抱きつかれていた……っていうよりも、「その子」の体の中に飲み込まれていた。
プールの水をさらに吸収したのか、「その子」の体はさっきの倍くらいの量になっていた。わたしは、空中に浮いた大量の水の中に顔だけ出して浮かんでいた。
……不思議な感覚だった。それと同時に、馴染み深い感覚でもあった。わたしが毎晩味わっているあの感覚……そう、一人でプールの中に浮かんでいるときの感覚だった。
でも、今は、わたしはひとりじゃない。
空中に浮かぶ大量の水の塊の中から「その子」の上半身が生えていて、お月さまと同じ金色の瞳がふたつ、女の子の顔の中で揺らめいている。
「うレシい、ウれしイ」
そう言ってその子は、無邪気な顔でちゃぷちゃぷ笑った。
わたしはその笑顔に、なぜか泣きそうになってしまった。
その日から、わたしの孤独な日常は、大きく変わった。
一見、わたしの生活には誰の目から見ても変化はないように見えただろう。いきなり不良になったり家出したりしたわけでもなく、いつもの通りの品行方正なお嬢様。
でも、わたしの日常には、わたししか知らない非日常が溶け込んでいた。わたししか知らない、秘密の友達が。
いつもどおりの夜。いつもどおりのプール。
でも、そのプールの中にいるのは、いつもどおりじゃない、わたしの友達。
わたしがいつもどおりに水着に着替えてプールに出ると、その水面がすうっと持ち上がった。その中にあるのは、もう見慣れたテニスボールくらいの赤い球。
空中に持ち上がった水の塊は、あっという間に女の子の姿になった。
「まタキてくれた、うレしい!」
そう言って、「その子」はいつもどおりに無邪気な顔で抱きついてきてくれた。
わたしの日常に入り込んだ、ふしぎな女の子のかたちをした非日常。
わたしは「その子」と、毎晩こうして会うのが日課になっていた。
「その子」がどこから来たのか、何者なのか……それは今でもよくわからないけど、わたしにとっては、「その子」がこうしてわたしとあって、いろんなおしゃべりをしてくれることが……そして、今まではわたしひとりきりだった25メートルプールの中に、わたし以外の誰かがいてくれることのほうが、だいじだった。
「がッコウって、にんげんがタくさんいるルんだね。たくさんアツまって、わタしたちとオなじ?」
「どうかな……あなたみたいに、なんていうか……ちゃんとまとまってなんかないよ」
プールの真ん中に浮かびながら、私はそう答えた。「その子」は、わたしの頭の後ろに上半身だけを出して、ちゃぷちゃぷ揺れている。膝枕をしてもらってるみたいで、なんだか照れくさかった。
不意に「その子」が水でできた手を伸ばして、わたしのほっぺたに触れた。プールの水のはずなのに、妙に暖かい気がした。
その手に、わたしは小さな子供みたいに顔を寄せた。なんだか、無性にだれかに甘えたい気持ちになった。
「……ね、ぎゅってしてくれる……?」
言ったあとで、顔が熱くなるのがわかった。こんなことをだれかに言ったのは、これが初めてだった。
人間じゃない、日常の中にいない……そんな「その子」相手だったから、言えたのかも知れない。
「その子」は、わたしの子供じみたお願いに、いつもみたいにちゃぷちゃぷ笑った。わたしの周りのプールの水が、ゼリーみたいに形を変えてわたしを包み込む。
わたしはそっと目を閉じて、肌を撫でる水の感触に身を任せた。