毎週木曜は滑り込みの日……ですが、今週の塚口の上映スケジュールはちょっと変則的なのと明日はまた天気が崩れそうなので早々に滑り込んできました。
今日見てきたのはこの作品!
黒コートに二丁拳銃にサングラスというカッコいいが全部入ってる男の教科書ことみんな大好きジョン・ウー監督・チョウ・ユンファ主演のこの作品、「トワイライトウォリアーズ」と同時期に上映するあたりがいつもながら実に理解(ワカ)ってる。
その前に、九龍城砦ならぬ塚口城塞と化した待合室を見てきました。
塚口のファッションリーダーこと秋山殿はトワイライトウォリアーズ仕様。隣のボコが鉄パイプ持ってたりサンサン劇場マークのお面被ってたりで負けじと芸コマ。
映画を見た人はもう見ただけで嗚咽が漏れてくる麻雀牌で作った九龍城砦。ううっ泣けてきた。そしてテーブルの上のピーナッツや酒瓶などの小物も劇中のそれを完全再現。実に塚口。
壁のポスターはもちろんトワイライトウォリアーズ一色。漢度が高い。いよいよ今週末に迫ってきたマサラ上映が楽しみです。
そしてもちろんパンフレットとハイエイトチョコもゲット。
ひとしきり待合室を堪能したので、まずは「男たちの挽歌」を見るのだ。
香港に本部を構える三合会の幹部・ホーには、病気の父と警察官を目指す弟・キットがいた。兄の家業を知らない弟のために組織から足を洗うことを決意するホーだったが、取引先の台湾マフィア・ワンの甥の裏切りによって警官隊に包囲され、やむなく自首する。
逮捕されたホーが口を割ることを恐れた三合会は、それを防ぐためにホーの父を拘束しようとするが失敗、その際の乱闘でホーの父は死亡してしまう。それを知ったホーの親友マークは単身情報を漏らしたワンのもとに向かい報復を行うが、足を撃たれて障害を追う。
3年後、刑務所から出所したホーはかつての部下であったシンが組織の幹部となり、かつて幹部であったマークは駐車係に落ちぶれているのを目撃する。
巻き返しを図るマークと更生を望むホー。ふたりの男の戦いが始まる。
この作品は前述の通り漢の教科書なので何回も見てますし塚口でもすでにスクリーンで見てますが面白い作品は何回見ても面白いので何回も見るのだ。
冒頭こそ極道ではありながら幸福そうに生活しているマークとホーですが、ホーが自首したあとの展開と落差はやはり激しい。そしていかに幸福そうであっても極道は極道。「極道から足を洗うのは難しいぞ」という劇中のセリフは、単に更生するのが難しいというだけではなく、一度追い落とされれば力関係は簡単に逆転し、刑務所から出ても今までやってきた犯罪行為は決して消えてなくなりはしないということを端的に現していると言えるでしょう。
実際ホーは最後の最後まで弟キットと和解できなかったし、キットの進路は「身内に極道の関係者がいる」ということによって塞がれているという。このへんはドラマと言うよりもむしろ儒教思想的な因果応報を感じます。
「男たちの挽歌」には、直接のストーリー的つながりはないものの同じくジョン・ウー監督・チョウ・ユンファ主演のシリーズがありますが、他のシリーズはアクションや演出の印象が強いのに対し、本作はやはり泥臭さのあるドラマが魅力に感じます。改めて見直してみると、派手な銃撃戦って冒頭のマークによる報復とラストバトルのふたつくらいしかないんじゃないかな。
だからこそというべきか、ラストバトルの銃撃戦は派手な戦闘シーンというだけでなくようやくホーとキットが心をつなぎ直し、マークが命がけで二人を守るという熱いシーンとなっています。あそこのマークの子どもみたいな笑顔、すごく印象的なんだよな……。
続いては現在もなお界隈を賑わわせているこの作品!
2回目なのであらすじは省略。
今回は初回感想では書かなかったこと、書ききれなかったことを書いていきましょうかね。
と言ったばっかりですが王九の兄貴のキャラの強烈さはやはり言っておきたい。
初登場時はいかにも大ボスの腰巾着って感じに見えますがバスを追走するターミネーターみたいな猛ダッシュ、抜手でバスの座席ぶち抜く気功、ヒャハハ笑いと改めて見ると序盤からキャラが強烈すぎる。初見時ではラストバトル時点で爆発的に強くなったような印象でしたが最初からバケモンでしたね王九の兄貴。
そんな感じで最初から最後までバケモンな王九の兄貴ですが、唯一いつもと違う顔を見せるのが大ボスを裏切り自ら手を下すあのシーン。
だいたいあそこ、自ら手を下すというのがおかしい気がするんですよね。あの時点ではすでに彼はフルーツマーケットの組織の構成員を支配下に置いているでしょうし、作中の彼の行動や性格からすればあそこは部下を引き連れて逃げ場を塞いで……とやりそうなもの。
にも関わらず、あそこだけは王九は自分ひとりで大ボスの屋敷に侵入して、なおかつ真正面から喧嘩を売るわけでもなく不意打ちをしている。しかも殺し方が絞殺という。
この行動には色々思うところがありますが……そもそももとから裏切ることを明確に決めていたのか、それともその思いを自覚しておらず部下の一言がトリガーになって「それができる」という可能性・選択肢が生まれてしまったのか。個人的には後者なんじゃないかと思ってます。
作中の様子を見ていれば王九はもともと享楽的な性格で、あんまり組織内でのし上がるとかボスの懐で裏切りの機会を虎視眈々と待っていたとかそういう志向は持っていない感じがするんですよね。暴れられれば何でもいいやって感じで。でもふとした瞬間に「大ボスを裏切れる」という可能性に思い至ってしまった、という気がします。裏切りが計画的だったらああはしないと思うんだよな。
そして組織を乗っ取ったあとのあの乱痴気騒ぎも、取り返しのつかない行動に出てしまった後に正気に戻らないために必死に狂乱を演じているようにも思えました。
また本作には多彩な戦闘シーンがありますが、そのどれもが九龍城砦というロケーションを活かしているのが改めて理解できました。戦闘シーンについては前回の感想でも書きましたが、今回は改めて本作の戦闘シーンにおける「上下という要素」について書いておきたい。
九龍城砦という場所は建て増しに建て増しを重ねて、上方向に伸びていっている場所。なので序盤の洛軍と信一の追いかけっこは上下方向の追いかけっこになるし、最終的に洛軍は「落下」する。
そしてラストバトルはこれまた城塞内を上下に移動しながら繰り広げられ、最終的にたどり着くのは城塞のビルの屋上。王九との一進一退の攻防を繰り広げた洛軍は、王九もろともやはり「落下」しようとする。それに失敗し危うく落下しかけた洛軍を救ったのは、一陣の竜巻。その竜巻は「下から上に」捲き上がる。
かように本作の戦闘シーンでは、この「上下」という要素が非常に効果的に、なおかつ印象的に使われていることが今回の鑑賞でわかりましたね。
戦闘シーン以外でも上下を印象付けるシーンはいくつかあります。凧揚げの凧が舞い上がり、敗れた凧が地上に落ちる。下から空を見上げる洛軍の頭上を轟音を立てて飛んでいく旅客機。そして、若い世代を導き、あるいは黒社会を牛耳ってきたものの、天の定めに従ってか空から落ちていく巨星たち。改めて本作は「上下の物語」だったと感じました。
本作の舞台である九龍城砦は、奇景や廃墟が好きな人をはじめさまざまな人にとって魅力的な場所ですが、その魅力が最大限に引き出されたのがラストバトルだと思います。
物語開始時点では主人公である洛軍は厄介事を持ち込んだよそ者であるにも関わらず、この九龍城砦という場所は彼を受け入れます。そして親の顔も知らずに「家(ホーム)」を持たなかった洛軍はそこで生活するうちに九龍城砦とそこで暮らす人々を「家(ホーム)」として認識するようになります。
そしてラストバトル、九龍城砦を支配した王九とその手下に対し多勢に無勢の洛軍たち。住民たちは密かに洛軍の帰還を伝達し、煙を炊いて彼らの侵入を助ける。落下した洛軍を助けたのは建物の庇。
九龍城塞というロケーションとネットワークが彼らに味方する!
やがて取り壊されて消えゆく運命の九龍城砦という場所が、それでも洛軍らを救ってくれる。かつて彼らを受け入れ命がけで救ってくれた龍兄貴のように。
本作にはいろんな物語が込められていますが、やはりその中でもわたくし人形使いは本作を「家(ホーム)の物語」と見ました。「家(ホーム)」を持たなかった男が「家(ホーム)」を得る物語。だからこそ本作は、「九龍城砦は取り壊された」というラストメッセージと史実を受け取ってもなお、この作品を見た我々の中になにかを確実に残してくれる作品だったと言えるでしょう。決して喪失で終わってはいないという物語でした。