「台本は用意したかな?それじゃ始めよう。いよいよ台本読み、舞台稽古だ。セリフを覚えることだけではなく、一人一人の動き方で見え方は良くも悪くも大きく変わる。だから感情表現に工夫して演技をしてくれ。素晴らしいステージにするためだ。」
素晴らしいステージとは一般的になにを指すのか。それは、自分たちの感情が内側だけで終わるんじゃなくて、相手に伝わることだと俺は思う。心と体を捧げて、その役に投げうつ。
「例えば、つい見ていて泣いてしまうようなシーンってあるだろう?そういう時、私たちステージに立っている側も、同じように泣いていなきゃいけない。もちろん実際には泣かないけど、それくらい感情移入してほしい。そうじゃないと全て嘘だ。演技に嘘はあっちゃいけないと私は思うね。」
演技に嘘をつかないって、どうしたらいいんだろう。誰かが見て本気で泣くような表現を俺たちがしなければならない。分かっていてもそこに壁があった。
だって普通に考えたら無理だ。俺はそう思う。というか、はっきり言えばここにいる役者さんたちも、俺と同じようなことを思ってるはずだ。今の状況でもしも、無理か無理じゃないかで枠組みを作れば、ウィートンさん以外は無理の枠組みに入るだろう、。
「マルケット!ほらどうした、もう時期だぞ?クリスマスだ。靴を買いに来たのに何も並んでないとはね。」
「おお。最初に演技を始めたのは君か、ジュール君。」
役者が揃って台本を開こうともしていない中で。ジュールさんだけは、台本を片手に演技を始めた。
「ほらマルケット。返事をするんだ!」
急いで台本を開くと、このシーンはなんと一番最初のシーンで、第1ページ目だった。
恐ろしくなるくらい緊張感のない役者に対し、主人公としての顔がなくなる、そう思って俺は大きな声で演技をしようとした。
「すいません、今日は息子のラクラが風邪になってしまい、お休みです。」
「アントワーヌ君、、さすがにもうちょっと声張らなきゃだよ。主人公なんだから!」
「うう、ひゃいっ!!」
おいおい待ってくれよこんな俺が主人公なんてさ、ステージを見に来た人たちはどう思うんだよ。やばいこれじゃあ俺のせいでステージが台無しになる・・・・・・。そしたらマリンにも何て言われるか、、、
「うん・・・・・・。あのねアントワーヌ君?返事は、はいだよ。」
え、これまさか怒られる?
稽古練習がまだ始まったばかりだと言うのに、主人公役がいきなり怒られるかもしれないという、まったくもって感動もしない最悪のシチュエーションが今、巻き起こっていた。
予想通り、ウィートンさんは無言のまま、ゆっくりとこっちに足を進めてきた。。顔が近づき、もう肩がぶつかりそうな距離になると、ウィートンさんがやっと口を開いたのだ。
「アントワーヌ君。」
「はい、」
「というかみんなもそう。ここにいるみんな、全員が、私がアントワーヌ君に説教を始めると思っただろう?でもそれは演技だ。ただ、嘘でもない。」
演技?
「私は説教を始める気は微塵もない。が、みんなに覚えてもらいたいことがある。それは、どんな時においても本当の自分を見失わないことだ。君たちはここにくるまで、たくさんのことを考え、悩んできたことだろう。」
「壁が自分を囲んで周りが見えなくなって、最終的には自分すら分からなくなる。そういう時が、必ずあったはずだ。もっとも、君たちがここで台本を広げて演技をしたいと、そう本気で思っていたならの話だがな。」
大人になりたくて、いけないことをしている自分に酔ったり、気付かないうちに自分を見失っていた時が俺にはあった。ステージに立ちたいと思ったのに、結局投げ出そうとしてしまった時もあったっけ。あれが正しい、それは間違ってる。全部あやふやになって、嫌になった。
「いいか、君たちはステージに立つんだ。もっと奮い立たせろ。演技に嘘をつかないように、自分にも嘘をつかないこと。妥協は持たず、常にベストを考える。どんなに壁に囲まれて周りが見えなくなっても自分を信じるんだ!」
「はい。」
「返事!!」
「は、はいっ!!!」
「よし。じゃあ気を取り直して再開!」
「はい!」
台本を大きく開いて片手に持った。胸を張って息を吸ってから声を出した。冷たい空気が喉を出入りし、お腹のほうまでなんだかぎゅっと苦しくなる。しかし、さっきまでとはその空気、その雰囲気が大きく違った。感情移入して本当に泣きながら台本を読んでいる役者がいたし、汗を搔きながら何度も動いていた人もいた。
一緒に胸を張れる仲間がいるっていうだけで、こんなに違うなんて知らなかったな・・・・・・。それと同時に今までに出会ったことのない、心が解放されるような強い安心感も。
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