上裸の二会敷の背に付いた跡を見て、所は二度目の赤面をした。二会敷は気付いていないようで、振り返ると顔を赤くしている恋人に首を傾げる。
「どーしたの」
「あ…いや」
所は慌てて誤魔化そうとするも、間に合わないようだった。首を傾げたまま、二会敷が所の行動を思案している。勘の良い相手である。思考能力も常人より早い。気付かれるのは時間の問題だ。その前に所に許されたのは、誤魔化すために話題を変えるか、あるいは自白するかである。
「…その、君の背中に…残ってしまって」
「ああ。あー。あんなにしがみついたらねえ」
「そんな言い方ないじゃないか…しがみつかせておいて」
「ごめんごめん、そういう意味じゃないんだよ。可愛いね」
所は何も言わなかった。膨れたのだ。二会敷は言葉だけで謝りながら、膨れる相手を宥めるように抱き寄せる。よしよしと背を撫でた。所も上裸だったのだ。だから生身の肉体のぬくもりを貪るように、おずおずと手を回す。
そんな蜜月を過ぎると、次第に仕事を優先し合って、その甘い時間は無くなった。久しぶりにようやく再会した時には、少しだけの蜜月の思い出に縋るだけで、目の前の相手には急速に指先が冷めていくような気がしたのだ。もうこれっきりかもしれない。そう伝えると、所は悲しげに目をゆがめた後、呟く。
「君にとって愛とは、近くにいる人と育むものなんだね…」
あれ?
「だったら最初から、選ばれなければ良かった。時間を無駄にさせてごめんね、…今までありがとう」
もしかして間違えたのか?
愛の定義とは、近くにいた者と育んで…植物に水をやるように少しずつ育てる物じゃないのか。あるいは、もしかして、凍結させた瞬間の愛を大事に溶けぬようにその身に抱えているのが、氷を溶かさぬように必死になるのも…愛なのか? その答えに気付いた時には、既に遅かった。所はその大事な物を地面に捨てて、自分の前から去ってしまったような気がした。未練を残さぬために、わざと。気を引くでもなく、駆け引きをするでもなく。
あれ、一人じゃダメだったのかな。今まで縋ってた蜜月の思い出が急に目の前に、肌に、耳に、色濃く映る。残念ながら、においは覚えていなかった。人間の記憶は万能な物では無いからだ。きっとこれからもっと時間が経てば、次は君の肌の感触を忘れる。あれ?
それって、ものすごい損失である気がした。
二会敷は走り出す。所と別れたのはつい先ほどで、思考を巡らせたのもほんの一瞬の出来事だ。成人が本気で走れば、所はすぐ見つかった。その腕を取り、体を引き、自分の方に向かせる。息切れする中で、二会敷は所の泣き出しそうな顔を見た。
ばちん。
横っ面をひっぱたかれた。それなりの力である。所とて力が無いわけではない。二会敷を振り払う力は無いものの、否、彼にはあるものの…それをしなかった。その代わりに空いた手で力一杯に頬をひっぱたいたのだ。
「…君ねえ…」
蚊の鳴くような声が、所の口から漏れる。二会敷はまた間違ったのかなと思った。だが正解は、必死に頭の中で計算しているのに一向に計算式が見えない。その代わり目の前に現れるのは感情論、感情論、感情論! 失いたくない、失いたくない。意味は分からないけれど、失いたくないんです!
「間違えたんだ」
ぽつりと二会敷が言うのに、所はがっくりを肩を落とした。もしかしたらまた間違えたのかもしれない。だがそれでも、弁解をしなければならない。失いたくないなんて今更言えやしないけど、でも、それを言わなければならない。
「…ごめん。ごめんね。間違えてた。定義は、チカの言うようなものじゃない」
「こんな老いぼれ、泣かせたら罰が当たるよ。もう、ひっぱたいたけど」
ぐす、と所は目頭を手の甲で擦る。緊張しているように肩がいかっていたが、すぐにすとんと落ちた。その諦めの良さは、年齢相応かもしれない。この諦めが先に来る人間を、自分は繋ぎ止めなければならない。
なんだろう、そのための魔法の言葉は? 一言で決着が着くような、それでいて全てをひっくり返すような言葉は?
「もしかして、一言で済ませるつもりじゃないよね?」
所が見透かしたように言うので、二会敷はうぐっと思わず喉が詰まった。愛を囁くだけじゃ足りない。弁解するだけじゃ足りない。全てを詰め込んだ便利な言葉など、あるわけもないのだ。
所がふふっと笑う。
「そんな魔法、この歳じゃもう効かないから。あとは、君の誠実さだけだよ二会敷くん」
どこまでも彼は年上である。老獪である。自分の下で喘いで、自分にしがみつくのに、いざとなったら奇妙なまでのしたたかさで、いつも足元を掬われてしまう。それが年齢の差なら、自分にはどうしようもないし、どう頑張っても埋められないのだ。その事実が深く身に沁み込み、二会敷ははあと大きく息を吐いた。そして意を決したように顔を上げる。所を真正面から見た。
「あのねチカ。前言撤回…ってわけにはいかないよね?」
「年下だからって甘えたら怒るよ。ちゃんと説明してくれれば、挽回の機会は与えられるかもしれない」
「…はい。努力します」
所はそこで涙が渇いた赤い目であるが、笑った。その顔を見ながら、そうだなと思った。型にはめた愛をしたければそもそも選ぶ相手では無かったのに、これは自分のエゴだったと。自分の中に違うものが根付くのを恐れて、通説に流されて…今自分から手放そうとした。それがなんと愚かだったのだろう。
「ごめんね」
「…ふふ。でも、振り回されるのも、こうしてすれ違うのも、君がいなきゃ出来ないことだからね。変かもしれないけど、それが少しだけ、嬉しい」
きっとまた裸に付いた跡を見て、所は恥じらってくれる。その確信で、二会敷は彼を抱きしめるのだった。
こちゅこちゅと擦れる音に、大男が身を震わせる。その様が無様だとは所は言わない。かえってこちらが征服欲で興奮するほどである。そんな感情など、過去に歴史上で何人の人間が覚えただろう。過去に何人がこの思いを探しただろう。そんな思いを馳せながら、人類の一つの歴史を自分も紡ぐのだ。
腰を激しく振るのは、自分の年齢では専売特許ではない。だからあえて弱点を責め立てて、自分の明日の腰も守って恋人の満足も引き立てたいものだ。その目論見はうまくいき、ひいひいと二会敷が喉を仰け反らせる。
「やだ、やぁ。あん、シゲ、さ、ぁああ」
「何がいやなの?」
「そこ、そこばっかずるい。ずるぅ、い。ぼくおかしくなる」
「なんで? どうしておかしくなるの?」
所は言葉で責め立てているつもりはない。ただ優しく問いかけているのだが、今の絶対的な状況でーー所は二会敷を抱いていてる、その中では責め立てている所が優位で、二会敷は享受している状況だ。ひく、と彼の喉笛が鳴る。その喉笛に噛み付いたのなら、と所は想像してみた。若ければその位の蛮行はしていただろう。それほど無防備に、わざと所に向かって晒すように二会敷がしているように見えるのだ。それにつられるように、わずかに残った雄の本能がそうさせたのか、所は甘噛みをした。ひゅう、と二会敷が息を呑む。だがすぐにその甘やかな、歯が突き立って肌にめり込む感覚にぞくぞくとして、より息を荒くした。
「ひ、ぃ。ひぃ…」
噛みちぎったとて、二会敷は恍惚と甘く顔を蕩けさせるだろう。無惨な暴力は、今体を包んでいるセックスという大きな性的な快感に飲まれるのだ。想像だけでも蕩けている二会敷を、所の腰が激しく叩きつけて現実に引き戻した。
「…ッだから、ぁ! それだめだってぇえ」
「だめじゃないよ」
「やだ、やだぁあ。おかしくなる、って……!」」
二会敷の手が力なく所の手を掴む。その手を所は優しく掴んだ。所の体で、今二会敷に優しくないのは腰と性器だけだ。他は甘やかすように手は頭を撫でて、頬を撫でて…耳をやさしくなぞって、鼻水や涎が出る顔をやさしい顔で眺めている。下半身と上半身のギャップに、頭をひきつらせるような快感に、二会敷はおかしくなりそうだった。
「あぁああーー…!」
達する瞬間にきゅうと手を握り合う。その優しい手に縋りついて、二会敷はひんひんと鳴きながら絶頂した。きゅうと所が握り締めると、二会敷もきゅうと握り返す。はあぜえと息を切らす顔に、所は顔を近付けると軽く口付けた。だが二会敷がぐんと体を反り上げ、一気に唇を擦り合わせて舌を絡めるのだった。
「んむ、…」
所はその勢いに圧倒される。二会敷は年下だ。そのせいかどうにも圧倒されることもあった。二会敷の吸い込むような激しい口付けに、所は少しだけ酸素が遠くなっていく気がした。
ぷは、と口付けが終わる。先程まで二会敷を責めていたのは所だったのに、まるで立場が逆転したようだ。二会敷の腕が所の顔を引き寄せようとする。所はあっという間に、布団に寝転んでいる二会敷に引きずられるように倒れ込むのだった。
「わ、…と。どうしたの」
「ふふ。さっきのすごく良かったぁ…だからさ」
二会敷の手に引かれ、所はぐるんと体を布団に引きずり倒された。
「次シゲさんの番ね」
「えっ」
「最近僕のばっかだったからさ。そろそろシゲさんの可愛いところ見たいなぁ」
「…用意はしてるけど、でも」
「明日休みでしょ?」
ちゅ、と二会敷が所の手の甲を取って口付ける。そのキス跡を消すように、べろんと肉厚な舌が舐め取った。所はその無遠慮な行動に、背筋がぞくりとする。二会敷は本気であろうし、こちらの意図を汲む気はないのだろう。
「だめだよ。僕だけなんて。シゲさんもめちゃくちゃにならないと」
「でも、誰も動けなかったら」
「だーめ」
こうなると二会敷は聞かない。所はなんなく年下の恋人に押し倒されてしまった。その顔は先ほどの鼻水を少し拭いた程度だが、抱かれているのと同じような愉悦に満ちている。
「めっちゃくちゃにしてあげるからね」
前立腺を殴るような激しさがあった。所は二会敷の好きな律動をずっと続け、一向に衰えない事でゆるやかだが終わりのない性感を引き出したが、二会敷のが幾分か若いせいで激しさは避けられない。後孔が焼けるように熱くなりそうだ。準備をしているとはいえ、激しい動きに所は息を切らしながら二会敷にしがみついた。
「あー!」
「気持ちいい? ねえ気持ちいい?」
二会敷は腰を叩きつけながら、顔を近付けて尋ねて来る。
「も、もっとゆっくりぃ…」
「だめ。だーめ」
「やぁ、ああっ。だめ、だ…それゆるし、」
所がひんひんと鳴くほどに、しがみつく肉体に爪を立てるほどに二会敷は嬉しそうに所を抱きかかえて抱き潰そうとしている。若くて大きく厚みのある肉体から、所の力だけでは逃げ出せるわけもなかった。じたばたと足がばたつくが、それも結局二会敷の腰に絡みつく。
「あぅ、あ、あ、あ! だめ、だめだめ動けなくなるから…!」
「動けなくなろうよ、一緒に。ベッドでごろごろしよ?」
「そん、そんなぁああ…」
「ほらほら、ここ。大好きでしょ」
「あぁああああッ。あーッ! あぁんっ」
「可愛いねえ。気持ちいいでしょ」
「それ、それは、やだから…」
「まだ認めてくれないんだ?」
「そこ、そこやだ。だめだってぇえ…!」
「あーすっごい締め付け…きもちいー」
そう言いながら二会敷は腰をぐるぐると回すように動かした。中を広げられるように抉られ、所は大きく喘ぐことしか出来ない。そのうち、所は大きく体を震わせた。絶頂したのである。
「あああああ!」
「…はー。はーぁ…良かった…」
使用済みのゴムの入り口をぐるぐると巻き、捨てるように振りかぶろうとするが、今の脱力感と幸福感に満ちた手ではゴミ箱に命中しないだろうと思い直し、手が素直にその場でシーツに落ちる。
ゴミはあるけれど、今はいいや。寝てしまおうかと二会敷は所の体にのしかかると、ベッドの下にこっそりとゴミを落とすのだった。目が覚めた時、所に怒られるかもしれない。忘れないようにしなければならないが、年上の恋人に今は沈み込んでいようと思った。もう向こうは息も絶え絶えである。所はぐす、と鼻を啜って二会敷を睨むのだった。
「もう…」
「へへ」
二会敷はいたずらっ子のように笑う。所は少し怒りたかったものの、体を包む感覚は疲労だけではなく甘いものもある。その感覚に溺れても今はいいかもしれない。所はころんと二会敷の肩に頭を乗せる。その行動に、汗だくだが二会敷も満足そうに目を細めて笑った。結局、その日は互いの体力が回復するまで動けなかったのだった。