雨が降っていた。
体の芯まで染み込むような、細く静かで冷たい雨だった。
視線の先には黒い喪服に身を包んだ人々。同じように黒いスーツを纏いながら、承太郎はその中に入ることは許されず、少し離れた場所に佇んで目の前の情景を見守っていた。
泣き崩れる女性を周囲は気遣いながら建物から運び出された棺が車に乗せられるのを待っている。
雨に濡れないようにと建物の入り口に車の後部を寄せて積み込む様子は承太郎の位置からは見えない。
やがて後部の扉が閉められ、その両親が続けて乗り込んでいく。ごく僅かな身内だけで送るのだろう。車を見送る人数は少ない。それでもそんな人々に向けて車はクラクションを一度だけ鳴らす。
静寂の中厳かにそれは長く響き渡り、悲しみだけを残してゆっくりと空に溶けていった。
目の前を通りすぎる車に承太郎は頭を下げる。そこに立っていることに気付いていたはずの家族は承太郎へと視線を向けることはなかった。
エジプトでの戦いが終わって日本に戻って来たとき、承太郎は出迎えたホリィの姿にひどく安堵した。無事にDIOを倒し、母親の意識が戻ったことは知っていたがそれでも顔を実際に見たことで助かったという実感が湧いたのだ。笑顔で自分と祖父を迎える母親。日常を取り戻したことを自分もジョセフも素直に喜んだ。
そうして当たり前の日々を取り戻した時、ふと花京院の家族を思った。
もしも自分が家についた時に母親が既に亡くなっていたら。その顔に白い布が掛けられていたら。
間に合わなかったことを自分はひどく後悔し、打ちのめされただろう。
結果として間に合ったことで自分達は笑い合えている。けれど、花京院の家族は。
変わり果てた息子の姿に彼の両親は何を思うのだろう。笑っている自分達を恨めしく思うだろうか。怒りを、感じているのだろうか。それとも、ただただひたすらに絶望をしているのだろうか。
花京院は戦いの最中、その命を落とした。最後のその瞬間までDIOを倒すことを考えていた。
そのおかげで自分達はここにいる。
花京院の性格を考えればそのことで自分達を恨むことはないのだと思える。あの結果を選択するほどに彼の魂は気高い。それでもそれを彼の両親が受け止めることは難しいだろう。彼らにスタンドは見えない。花京院が何のために旅に出て、戦いに身を投じたのか理解することはきっとできない。それでも息子の死は厳然として彼らに突きつけられるのだ。
確かめれば、花京院の葬儀は翌日だった。急いで家を出て、承太郎はジョセフと共に向かう。
転校してきたと言ったのは自分を襲うための方便だったのか、彼の実家は遠かった。
その日はホテルに着いたのが遅かったため、翌朝持ってきたスーツに着替えて斎場へと向かう。
学生は制服で葬儀に参列できる。しかし、自分の改造した学ランではその場に相応しいものではないと、別にスーツを用意していた。
普段着慣れない黒いスーツはそれでも端からはそれなりに見えるだろう。大柄な体と整った彫りの深い顔立ちも相まって承太郎は高校生には見えない。
持ってきた香典を帛紗に包んで内ポケットに仕舞う。
そして向かった斎場はひっそりとしていた。身内のみで行うつもりなのだろう。一般的な葬儀のように、入ってすぐに参列者が受付をするというような準備も為されていなかった。そこでジョセフが近くにいたスタッフに声をかけると直接家族の元へと案内される。
彼らにどう説明があったのか自分は知らない。それでも精一杯のお悔やみをとジョセフの少し後ろについて歩いていった。
そして案内されたのは本当に小さな部屋だった。
身内以外が訪れたことに不審そうな視線がこちらへと向く。前に立つジョセフが名乗った瞬間、不審は怒りへと変わる。
「出ていって!!」
悲鳴のような女性の声が自分達へとぶつけられた。
考えてみれば当たり前のことだ。自分たちのせいで息子が死んでしまったのだとそう思えば弔問にやってきたことそのものが許せないだろう。
頭を下げ、香典を差し出しても受けとる手はない。母親と思われる女性が叩きつける怒りはひどく痛い。自分達が安易に母親の、娘の無事を喜んでいた時、彼女は絶望に叩き落とされていたのだから。
憎しみと怒りと悲しみが綯交ぜになった叫び。夫と思われる男性が彼女の肩を抱き、自分達から離して部屋の中へと連れていく。そして少しして戻ってくると静かにこの場を去るようにと告げた。
あなた方の弔問は必要がない、と。これ以上自分達の悲しみと怒りを逆撫でするような真似はしないでくれと。
発狂したかのような母親の怒りも、父親の静かでありながら喪失をもたらした自分達への憎しみも向けられて当然のものだった。
それ以上言えることなどあるはずもなく、ジョセフに促されて承太郎は建物を出る
。
着いた時にはかろうじて空に留まっていた雨は、今は静かに降り注いでいた。
ジョセフの呼んだタクシーはすぐにやってきたがそれに乗って帰る気にはなれず、承太郎は入り口の見える少し離れた場所に立つとそのまま人の出入りを見ていた。
自分達が出てから新しく入っていく弔問客はいない。細く冷たい雨は承太郎の黒いスーツを更に色濃くしていく。
かじかむ指先。それでもあまり寒いとは感じなかった。きっとアイツはもっと冷たかった。そんな風に思っていたからかもしれない。
しばらくして車が入り口につけられ、花京院の家族が建物から出てきた。母親の手にはおそらく遺影が。そして父親の手には白い箱が。
積み込まれる棺と車に乗り込む家族。そして見送る数人の姿。
友人の出棺を、承太郎はただ頭を下げて見送った。
ホテルに戻り脱いだスーツの内ポケットに入れてあった香典はすっかりと濡れてしまい、そこに書いた自分の名前は滲んでいた。
そこにぽつりと雫が落ちる。
名前は更に滲んで、もう読めない。
それが髪から落ちた雨の雫ではなく、自分の涙だったことに気づいたのは嗚咽がその口から溢れた時だった。
悲しいと、そんなことを思う資格が自分にあるのだろうか。こんな風に泣くことが許されるのか。
そう思っても涙は止め処無い。
結局承太郎は日本に戻ってから花京院の姿を見ることはかなわなかった。
両親の拒絶も仕方のないことだと分かっている。
それでも友として会いたいと、線香を上げさせてもらいたいという思いは消えなかった。
それが彼らの怒りに火を注ぐことでも、悲しみを抉るような行いだとどれだけ詰られても諦められなかった。
日常に戻って承太郎は学校にも行かなければならない。自分だけが日常に戻ることを彼らは不実だと思うのかもしれない。だが、自分の今が花京院によってもたらされたものだからこそきちんと生きていかなければならないのだと思う。
だから承太郎は平日は学校に、そして休日に花京院の家へと向かう。
行くたびに罵倒され、詰られた。
それに反論することもなく、ただ線香を一本だけでいいので上げさせてくださいと頭を下げた。
許されなくても、何度でも。
そうしてしばらく経ったある日、いつもなら出てくる母親の変わりに父親が出てきた。
こんな風に何度も通うことは、きっと静かに悲しみを沈めようとする家族を追い詰めることでしかない。殴られても仕方のないことだと承太郎は黙って頭を下げる。まるで馬鹿の一つ覚えだと自分自身ですら呆れてしまう。それでもそれ以外にできることが分からなかった。
そんな承太郎を見て、父親は小さくため息を吐くと玄関の扉を大きく開いて中へ入るようにと促す。
「妻は、今は実家に戻っている。正直君にこんな風に何度もやって来られるのは迷惑だ。息子を喪った母親の前に、生きている君の姿を見せるのは繰り返し突きつけられる絶望に他ならないということを分かっているのだろうか」
「……申し訳ありません」
「それでも、それが私達の逆恨みだということも分かっているんだ。だから君の望み通り線香を上げてもらおう。しかし、妻は君を受け入れられない。だからこれきりにして欲しい」
「……分かりました」
父親の言うことは尤もなことだった。一度だけでも許されたことそのものが彼の寛容さを表している。
仏間に置かれた仏壇の側にはたくさんの果物やお菓子、そして母親の作ったものだろう夕飯のメニューのようなおかずも供えられていた。
きっと帰ってきた息子に食べさせたかったものなのだろう。もうそれを食べる息子はいない。それでも、と。母の息子を悼む思いがそこには溢れていた。
目の前に飾られた遺影には少し澄ました顔の花京院がいる。そんな顔、見たことがないと承太郎は思う。記憶にある花京院はいつだって表情豊かで。
笑顔も敵と対峙する勇ましい表情も、蘊蓄を語る少し得意気な顔もその写真からは見えない。
そしてその前に置かれた白い箱。
出棺の際に父親が抱えていた箱。その時には空だったそれに今は花京院が入っているのだ。
そのことに思い至って承太郎はまるで喉が詰まったように息苦しくなった。
もう花京院はいない。
自分より少しだけ低い位置にある頭。
それなりに筋肉質なのに華奢に見える優雅な立ち姿。
それら全てがこんな小さな箱に。
彼の前で、彼の親の前で泣く資格なんてないのに、どれほど歯を食い縛っても溢れた涙は頬を伝っていく。
線香だけでも。そんなことさえ自分はできない。
───ああ、俺は花京院が好きだったんだ。
全てはもう今さらでしかない。
強くて優しく、その気高い魂はもうここにはない。
真っ白い箱がただ眩しく承太郎の心に突き刺さるばかりだった。
震える指で置いてあった線香を摘まんでみたものの、結局それに火をつけて花京院へ手向けることはできず、後ろで待っていた父親へと謝意を告げた。
散々無理を言って家に入れてもらったのに、この様だ。きっと呆れて怒りを深めているだろうと。けれど予想に反して花京院の父は座ったまま承太郎に向かって深く頭を下げた。
「あの子を悼んでくれてありがとう」
「……申し訳、ありませんでした」
「こんなことになって、許せないという気持ちはある。しかしそれを君に背負わせるべきだとは思わない。この前一緒に来た君の祖父は大人としての責任があったはず。あの子が、息子が自分で望んで行ったのだとしてもそれを諌めるのが大人だろう。連れていくのではなく、帰すべきだった。けれど、君は違う。私達にしてみれば君も息子を奪った者達の家族だ。それでも君もまだ子供で、子供が母親を救いたいと願うのも当たり前のことだ。そしてそれを手伝う者がいたらその手を取ってしまうことも。だから、私達は君を許せないと思うけれど、君は君自身の人生を生きて欲しい。あの子の分までとは言わない。けれど、あの子の死を無駄にしたと私達に思わせないでくれ」
静かな言葉は承太郎の心の奥、その深い場所に確かに響いた。
玄関先まで見送る花京院の父に承太郎はもう一度深々と頭を下げるとその家を後にする。
もう二度と自分はここに来ることはない。
墓参りさえきっとすべきではないのだろう。
自分の痕跡を彼の母が知ればきっとまた苦しめてしまう。
彼女がその夫と同じ考えかどうかは分からない。息子を喪って混乱している今はあんな風に冷静には考えられないだろう。この先落ち着いていくことで自分への憎しみを深くするのか、それとも夫と同じく自分に生きていけと思うのか。どちらにしてもそれは息子への愛があって。
だから自分はこれ以上彼らの感情を揺らすような真似はするべきではないだろう。
願っていた最後の花京院との時間を許された。それだけで十分だろう。
遺影と白い箱。そして記憶の中の花京院の姿だけを胸に自分は生きていく。それでいい。
彼を愛していたことを気づくことができたのだから。
自分なりにきちんと生きていこうと思っていた。
家族もできたし、研究も進んでいる。
しかし否応なく背負った運命は自分を離してはくれないらしい。
繰り返す襲撃に家族と離れることを選べばその心の距離も開いていった。
結局自分は胸に沈めた大切なものより特別なものを持てなかったのだろう。
戦いは続く。
目の前の少年たちは傷つきながらも戦い、そして勝利して笑い合う。
きっとこれが自分の欲しかった未来。
他愛ない言葉を交わして彼らは笑う。
不意に康一が承太郎に話しかける。どうもブランド好きな仗助との会話を承太郎へと振ってきたらしい。
「承太郎さんもお洒落ですよねー。白いコートとか汚れが怖くて普通着れませんよ」
「そうか?……白は永遠に穢れのないものだからな」
「えー?普通に汚れますって」
少年たちは笑う。
脳裏に浮かぶのは白い箱。
永遠に白く穢れのない、それは特別な箱。
了
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106:02
あお
わ😳ありがとうございました🙏
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向き
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初公開日: 2025年01月29日
最終更新日: 2025年01月30日
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