ある人は太陽のような人で、ある人は月のような人。
ある人は川のせせらぎのような人で、ある人は草のような人。
ある人はたんぽぽのような人で、ある人はシーソーのような人。
ある人はナイフのような人で、ある人はピストルのような人。
ある人は冬のような人で、ある人は夏のような人。
こないだ、自分を一言で表すなら何?という質問が書かれた紙を配られた。
思い思いにみんなそれぞれ、自分のことを考えて表現し始めた。それもたった一言で。
人生の時間としては、一応16年以上は過ごしてきた僕らだが、それでも大人にとっては、たったの16年!?と言えてしまうようなごくわずかな時間だと思う。
だけれど、16年だ。20歳の人が、16年も経ったら36。僕にとっては、すごく長くて苦しい時間の16年だったのに、周囲の大人は「わけえなあ。」って言う。経験なんてまったくないだろって、簡単にあしらわれてしまうのが16年だ。
なあ、ならなんだ。16年はそんな簡単な年数じゃないはずだろう。それなのに、どうして誰も僕には「わけえ」って言うんだろ。僕は度々疑問でならなかった。
いや、実際問題、若いかもしれない。確かに40年とか50年とか生きてる人に比べたら、そんなもん若すぎるくらいだ。でも、生きてきた時間と経験は、必ずしもイコールなのか?
そう考えたときに、僕はそうじゃない気がする。
40年生きたって、分からないことはまだまだあるって言う大人だっていくらでもいるってのに、まだ16でも、なんでも分かったような顔して生きてるような、頭よさそうな奴らはそこらへんにいるんだ、うじゃうじゃ。
生まれつきの奇病とか、障がいとか、うつ病とか、幻覚とか幻聴とか、引きこもりとか。
金持ちも貧乏も、太陽も月も、ナイフもピストルも、草も川のせせらぎも、人それぞれ色々あるじゃん。
自分を一言で表せって言われて、綺麗に自分の納得できるような回答を引き出せるようなやつなんて、どんだけ少ないことか。
ちなみに僕は、考えすぎと書いた。何かに例えたわけでもなく、うんともスンとも言えないようなスッキリしない回答を選んだ。
僕的にはこれが近いのかなと思って書いたんだ。でも、だから?それが全てじゃない。
僕はいつも友達に、「自分、なんでこんなミスばっかしちゃうんだろう、」とか、「なんも上手くいかない。みんなに嫌われている気がして。」なんてとりとめもないことを言うのだけど、友達はいつも口々にみんな言ってくれるんだ。
「そんなことないよ!!」
毎回毎回、僕を褒めてくれた。優しい友達は絶対僕の心を気遣ってくれた。
すなわち、大事なのは客観視をすることだ。客観視って、生きる上でとてつもなく大事な視点なんだと思う。
客観視のたった一つだけで、若いとか言われるのはなんでだろうって考えたとき、40の大人から見たらそりゃあ自分なんて、16なんだから若いよなって思うのは当然だって気付ける。
そしてそれとともに、年齢と経験がイコールではないと考えている、自分の気持ちも同じように当然のことだって理解ができる。
自分が経験してこなかったことを経験している人々の人生は、年齢などと言う物差しで測れるものではないし、そもそも人の人生は固定概念てきな変えられないもので、考えてしまってはならない。そんなことなどは常識の範囲内で、誰でも知っていることなのだ。
大人はみんな、その常識や当たり前の上から僕を「わけえ」って言う。たったそれだけの事なんだ。
たったそれだけのことを、僕はもうかれこれどれだけの時間考えたことだろうか・・・・・・。
いや、本当に僕は考えすぎ。なんでもかんでも深堀をしすぎて、最終的な終着点がどこなのかさえも忘れてしまうくらいの考えすぎだ。
まあ、結局のところ、あの一言で自分を表してくださいという質問の答えについて、後日先生に何か言われるようなことは何もなかったわけだけど、僕は未だに、あの答えが本当にあれで良かったのかなと考えてしまう。
太陽とか、月とか、それかレモンとか、リンゴかスイカあたりでもいいかも。
なんかそういう、比喩とか使って答えたらよかったなあ。
人生16年生の僕は、そんなこんなで今日も考えていたわけである。
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初公開日: 2025年05月13日
最終更新日: 2025年05月13日
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