こんにちは。これから日課の「毎日フリーライティング」を始めます。どうぞよろしくお願いいたします。
2024年12月26日(木)
虚脱、です。こんにちは。
昨日、東京ドームでやっていたアイドルのライブに行きました。妻が誘ってくれて、始めて行きました。これまで「アイドル文化」に対して否定的な立場を取っていたわたしが、それでも涙を流す瞬間がたくさんありました。感動し、感激し、揺さぶられた部分がたくさんありました。自分に対する戸惑いと憤り、それでも湧き上がってくる疑問、不安、いろんなことを感じました。そのうち言葉にしたいと思います。まだ今は書けないことのような気がします。
今書けそうなことでひとつ。日本の女性アイドル(AKB・坂道系)は、ずっとそこのグループに留まることが良しとされていない。それは彼女らを「JK(風俗用語)」として消費しているからであり、そこから「卒業」することがひとつの完成形になっている。どんなに可愛くラッピングされても、その形式が変わらない以上、しんどいな、とわたしは感じた。でも、昨日ライブを観て、それに(個人のレベルではあれど)抗おうとしている人がいるのかもしれない、とも思った。
当たり前だが、彼女らは人である。わたしはこれまで運がいいことに、アイドルになった友人、コンカフェ嬢になった友達、メイド喫茶で働いていた同僚と親しくさせてもらっていたことがある。もちろんこの三者は、別の3人である。
ここでその話をしたいのには、理由がある。その仕事を選んだ理由について、3人とも同じ理由を話していたのである。「自分では買えない可愛い衣装をたくさん着られるから」。わたしはそれを聞いて、「なるほどなあ」と納得した。彼女らが生まれてきたのは日本の不況時代。可愛い服はそうそう着られない。お姫様のようなドレス、可愛らしいメイクが心から楽しめるお仕事。なんと魅力的なことだろう。
その彼女らが選んだ職場が「彼女らを『JK(風俗用語)』として消費している場所である」というのは、なんとも皮肉なことだとわたしは感じる。彼女たちは自分の実現したいことがあって(それは大仰な「夢」ではなく、「可愛い服を着ておしゃべりして金がもらえたら嬉しい」とかそのレベルかもしれない)、それを叶えるためにその仕事を選んでいるはず。だけれど、仕事を覚えて、成熟してきた頃合いには、卒業を望まれてしまう。それは「JK」ではないから。未熟な少女が、大人になるための通過点。大人たちが失った「青春」を取り戻させるための道具。その装置として彼女らの職場は用意されている。彼女らはそれに気づけない年齢のときに加入してしまう。
そんな風に、やっぱりわたしには見えてしまう。
繰り返しになるけれども、それでもわたしは、昨日のライブを心から楽しんだ。コールも、演出も、すべてが大規模で派手。分かり切った感動演出でも、規模が大きすぎれば逆に面白くなる。「このアイドルが好き、というのもあるけど、何よりもライブが好き」と妻がよく言っているのだけど、それも本当に分かる。ライブじゃないと分からない良さ、ライブで楽しめる感覚が確かにあると思う。
だからこそ、怖かった。わたしが先に言っていたことを机上で考える前に、ライブに足を運んでいたとしたら? 考えがどうなったか、分からない。そこが不安になるくらい、圧倒的な「力」であった。権力、パワーというのは、そういうものなんだ。巻き込まれたら、揺さぶられてしまうんだ。そんな風にも感じた。

関係ない話かもしれないが、今朝見たニュースの話もしよう。
紅白歌合戦の曲目について、星野源が「地獄でなぜ悪い」から「ばらばら」に変えるという声明を読んだ。NHK側のリリース文と星野源側のリリース文を両方読んだ。星野源、あんたはすごいよ、と思って泣いてしまった。
星野源といえば、深夜ラジオでチンチンとかセックスとかの話をめちゃくちゃしていた人という印象が強かった。2010年代くらいまではそうしていたと思う。それがだんだん変わっていくのをずっと見ていた。世相に合わせているというわけでもないような気がする。この人は「変わる人」なんだ。
わたしもそうなりたい、こんな風に自分の過ちを認められる人でありたい。そんな風に思った。
あと、とにかく美文だ。無駄がない。印刷して壁に貼りつけたいくらい無駄がない。
読んでいない人は、読んできてほしい。
今のアーティストの中で、「私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません」とはっきり言える人たちが、どれだけいるのだろう。しかもそれが、性加害的な行為をしてきた人で、それを謝ったうえで表明し、さらに行動する というのが、すごいことだと思う。謝れるというのはすごいことだ。わたしも謝れる人間でありたい。
わたしはまだ無名だから、わたしに対して「加害をしてきた」とか「あの時にひどいことをしてきた」「犯罪行為をしてきた」と言ってくる人はまだ見たことがない。でも、そのうちそういうことになる可能性も0ではない。「わたしは加害はしない」と思いこんでいる人こそが、加害をしている。それがハラスメントの様相なのだから。わたしは人に加害を与える可能性がある。わたしは被害者だけではなく、加害者にもなる可能性がある。
そうなったときに謝れる、間違いをただせる。本当にそういう人間でありたい。
逆に、昨日見たアイドルたちを率いている、彼ら。彼らは自らの過ちに気づくことがあるのだろうか。いや、きっとない。
「推し活」と称して、彼女たちを売り子にし、金をもらう人たちがいる。男たちの金が、女を経由して、男たちに流れていく。それがどれだけ暴力的なことか、彼らは気づいて死ねるのだろうか。
でも、まだ、希望があるかもしれない。昨日のライブで「卒業したらこんな華のある生活は終わり」とは絶対に言わなかった彼女と、過去の己の選択を謝り、修正した星野源。時代がどんどん変わってきていると思う。わたしも「変わる人」でありたい。

こんなことを書きつつも、頭の中は雑務でいっぱいだ。
税理士への連絡。社労士への連絡。12月末締めの経理精算。年末ブログの下書き。年明けブログの下書き。小説の初稿。
こんなに忙しい師走は初めてかもしれん。
でも、これもわたしの選んだ道だから。今はとりあえずやってみる。
まずは手を付けられるところから、やってみよう!
こういうときはね、「マスオ」が便利ですよ。マスオっていうのはね、ブレインストーミングをするときに使う紙なんだけど。
「マスオ」の真ん中に「やりたくないよ」って書いて、その上下右左にやりたくないことを書いていくのね。で、どんどん広げていくの。何がやりたくないのか、どうしてやりたくないのか。これはまだできるかも、とか、あ、これも思い出した、これもやだなーとか。そういうボヤきから書いていくことで、だんだん無駄がそぎ落とされていって、TODOとかアウトラインが見えてくるのね。
マインドマップとかをやったことがある人なら、結構ハマるかもしれない。あと、KJ法とかね。わたしは両方とも好きなんだけど、両方とも「だるいな~」って感じる部分があったから、そのどちらも補完できる「マスオ」はvery goodだった。
まあ、「マスオ」は使い切っちゃったのと、紙質が結構よくて使いまくるのに躊躇しちゃうんで、それに近い用紙を自分で用意して使っているんですけど……。
(でも、マスオの方がハマる人絶対にいると思うから、手に入れてから何回もこうして書いているの。お前がそれ言ってるの、何度も見たよ!という人、ごめんね。本当に買ってほしい商品だから。あ、ステマではないです、まじで)
よし。
では本当に、いってきます。
まずは「マスオ」ね。
今日の一日が素敵なものになりますよう。
今日はケーキが安いよ! わたしもお昼に300円引きのケーキ食べちゃった~。
あたたかくして、楽しく過ごしてね。
お疲れ様でした。
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2024/12/26 田村真夏のフリーライティング
初公開日: 2024年12月26日
最終更新日: 2024年12月26日
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内容:アイドルのライブに行ってきた話/マスオいいよの話