バスティンが主様とエスポワールの街を歩いている。ロノの買い忘れた物を頼まれたバスティンに主様がどうしてもついて行きたいと言ってのことだった。
前から見覚えのある人影が反対側を歩いてくるのが見えた。ロノと…知らない女性。美しい出立ちの女性にオシャレして気取ったようなロノ。ロノに頼まれて買いに出たバスティンは、ロノは料理中なのだと思っていた。それなのになぜ…、料理を放っておいて知らない女性と会っているんだ…?
「あ、あれ、ロノだね」
主様は弾んだ声だけど、そばで仕えているバスティンは自身でもわからないモヤモヤを抱えていた。
「あ、主様…申し訳ないんだが…このままロノに見つからず帰りたい。…こっちの道を歩いでもいいか?」
胸に手を当てたバスティンが申し訳なさそうに横路地を示してそう言う。その表情は何かを堪えるように、寂しそうに…。
「うん、いいよ!」
主様の無邪気な肯首にわずかに安堵した表情のバスティンは自分が行こうとする道へ主様をエスコートした。
デビルズパレスに急いで、しかし主様への配慮は忘れずに帰ると、自分の大剣へ一直線。主様はベリアンと紅茶の時間なので屋敷に着いてからベリアンに引き継ぎした。
買ってきたものもそのままに、中庭に出て素振りを始める。
(別にロノに恋人ができようが俺には関係ない。この屋敷でのルールがどうだかよくわからないが、ロノの自由だ。じゃあどうしてこんな…経験もしたことないような気分になるんだ…)
ヒュンッ、ヒュンッーーー
素振りを始めてどのくらい経ったか、何回大剣を振るったか…振った数を数えていないし時間も測っていない。いつやめるかも分からない。ただ、大剣を振るっていないと、自分自身でもわからない、この心の奥底から湧き上がる感情に飲まれてしまいそうで、ただひたすらに振り続ける。止めたら飲まれてしまうから、止められない。腕が千切れようと、肩が外れようとかまわない。そう、ただひたすらに大剣を振った。
「…ン…おい、バスティン‼︎」
己を呼ぶ声が聞こえて、ハッと我に返る。見ると、少し怒り気味のハウレスがバスティンの肩を掴んで素振りをやめさせようとしていた。
「お前、それ以上やったら剣が持てなくなるぞ‼︎ もうやめろ‼︎」
キツイ叱咤の声に止めた腕は、もう動きそうにない。いくつもの血豆が潰れて痛い手から大剣の柄が滑り落ちる。重量がある金切り音を立てて大剣は地面へ落ちた。しかし、持ち主は微動だにしない。ただ立ち尽くして、俯いているその表情は読み取れない。
「たくさん素振りをしたからと言って一朝一夕に力はつくものじゃない。毎日の積み重ねだ。バスティン、それはお前が1番よく知っているはずだ。なのになんだ、今の訓練は!? 腕も肩も痛めて、戦えなくなるようなことをして自分の未来を潰すようなこと…」
「は、ハウレスさん、ちょっと待ち! バスティンが…」
そばで見守っていたアモンがハウレスにストップをかける。実は、異様なバスティンの無茶な素振りを見かけてハウレスを呼んだのはアモンだった。アモンでは止める自信がなかったからハウレスを呼んだのだ。
そんなアモンが、大人しくなったバスティンの顔を覗き込んで異変に気付いた。
アモンの焦ったような表情にハウレスも回り込んでバスティンの顔を覗き込む。…バスティンはなんと…唇を引き結んで、ただひたすらに静かに涙を流し続けていた。次から次へ流れては落ち、流れては落ちる涙。声も漏らさず、噛み殺すように、抑圧するように…。
「え…っと、どうしたバスティン…? なにか…つらいことが…?」
さきほどとは打って変わったようにハウレスは戸惑い、尋ねる。
アモンは心配を全身に纏うようにして、バスティンの頭をよしよしと撫でる。
「悲しいっすか…? 何か話せそうなら聞くっすよ…?」
ずっと静かに泣くだけかと思われたバスティンの上半身が不意に小さく揺れる。
「…っ危ないっす…!」
1番早く気付いたアモンがバスティンの両腕を掴んで彼の姿勢のバランスを保とうとする。しかし、バスティンの身体の方が力が入れづらいらしく、アモンの両腕に震えながらすがって立っていようとしているようなのだが、努力虚しくズルズルと座り込んでしまう。三角座りをして、膝の間に顔を埋めてしまった。アモンはバスティンの背中をさすってやる。
「落ち着くっすよ〜、バスティン…」
そんな折、ロノが屋敷に帰ってきた。
「バスティンどこ行きやがった!? アイツ、買った物そのままにしてなにし…」
1階執事室に置きっぱなしだった荷物を手に、小言でも言ってやろうとやって来たロノは予想外の光景が広がっていることに瞠目した。
「ハウレス? アモンさん? どうしたんですか?」
ピクリ…と、渦中のバスティンの肩が揺れる。しかし、指先が小さく震えただけで、まるで動き出す気配がない。アモンの腕にかかる重みがいっそう増したようだ。
(え? 発作が酷くなってるっすか…?)
バスティンはロノの声がしたとき、すぐにここから離れたかった。顔を見たら、自分の感情がどこまで膨らんでしまうかわからない。そうなる前に去りたかったのに…。身体にどうしても力が入らない。指先をピクリと動かせただけでそれ以上の動きは取れない。首を上げようとしても、重たい鉛を乗せられたように沈んでいく。意識がはっきりしているからこそ、ロノの気配を感じて、その度にこの経験したことのない感情が強くなる。しかし、その気持ちに反比例するかのように身体から力が抜けていき、アモンの腕に深く沈み込んでしまう…。
「アモンさん、ハウレス? なにして…バスティン?」
アモンとハウレスが取り囲んでいるものが何か気になったロノが近づく。アモンの腕に支えられてうずくまっている背中はバスティンだった。
「ロノ、何があったか知らないっすか? バスティン、帰ってくるなり素振りを始めて…それも際限なく続けるから肩を痛めそうで、ハウレスさんが止めてくれたんすけど…」
困ったように話すアモン。
「肩を壊しても構わない勢いで素振りしてたんだ」
ハウレスのお手上げだというふうな口調。
「ええ…? 何が…って、別に何も…」
2人から聞いた話から自分の記憶を辿るが、これといって何かがあったというものの覚えがない。いつも通りだ。いつも通り喧嘩して、何もなかったかのように2人で調理をして…。特記して何があった、ということなんて何も…。
(…そんなこと考えてるより本人に聞く方が早いだろ…)
そう思ったロノはバスティンのそばにしゃがむ。
「おいバスティン‼︎ なんだ、どうしたんだ? ちゃんと言えよ!」
「……………」
「あ、ロノ…たぶんこれ…発作起こしてて力入ってないんすよ…。たぶん喋れないんじゃ…」
「はぁ? なんだよ本当に何があったよ…? ていうか、発作の回数めっきり減ってたのに…」
感情の動きが大きいと脱力する発作。バスティンがデビルズパレスに来たばかりの頃はそれこそよく起こしていた。彼の場合、鍛錬して筋肉を鍛えていればある程度抑えられて、倒れるに至らずに済むくらいには改善することに成功していた。そもそも彼は普段からあまり感情を動かさない。それは発作を起こすのを嫌って意図的にという部分もあるし、もともとの彼の性分もある。それが、今…。
そこへ、主様がいらっしゃった。
「あ、ロノ! おかえり。綺麗な女の人といたね! あの人誰?」
「…え?」
「ロノは調理してるとばっかり思ってた。バスティンも一緒にいたんだけど…ロノに会わない道を行こうって言われたから、声かけなかったんだ、ごめんね」
「女の人…? ロノ、食えないっすねぇ…」
「あ、ち、違いますよ! バスティンに伝え忘れたものがあったから追いかけたら、バッタリ会って道を聞かれてそれで…」
バスティンの肩がまたピクリと動いた。
「えー? それにしちゃあ、親しそうだったねぇ。伝え忘れたものがあるから追いかけたにしてはオシャレな服着てたし…」
「そ、それは、伝え忘れを思い出す前にフルーレに着て欲しい服があるからって持って来た服を試着して、それを着てるときに思い出してそのまま飛び出したんですよ…」
「え〜? そうなんだ〜♪」
楽しそうな主様の追求にタジタジのロノだが、本当にただ道を聞かれただけだと言い切った。
「ち、ちょっと、俺に飛び火するようなこと言わないでよロノ〜!」
フルーレがプンスコ怒っていたという。
「あれ…?」
アモンが何かに気づいて手元を見た。ずっと支えていたバスティンの様子が…これは…。
「寝てる…?」
「え…?」
見ると、アモンの腕にもたれたバスティンの意識はすでになく、涙の跡を残したまま安堵した表情で眠りこけていた。
「え、嫉妬…?」
「そうっすよ、ハウレスさん。勘違いだったけどバスティンはロノに嫉妬してたんすよ〜」
「…よくわからないが、勘違いだったんだな。良かったな…」
「う〜〜〜ん…伝わってないっすかぁ…?」
アモンの独り言が地面に落ちた。
バスティンは1階執事室で寝かされている。窓の外の陽の光に照らされて涙の跡が光っている。
(泣いてた…? あのバスティンが…? 発作起こすほど泣いてたのか…?)
ハウレスから、「無茶な素振りで手の潰れた血豆や肩や腕の筋肉の痛めたところを冷やしてやってくれ」と渡された氷嚢を困惑しながらあてがっている。
バスティンの涙の跡を人差し指で拭ってやる。
(こんなに悩んでくれたのか…? オレのことで…?)
泣き疲れて寝た、とも取れるし、自身の考えが勘違いとわかって安堵した寝落ちとも取れる。
彼の場合自分の気持ちに無自覚で、わからないなりに感情を昇華するために無茶な素振りをしたのだろう。いくら大剣を振るっても収まらない感情に戸惑いながら…。
(オレのことで頭がいっぱいになるんだろ? …悪くねぇな、それ)
自覚できない気持ちが知らぬ間に大きくなって、溢れてこの頬を流れたのだ。この涙の跡はその感情の軌跡。
「………」
ロノは、感情の軌跡に一つキスを落とした。
「………?」
顔を上げると、バスティンの紅紫の双眸が開いた。トロンと甘い寝起きの瞳を半分開けて、慌てたように耳まで赤くなっているロノの顔を見る。キスで起きるなんて、おとぎ話のプリンセスじゃないのだから…。
「お、お前っ、起きるなら起きるって言えよな!」
両頬を上気させたロノが空色の瞳を逸らして口元を腕で隠す。
「………今…何かしたのか…?」
ぽやぽやな表情で的確なことを訊くバスティン。
(…なっ…コイツ、寝起きなのになんでそんな鋭いんだ…)
「べべ、別に何もしてねーよ」
さっきよりもっと眼を逸らしたロノが答える。
「そうか………」
「って…」
ロノの返答を聞いたバスティンは再びゆっくりと瞼を下ろした。そのまま秒で眠りの世界の住人になった。
「二度寝すんのかよっ‼︎」