公演稽古中に立つ、『Journey』のカウンターが好きだ。
稽古中に感じた役への共感、或いはまだ理解できない感情や行動、役の個性をうまく表現できない自分へのもどかしさ、など、稽古中に溢れて止まらない様々な感情から少し距離を置き、一度冷静になって稽古中に感じたものを客観的に捉えられる場所だ。
店を訪ねてくる常連客達との気さくな会話や、新規客たちとの新鮮なやり取り……日常と非日常のあわいのようなその時間に、ふっと稽古中の疑問やわだかまりが解ける瞬間がある。それがとても快い。
「皆さんと話していると、店主としても役者としても、それに人間としてもとても勉強になります」
「はははっ、いきなりどうしたんだい、ガイさん」
「それを言うなら、私たちの方がいつも勉強させてもらってるよ」
「そうそう。なにせ、ガイさんほど見識豊かで紳士的な人には中々お目にかかれないからね」
今日もカウンターの前で話していた常連客達の会話が琴線に触れ、ガイが感謝の言葉を述べると常連客たちの方が嬉しそうに言葉を返してくれた。
「いえ、私などはまだまだ若輩者で……」
「そりゃ、歳にすれば俺たちの半分くらいだろうけどさ……なんていうの? 人間の深みが違うよね、ガイさんは」
「人間の深み! まさにそれだね。私はガイさんの舞台も好きなんだけど、この前見た芝居もすごく良くてね……若い女の子たちがワーキャー言う気持ちがなんとなく分かったよ」
「わはは、確かに舞台の上のガイさんは格好良いよね。僕はこうしてカウンターの中にいるガイさんも好きだけど」
「確かに、マスターとしてここに居てくれなきゃ俺たちが困っちゃうね」
「皆さん……ありがとうございます」
深々と頭を下げるガイに、常連客達はそれぞれ優しくうんうんと頷いた。そして、話はそのまま先日の公演の話になる。
「いやはや……それにしても、MANKAIカンパニーの脚本って、いつもいいよね。私は結構観劇行くんだけど、一つの劇団でこんなに作風豊かで且ついつもクオリティが高い劇団って、そうそうないよ」
「ああ、それは僕も思うね。MANKAIカンパニーは前の代の時にも何度か観たけど、前の時とはまた違った面白さというか、特に若さと前向きさを感じるなあ」
「俺はガイさん目当てで冬組公演が最初だったけど、他の組見てたら秋組にハマっちゃってさー」
「分かるわかる!私は春組のあったかい感じも好きだなー」
「僕は夏組に元気貰って、冬組で癒されてますね」
常連客達の話を聞きながら、ガイは改めて皆木綴という脚本家の凄さを実感する。―――綴の脚本は、まるでカクテルのようだ。
同じ役者、同じジャンル……けれど、少し違ったエッセンスを加えるだけで全く違う世界を作り出せる綴は、ガイから見ると凄腕のバーテンダーのようだ。
そして更に凄いと思うのは、その綴られる物語が、役者の心にも観客の心にも的確に突き刺さり、時には励ましたり時には優しく癒してくれたりするところだ。
だから、この常連客達のように舞台について尽きない語らいができるのだろうと、我が事のように誇らしく思う。
(……だからこそ、俺自身が皆木の脚本に相応しい役者でいられるよう、日々精進せねばな)
美味しいカクテルが美味しいお酒あって成り立つものであるように、素晴らしい脚本を素晴らしい舞台に昇華する為には、そのエッセンスであるガイたち役者の力が必要なのだから。
その心強い役者仲間たちが、時折『Journey』を訪ねてくる。
「……ガイさん。『フォールン・エンジェル』を一ついただけますか?」
紬はバイト帰りや観劇後に寄ってくれる事が多い。甘めの優しいカクテルをゆっくり飲みながら、今日あった出来事を穏やかに話してくれる。
「今日観た舞台、すごく面白かったですよ。脚本もそうですけど、1つのボールを色んなものに見立ててて……身体表現も豊かでした」
「なるほど。月岡の得意分野だから、余計目を引かれるのかもな」
「そうかも……そうそう、それで第一幕の半ばのとこなんですけど……」
そして、どんな話をしていても、必ず芝居の話に帰結していく。その静かで熱い情熱が好きだった。
「ガイさん。『アフィニティ』を一つ」
丞はロードワーク帰りに寄ってくれる。ビールやさっぱりして飲みやすいカクテルを共に、今日の稽古のアレコレについて端的に話してくれる。
「第一幕の半ばの、紬とガイさんのシーン。今でもいいとは思うんですが、なんかこう、もうちょっと短く分かりやすく出来る気がするんですよね。そうすることによって、続いて俺の出る場面が……」
「なるほど。そう言われれば確かに重要な場面かも知れないな」
「あと、第二幕の頭なんですけど、さっき走りながら復習してたらミザンスをもう少し工夫できないかと思いまして」
「そうだな。次の稽古は監督と相談しながらその辺りから始めてもいいだろう」
丞の話は殆ど無駄なものがないので、リズムよく進む。普段は寡黙な丞も、芝居のこととなれば延々と途切れず話している。その分かりやすい気持ちが好きだった。
「ガイ。『ゴールデン・ドリーム』作って」
密はバイト終わりにねだってくることが多い。甘くて強い、ナイトキャプ向けのカクテルをくぴくぴ飲みながら、うとうととカウンターで微睡んでいる。
「御影。そこで寝たら帰れないぞ」
「うん…………起きてる……」
「御影」
「……大丈夫。ねえ……ガイ……ガイは、今日の稽古の最後、ちょっと、悩んでた?」
「……さすが御影だ。よく気付いたな」
「ガイは分かりやすい」
「ふっ……冬組とシトロニア以外にはなかなか言われない言葉だな」
「……だから、帰ったら……一緒に…………稽古……すぅ」
密は話しながら静かに眠ってしまった。ガイはふっと微笑んだ。
「ああ、頼む」
カウンターに突っ伏した密にブランケットをかけてやりながら、ガイはその優しい気遣いが好きだと思った。
「ガイさん。また『カリフォルニアレモネード』を作ってくれないかい」
誉は仕事終わりに時々立ち寄ってくれる。スッキリして美味しい、見た目も美しいカクテルを傾けながら、今日あった出来事や出来上がったばかりの詩を休むことなく披露してくれる。
「……という訳でね、今日はとても詩興の湧く一日だったのだよ! そんな、今日の終わりに……うぅっ、ガイさんの美味しいカクテルを飲めるなんて……うううっ、ワタシは、ワタシはなんて幸せ者……おおおおん」
「有栖川。ハンカチはこちらだ」
「おうおうん、ガイさん……」
最終的には泣き出してしまうことも多い誉だが、その表現も感情も豊かなところが好きだと思った。誉は話したいこと・表現したいことが山ほどあるから稽古の話を外ですることはあまりないが、この豊かなところが誉の芝居に活き、ガイや冬組の芝居に影響していることをガイはよく知っている。
「ガイ。『カイピロスカ』が飲みたいな」
東は一番よく立ち寄ってくれる。ふらりと現れ、色んなカクテルからマニアックなお酒まで、様々なアルコールを水のように飲みながら、静かにカウンターに座っている。時折何かを思いついたように話しては、また静かに酒を傾ける。
「……そういえば、さっきストリートACTしてる紬と丞を見かけたんだ」
「声を掛けなかったのか?」
「掛けようかとも思ったんだけど、ストリートACTが終わったらすぐに反省会始めて、邪魔しちゃ悪いかと思ってかけてないんだ。ただ、二人ともボクには気付いたみたいだったから、そのうちここに来るんじゃないかな」
「そうか」
「ふふふっ、あの二人は本当に演劇バカだよね」
そういう東の満月色の瞳にも仄かな熱が宿っており、そういうちょっと素直じゃないところも好きだと思った。
カランカラン、とお店のドアが開き、噂をすればの紬と丞が現れる。
「あ、やっぱりここだったんですね」
「水臭いですね。声くらいかけてくれたら良かったのに」
「ふふ、ごめんね? 二人が随分熱心そうに話してたから、邪魔したら悪いかな、と思って」
そんな話をしていると、もう一度店の扉が開いて仕事帰りの誉が顔を出す。
「おや、みんな来てたのかい?」
すると、厨房の奥で料理を作っていた密も出てくる。
「……じゃあ、マシュマロピザ、6等分する。そしてオレは1ピースと1枚食べる」
……こうして、示し合わせなくても集まってくる冬組のみんなが好きだと、ガイは思った。
◆
ガイにとって、芝居は感情表現の原点だ。
幼い頃、役者だった父に連れられて観に行ったMANKAIカンパニーの舞台。その時の感動は、今も心の底に大切にしまわれている。義父と実母からの酷い仕打ちで一時は記憶も感情も封印しアンドロイドだと思い込んでいた過去は、その感動をきっかけとし、シトロンの采配と冬組の寄り添ってくれる優しさにより、無事に雪解けを迎え、人間である現在を取り戻した。
その際に『演じる』ということが少なからずガイの記憶を取り戻す手助けをしてくれた。役の感情を考える時、ガイは自分自身の感情にも向き合う。生来表に出ることの少なかったガイの感情は、向き合う度に磨かれ、豊かになり、溢れ出すようになった。とはいえ、周囲の人間に比べればごくわずかな変化だろうが、それでもそれを喜んでくれる友人が、ガイの傍にはたくさんいた。
「――ポンコツ。なーに嬉しそうに笑ってるネ? エッジヨ」
「エンジン? 確かに、嬉しそうに笑うのはいいエネルギー源になると思うが」
「違ウ違ウ! もう、ホントにポンコツはポンコツなんだから」
一番の友・シトロンが大袈裟に首を振って肩を竦める。ガイはそんなシトロンに苦笑しながら、最近輸入したザフラの酒で作ったカクテルを出した。
「……では、謝罪の代わりにこれを。オリジナルカクテル『ジャスミンの風』だ」
「オウ、ポンコツにしては綺麗なカクテルだヨ。褒めて遣わすネ」
淡い翡翠色の上に白い泡が乗ったショートカクテル。ザフラの特色的な配色にふっと微笑みながら、シトロンはくっと煽った。
《……ふむ。美味いが、『ジャスミンの風』などという名を付けるのなら、もう少し香りよくした方が良い。今度お勧めの酒を定期便に頼んでおこう》
《助かる。シトロニアの味覚は確かだからな》
「ふふふ、当たり前田の騎士老人ネ」
「棋士道人?」
ガイは軽く首を傾げたが、それよりも聞きたいことを思い出して話を変えた。
《シトロニア。タンジェリン王子とは、普段どんな話をしている? その時の為に何かしておくことはあるか?》
《? タンジェリンと? 傍にいるお前ならば、よく知ってるだろう?》
《それはそうなのだが……》
言い淀んでいるガイに、ピンときたシトロンは意地悪く笑う。
「その様子だと、クレハと話すのに困ってるネ!」
「……その通りだ。まだあまり機会はないのだが、いざ話すとなるとお互い少しぎこちなくてな……」
困ったように眉を下げるガイに、シトロンは「ガイはまだまだ新米お兄ちゃんネー」とけたけた笑った。そして、チッチッチと指を動かして、自慢のおもちゃを披露するようにガイに言って聞かせた。
「そういう時はどうすればいいか、劇団で習ったヨ? ガイもクレハも役者同士。役者が語り合うなら……」
「……板の上、という訳か。そういえば、最初の頃、高遠のことが知りたいと言ったら、ストリートACTに誘われたな」
あの頃は相手のことも自分のことも表面上しか分からなかった。けれど、一緒に芝居をすることでお互いの新しい一面が垣間見れるのが、不思議に思ったことを思い出した。
「板の上はまだ難しいケド、ストリートACTならすぐ出来るネ! ついでに、兄弟売りすれば、ジューザとクモンみたいにがっぽがぽヨ!」
「あの兄弟のようになるにはまだまだ時間が掛かりそうだが……そうだな。今度ストリートACTにでも誘ってみるか」
その時をワクワクしている自分に気が付いて、ガイはまたおかしくなって微笑んだ。
(やはり、俺の感情が動く時、芝居が寄り添ってくれるのだな。俺も立派な演劇バカの一人、か。それがとても――誇らしい)
「あ、また思い出し笑いしてるネ! このすべすべ!」
「? スベスベマンジュウガニがどうかしたのか?」
◇
ガイの役作りは、カクテルを作る時に似ている。
脚本というレシピを前に、まずは形通りなぞってみる。覚えは早い方なので、台本はすぐに頭に入り、動きもスムーズに再現できる。が、形通りにできて終わりじゃないところが芝居の面白さだと、冬組のみんなに教えられた。
何故この時にこういう台詞が出てくるのか、何故この瞬間こう動いてしまうのか……役の心情や周りとの関係性を考えながら、役と自分に交互に向き合い、台本に隠された本当の意味を探っていく……その果てのない作業が、ガイはとても楽しかった。
「……涯は役者に向いているな」
「そうだろうか? でも、父さんにそう言ってもらえるのは素直に嬉しい。ありがとう」
静かに、そして心から嬉しそうに微笑むガイを見て、父・徹は目を細めた。
「……涯は昔から物静かだったけれど、笑う時は本当に花が咲いたみたいにパアッと幸せそうに笑ってくれるんだ。私はその笑顔が好きで……他の人から見たら感情の起伏が小さいと言われるかもしれないけれど、舞台の上の涯は役の力を借りてとても感情豊かで何より楽しそうだ。そんな涯を見ていると、私もなんだかすごく嬉しくなるよ」
しみじみと呟く徹に、ガイは感慨深く頷く。
「……ありがとう、父さん。舞台が楽しいと思えた原点は、多分父さんと見に行ったMANKAIカンパニーの芝居がずっと心に残ってたからだ。だから、今はその劇団で、父さんに見守られて、かけがえのない仲間たちと、唯一無二の友と、一緒に芝居ができることを、本当に嬉しく思う」
「涯……そうか、そうか……!」
そのまま涙を浮かべた父の姿を見て、ガイはまた決意を新たにした。
(父の想い、シトロニアの導き、冬組や劇団みんなの支え……それらのお陰で、俺は今、ここに立っていられる。人生という長い旅路に必要な力を、ここで得られている。そのことに感謝を忘れず、これからも恩返ししていこう)【終】