がんがるーのヴィルダンヴィルさんは日が落ちるのがずいぶん早くなったころ、動物園のペンギンの檻の前でかつて、いけにえになったことがあるという話をしてください。
やたらとクラゲの多い水族館だった。
十月も後半の、曇った日だった。ぼくは日本でアスモデウスと思わぬ遭遇をし、なんとか断片を入手できたけれど、仲間もぼくもそれなりに疲れてしまったので、数日間はオフということになっていた。
都心のビルの高層階に水族館があると聞いて、どういう構造なのか気になって訪れてみると、いくつものクラゲの水槽が赤やブルーや黄緑にライトアップされていて、思っていた展示内容とは少し違った、いわゆる映え重視の空間だったので驚いた。母国にはヴェネツィアに大きな水族館があるらしいけれど、行ったことはないので、これが初めての水族館だった。
色とりどりの水槽に目を奪われながら人の流れに沿って曖昧に順路を進んでいると、腰のあたりになにかがぶつかってきた。はしゃいだ子供が二人で追いかけっこをしているのに巻き込まれてしまったらしかった。
気を抜いていたのでバランスを崩してしまう。子供を巻き込んで倒れ込んでしまいそうでひやりとしたとき、後ろから腕を掴んで支えられた。
「Stai bene?」
「Ah, sì, grazie……っ!?」
母国語の気遣う言葉に反射的に礼をしたところで、ここが異国であることを思い出す。
驚いて振り返ると、咄嗟に自国の言語が出たらしい相手も目を丸くしていて、そして彼はぼくのよくよく知る人物だった。
「なにしてんだお前」
「観光」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。それだけでもないけど」
「他の魔女は」
「今日はぼくだけ」
イワシの大群が躍る巨大な水槽の前にベンチが置かれていて、ぼくはそこに元恋人兼宿敵と並んで座っていた。
こんなに人のいるところで戦うわけにはいかない。かと言ってうっかり接触してしまった以上、会わなかったふりをする機も逸してしまっていた。
ダンテは周囲の魔力の気配を探って、ぼくの発言に嘘がないことを確認したようだった。なんとなく一人になりたくて、今日は仲間の誘いを断ってぼくだけでここに来ていたのだ。
かつてぼくたちがこの距離感で並んでいた頃は、ぼくにはお金と身分証明書がなく、彼には時間的自由がなかった。だから、こういうアミューズメント施設を二人で訪れたことはなかった。
「水族館って来たことある?」
「任務で一度な」
「今日も任務?」
「答える義務はねえな」
さいですか。
まあどうせ任務か、そうでなければあの希望の少年絡みで来ているんだろうと思う。ぼくの知る限り、今のダンテは余暇を楽しめる状態ではない。
にべもない回答に会話が途切れてしまって、柄にもなく気まずい。いつだって彼に会いたいけれど、急に会ってもそれはそれで困る。
順路を歩いてきた五歳くらいの子供がぐずっている。歩き疲れてしまったらしい。ソファベンチの席は埋まってしまっていて、母親らしき人が困った顔をしていたので、ぼくたちはどちらともなく立ち上がった。
休日の館内は混み合っていて、なかなか順路を進めない。チンアナゴの水槽、深海魚の水槽、この地域の海辺の生き物の展示を、ぼくもダンテも見るともなく見ながら進んでいたけれど、それについて話すような雰囲気でもなかった。黙って順路をすすんでいると、
「ここ、ペンギンが空を飛ぶんだってね」
「ああ……なんか書いてあったな」
「そんなに大層なものじゃないよ。自分で決めたことだし」
「仕事をして、見返りをもらう。みんなやってることでしょ」
「それに、ぼくはかみさまにぼくをあげたりなんて、ぜったいしないよ」
被害を被害だと思っていないのだ
こんなに人通りの多いところで、彼が戦いを挑んでくることはありえないと知っていた。
だから、彼の肩に少しだけもたれかかったことは、別に誰にも恥じることではなかった。