病室のドアが開かれる音が聞こえて、アントワーヌは後ろを振り返った。
互いに来るのを知っていたようにすぐに目を合わせ、話を始める。あたかも動揺なんてしていないと、落ち着いた空気を演出しているがまったくもって意味がなかった。見ていた二人からはただの見栄っ張りに映るだけで、その感情も顔から簡単に読むことができていた。
アントワーヌはあまりの雰囲気の違いに動揺をしているのだろう。なんども上から下にその姿を見返していた。赤い車のおじさん、パリのしゃれたお兄さん?そんなイメージはどこへ消えたのか、かっこいい髭は消え去り長いまつ毛も耳飾りもなくなっていた。もはやただのおじさんだ。
一方フリアンはというと、やっぱり動揺をしていた。アントワーヌがなんで当たり前のように父の病室にいるのだろうかと。もうそこまでビッグになったのかと、アントワーヌの目にじっと視線を当てていた。
「あの、いつまで続けてるの。そろそろ話したら?」
「ああそうか・・・・・・・。そうそう。今ちょうど話そうと思っていたんだけど。」
「そうです、そうです。」
どう考えても無理のある言い訳をして、おもむろにソファーに腰を掛けた。
「にしてもびっくりだなあ、本当に受かったんだな?」
「はい!本当にありがとうございました、おかげさまで、憧れに大きく近づいた気がします。」
「・・・・・・1つだけ聞いていいか?」
「はい!」
「その憧れは誰だ?」
深く息を吸って質問に重みがかかる。フリアンは鮮明に覚えていたのだ。自分の憧れを叶えてくれたあの言葉を。
「フリアンさんです!俺はフリアンさんのようなスターになりたくてここに来ました!」
「そうだったか。ありがとう。」
吸った息を吐いてフリアンは肩を落とした。この上ない笑顔をしていながら、彼の心の中は真っ暗だった。
「お父さん、あの人は誰?」
「彼か、何度も言っているようにお父さんのライバルだ。そしてナンバーワンのスター。」
記憶は、海のように毎日波を立ててゆるやかに流れていく。だが時々どうしても消えない忘れられない記憶というのもたまに出てくるものだ。フリアンにもそんな記憶がいくつかあった。
ルイ・ウィートンのステージに父が連れて行ってくれた日、初めて生で出会ったスターに感動を覚えた。
夢を見るようになった。パリのスターになると決めた日だ。だけどフリアンには知識がない。運動能力もない。他人に勝てるものが何一つとしてなかった。
彼の最大の恐怖は周りからの期待。父があの有名なディホールだと、周りが気付き始めたころから異常な期待に体が押しつぶされていったのだ。
「すごい」が「当たり前」に変わる。何をしたって誰も褒めてくれない。できるのは当たり前で、できなければろくでなし。フリアンはそのろくでなしになった。
スターになりたいという思いだけが彼の中では生きるためのたった一つの糧。でもその糧も現実に押しつぶされていってしまう。
そうしてたどり着いたのが、親の脛をかじりながら偽りの夢のかけらだけを追いかけるギター弾き。スターになんてまったくなれず、今や顔も名前も変えた自分を演じて、圧力から逃れるばかり。情けのない曲に足を止める人は誰もいるはずがなかった。
「おじさん、ギターめっちゃうまいっすね」
ある朝のことだった。見知らぬ学生がもう数十分とフリアンのギターに聞き入って動かなかった。フリアンはその少年が走ろうとする姿を見て、なんだか懐かしさを覚えた。
涙が出てきそうになるのをそっとこらえ、フリアンはその少年を学校まで送っていくことにした。何も高級車を自慢するためではなく、夢を思い出すために車に乗せるのだ。
赤い車が学校に近づいたころ、フリアンは聞いた。少年の憧れ、その夢を。
「おじさんみたいなパリのスターになりたいです!!」
誰の憧れにもなれず、ろくでなしと呼ばれた彼が初めて憧れと呼ばれた最初のシーンだった。
フリアンの夢はここですでに叶っていたのかも知れない。いつのまにかスターになるという夢は彼の中で誰かの目指す姿になりたい、という夢に変わっていたのだから。