつもいるよな、と俺はそう思った。どこの学校にも不良みたいなやつはいるし、俺の中学でも煙草を吸っていることを自慢する輩がいた。どこにでもいるから仕方ないな、とは思いつつ、自分がかかわるような人種ではないとはっきりわかっていたから、俺はひたすらに目を逸らすことにした。ほら、そっちの方が正解じゃないか。絡まれる、っていうことはあまり考えていなかったけれど、それでも目を逸らしていれば関わりも生まれないだろうからよ。
……でもな、運が悪かった、というかアイツが悪いでしかない話なんだけどな。生徒指導から帰ってきたアイツはひどく苛立っていたよ。なんで俺がこんな目に、とかそんなことをぶつぶつ、……いや、はっきりと言葉にしながら自分の席を蹴って周囲を威圧していた。
誰も佐久間に近寄る、なんてことはしなくて、みんながみんな距離を取ろうとしていた。……きっと、深瀬さんもそんな感じだったろ」
松原が深瀬に向けて問いかけるような言葉を吐きだした。深瀬は特に頷くこともせず、ただ俯いて顔を隠すだけだった。
「俺もそうだった。佐久間とは関わりたくない、怖い、って感想を抱いた。男だったら少しの反骨精神くらいは持っておけよ、とか思われそうだけれど、俺なんてそんなことしか考えられない弱い人間だからな。ともかく、俺とは目を合わせないでくれ、とそう思いながら机の上で寝たふりをしていた。正味、寝ているふりをしておけば関わってくるようなもんでもないと踏んでいた。だが、それがよくなかったのかもしれないな。俺は佐久間に目をつけられてしまった。
未だに覚えているよ、開口一番の台詞。なんだこのきのこ頭? ってあいつは言った。一瞬誰のことかはわからなかった。自分の姿について自信を持っていないからこそ、ワックスをつけた自分の姿をきちんと把握できていなかった。だから、ああ俺じゃないんだ、って安堵さえ覚えた。……けれど、次の瞬間には腹が痛くなった。
あれだぞ、別に緊張しての腹痛とかじゃない。物理的に腹痛を感じたんだ。うぐ、って声を吐き出して頭をあげた。するとどうだ? 佐久間が目の前にいるじゃないか。
何無視してんだよ、って佐久間は言った。俺に向けて吐いていたキノコ頭ということが、ようやく俺のことを指しているって気が付いたけれど、その時にはすでに遅かった。俺の遅い反応が気に食わなかったのか、それとも全部が気に入らなかったのか、佐久間は俺が寝ていた机を蹴って、俺のことを攻撃し始めた。
正直、何が何だかわからなかったね。俺、なんかしたっけ? ってずっと思ってた。いや、そりゃ反応しなかったっていうのはあるけれど、寝ているふりをしてるんだから、だとしても、っていう気持ちはあった。そして、とりあえず、すいません、って同級生なのに敬語で謝罪をしようとした。……だが、それも気に食わなかったんだろうな。
なんだよ、俺が悪者みたいじゃないか。そんなことを、謝った俺に対して佐久間はひどくイライラしたような顔で呟いたんだ」