雨が降っていた。
「ひどいな」
軒下から外の様子を確かめた長曽祢虎徹が呟く。駆け込んだ荒屋から戸口さえ白く烟るようだった。
「止むといいんだけど」
ぺったりと雨に濡れて張り付いた服を肌から引き剥がしながらいう。上着はひどい有様だった。下のシャツまで雨がしみているのを確かめ上着を脱ぐか迷っていると、長曽祢が振り向いた。
「冷えるか」
「まあ」
ぴら、と濡れた手のひらを翳しながら言う。打刀の目は、この薄暗い屋内の私をどれほど確かに見ただろう。目が合うと、金色がぱちんと瞬いて、気まずそうに逸らされた。
「後ろを向いておこう」
見ないから安心してくれと言わんばかりの口調に、今度は私が瞬いた。
「どうして」
「その上着は脱いだ方が良い」
それはそうかもしれない、と思いながら首を傾げる。上着を脱ぐことと、後ろを向くことがどう繋がっていくのか分からない。
「なんで」
白い羽織の背中が縮こまるように丸まった。
「曽祢さん」
なんでともう一度繰り返す。刀は背中を向けたまま、萎れたように俯いた。
「聞かないでくれ」
いかにも困り切っていますという声だった。日頃頼りになる様を見ているだけ、珍しい程に困った有様はどうにも気の毒なような気がしてしまう。
「そう」
「冷えるか」
蕭々と、雨は降り続いている。雨音だけが沈黙を縫う薄闇の中で、徐に長曽祢が口を開いた。汚れた板の間で濡れた膝を伸ばしていた私は長曽祢を振り向いた。金髪の襟足が暗い屋内にそれだけ目立って見える。長曽祢は依然としてこちらを見ないでいるようだった。
冷え切った指先を握り、伸ばす。雨に重たい上着は適当に丸めて除けていた。半袖の服は生地が薄く、腕は剥き出しになっている。昼間の気温では薄手の服も気になどならなかったのに、雨ですっかり体温を奪われた今はその生地の薄さが頼りなく思われる。
「……寒いのは寒いけど」
肩が動いた。のっそりとした動きで羽織が滑り落ち——
「良い、良い、平気、大丈夫」まだ肩に引っかかる羽織を止めた。刀が振り返る。
「しかし、」
「……着てない人からもらうほど困ってない」
薄い羽織のすぐ下に、血の通った肉の温かさを確かめながら私はもう一度「平気」と繰り返した。
「平気だから」
手を離す。手のひらが離れた傍から温度を忘れていく。
「あるじ」
刀は先までの意固地にも思われるような頑なさで俯いていたのを忘れて、こちらを見ている。目が、合う。
「なに」
まだ上着を脱ぐつもりがあるのか、と警戒に身を固くする。刀は私を振り仰いだまま「冷えている」と呟いた。顰められた眉を見ながら、案じている、と思う。悼ましげな顔を他人事のように見下ろした。手を取られて反射的に肩が揺れる。何をされると思っているのではなかった。刀が私を害するはずもない。刀が自身に付けられた名前に矜恃と誇りを持つ物であれば尚更。そう自分に言い聞かせながら、重ねられた手の熱さに狼狽えている。冷え切っていた手は触れられたところから体温を思い出していく。
「あの」
焦りに声が上擦って、初めて刀は私の動揺を解したようだった。金色の目が伏せられる。
「……背中を」
「せなか?」
刀はなにを言い出すのか。呆然と俯く刀の旋毛を見る。刀は言葉を選び兼ねてまごついた。
「……背中合わせなら、まだマシだろうと思うんだが」
いつの間にか、手は離されている。留めるものの無くなった手は触れている訳にもいかず、中途半端に浮いた。黙り込んだ私を上目遣いに刀が一瞥する。
「……嫌ならやめておくか」
軽い言い方は、自身の思いつきを恥じ入り打ち消すもののようにも、また、私を気遣ってなかったことにするためのもののようにも聞こえた。