24日夜~25日 朝ニエシゲ
ちょっと未来の、結ばれたあとの話
「宇宙人はいつでも来るからね」
二会敷の言葉に、所は過去に頷いた。人類の休日や都合など、襲来する宇宙人には関係が無いことは想像に難くないからだ。分かり切った話である。戦国時代にクリスマスに休戦をした織田信長のように、異文化を貴ぶのにはあまりにも宇宙人と人類は互いに違い過ぎた。過去には人工衛星を使って休戦や和平の申し出を、ボイジャーのゴールデンレコードがごとく信号を出したのだが、それらも全て宇宙人は無視してきたという。宇宙大戦の際に、和平を謳う派閥や団体はことごとく宇宙人にコンタクトを取ろうとし、時には足元でひれ伏したり、話し合いをしようと近付いたが全て踏み潰されたり、時には食べられたりと悲惨な事になったようだ。次第に和平派は口を噤み、人類は宇宙人を滅さなければならないという論調に同意したという。そうして現在に至るのだ。
本日は12月24日の深夜である。なんの色気もなく、宇宙人の襲来が日中にあった。過去にも襲来した宇宙人であったから、銅矢による撃退は容易であったが、それでも宇宙人対策と撃退結果のレポートは必要である。それらを纏め終え、雑務を終了させた二人は這う這うの体で帰宅した。明日はクリスマスであるが、それも宇宙人が襲来したらEDFは出動せねばならない。高給取りである自覚はあるが、その分危険と時期を選ばない緊張の連続は、万人が出来る仕事ではないのである。
出汁があるからと簡単に作った味噌汁をすすり、二人は寝入った。所の部屋は別にあるものの、冬になるとどうにも寒いからと二会敷のベッドにもぐりこんで眠る。だが今夜は、所は自室に戻った。
「おやすみ」
「うん、おやすみシゲさん」
少し珍しいことが、引き留める程でもない。それよりも疲労が上回り、二会敷は寝室に入るとダブルベッドに寝転んで即座に寝入るのだった。
翌朝である。東京には珍しく寒さが厳しく、粉雪が舞っていた。本来なら休みの日であるためか、二会敷は九時過ぎに目を覚ます。ふわ、とあくびをかみ殺してリビングに行くと、もうリビングは暖房器具によって暖かく、朝食の用意が出来ているようだ。その立役者である所は、二会敷を見やるとにこりと笑う。
「おはよう」
「おはよ。早いねシゲさん」
「うん、ちょっとね…」
キッチンからも湯気が立っている。もうよそうだけの味噌汁に、卵焼きに塩鮭に…ほうれん草のおひたしにヨーグルト…。いつもの朝食セットである。自分が遅かったからだろうが、どうにも手際が良いなと思った。人間は何かを隠したり何かを秘めている時、その動きはかえって滑らかになるものだ。時間の経過が早く感じるからであろうか。所はどこかそわそわとしているものの、お椀や皿を手にてきぱきとセッティングを始めている。ダイニングテーブルには緑を基調としたランチョンマットが敷かれていた。いつの間に用意したのだろう。濃い緑はクリスマスシーズンによく見る色合いで、端に金糸が織り込まれてどこか豪華なものだ。
「料理はいつものでごめんね」
所は少し恥ずかしそうに言う。確かに純和風でランチョンマットとは少々不釣り合いだが、それでも特別な日であると感じられた。
「ううん。そんなことないよ」
「店を探してみたら、綺麗なものを見つけたから…使ってみたくて」
そう言って照れくさそうに笑う。ほかほかとした朝食に箸を付け、完食すると所は余計にそわそわとし始める。どうしたのかと二会敷が尋ねると、うーんと唸った。
「ごめんね、こういうのどのタイミングに渡せば分からなくて」
「なに?」
所は二会敷の疑問に答えず、窓に近付いていく。採光の為にカーテンがまとまっている場所に、義手を突っ込んだ。布地の中に隠していたのだろう、ラッピングされた箱を所は手に取っていた。片手で持てるほどの小さな箱である。
「合ってるか分からないけど…」
「え、待って。何?」
今日はクリスマスである。プレゼントならばイブであるのが定石だが、24日は結局家に帰れなかったのだ。二人して第三研究所に缶詰であったので、25日の朝に渡したのだろう。二会敷は箱をまじまじと眺める。プレゼントをもらう経験など、十年以上はなかった。まさかそれが今、この年齢になってもらうとは思わなかったのだ。
「開けてみていい?」
「うん」
包装紙を止めている封を慎重に破く。ぺりぺり…と紙がめくれると黒い箱が現れる。ひっくり返すと箱には窓がついていて、そこに恭しく横たわっているのは万年筆だった。艶めいたクッションに負けない、緑の美しい体をした万年筆である。二会敷は驚いて目を見開き、箱をくるくると回す。箱の横に描かれていたブランド名には見覚えがあった。
二会敷が過去に愛用していたものである。アンケートで人体実験部隊を解任された際、突貫で荷物をまとめなくてはならなくなり、いつの間にか無くしたものだ。所には気に入っていたんだ、と一回零した事がある。それは元婚約者が二会敷に渡したもので、やっぱり市販のボールペンって少し慣れないんだよねとも。その話を覚えていて、所が給金を貯めて買ったのだと分かった。それをクリスマスにプレゼントしてくれたのだと。
「ごめん。同じ色は人気みたいで、売り切れて無かったんだ」
所は申し訳なさそうに言う。色も二会敷がさらりと言ったのを覚えていてくれたのだろう。その気遣いと記憶力に感心し、二会敷は顔をほころばせた。
「いいんだよ。嬉しい…ありがとうシゲさん」
そう言って二会敷は所を抱きしめる。わ、と驚いたようだが所は照れくさそうに笑い、すぐに顔色を曇らせた。
彼にしか知らぬことがある。百貨店に万年筆を探しに向かった時のことだ。有名なブランドであるため、目当てのものはすぐに見つかった。店の看板商品であるかのように、ショーケースに入っていたのである。所はそれを覗き込んだ。二会敷が愛用していた万年筆は、木を削り出したような色合いである。その横につややかな甲虫のような緑、さらに横には宝石を思い起こすような赤…。その三色が売られていたのだ。
元婚約者はこの木のような色合いを買ったのである。そして同じ色は、所の目の前にあった。だが、どうしても同じ色を買えなかったのだ。緑にした。そこはどうしても、意地のようなものだった。だがそれでも、二会敷は本当に嬉しかったようである。抱きしめる力が強い。しばらく堪能するように抱き締めた後、ようやく彼は離してくれた。二会敷は所をじっと見つめていたが、すぐに申し訳なさそうに目を下に逸らす。
「ごめん。僕は何も用意してないや」
所は笑った。
「いいんだよ。…ここに来て、君が全部くれたんだ。穏やかな生活も、働く意味も…それが何よりの贈り物なんだよ」
二会敷から口付けが降って来る。所は腰を抱かれ、箱が落ちた音がした。無防備な右手に左手が重なり、逃げぬようにがっちりと組み合う。口の中には吐息も舌も絡んで、呼吸が少しままならない。
「…ふ、」
それもずっと絡んでいる訳にはいかず、離れた。まだ余韻は残っている。すぐにまた口付けられるような距離感に互いの顔がある。二会敷は空いた右手で所の頭を撫で、頬に手を滑らせる。
「ごめんね、年甲斐もなくはしゃぐかも」
「はは…私で良ければ、付き合うよ」
「そうやって煽る」
少しやわらかい髪に指を滑らせ、二会敷は少しむくれたように言うが、すぐに笑った。
「メリークリスマス」
「うん、メリークリスマス」
今日だけは宇宙人はやって来て欲しくない。少なくとも今だけは。
25日プラサタ
サタケ・リュウジ一等陸佐。トーマス・J・プラムマン最先任上級曹長。二人は何故か、12月25日にタイにいた。
「流石に暑いな…」
「半袖でもいいぐらいですからな。今は29度だ」
プラムマンはウェラブル端末を見やる。ボタンで画面を切り替え、気温と湿度が出て来た。からっとした湿度で、過ごしやすい気候である。寒波が厳しいせいで、サタケが暑い国にいたいとわがままを言ったから、休暇に移動を費やして12月のタイに来たのだった。
「しかし…まさかチェンマイ・マラソンに参加するとはな」
「体がなまってるんじゃないかと思ってね」
12月22日に開催されたマラソンである。長期休暇を取ったので、21日の夜に到着してから即マラソンというハードスケジュールであり、ハーフマラソンにしておいて良かったとサタケはは内心思っていた。年齢ごとに部が別れたので、互いに孤独なスタートであった。39歳までと、40歳以降は部が違うのだ。来年に参加すれば、40代である二人は同じ部になるのだろう。互いに何となくそう思った。来年も来ようと。
ハーフマラソンの後の23日はホテルで一日ごろごろし、ホテル近辺の観光地に足を伸ばした程度で終わった。そして24日のクリスマスイブ。仏教徒の国であるタイではクリスマス感は無いのだろうと思っていたのだが、商業施設や街中はクリスマスの飾りで一杯である。特にバンコクは華やかで有名だと聞いていたが、寝台列車などを利用しても10時間は掛かるので断念した。移動に一日を使ってしまうからだ。サタケはうんと伸びをする。
ニマンヘミン通りにて二人は観光をして、寺院を巡り…。25日はもう一度同じ通りをぶらぶらとして、賑やかな年末の空気を味わっている。
「寝台列車を使っても良かったな。今からでもバンコクに行くかい」
「いや、チェンマイも悪くない。寺院に行くのもいいな」
「君はキリスト教徒だろう」
「あの荘厳さは、他に代えがたい美しさがあるさ」
そんな会話をしながら、ただぶらぶらと年末の煩わしい多忙感から無縁なことに優越感を抱く。もちろん、日本と米国に帰れば年末の空気に忙殺されるのだが、今は二人で海外逃亡である。観光客という立場で、年末を新たな視点で迎える。特別な空気に疲れれば、ホテルに帰ればいいのだ。
「トム、そろそろホテルに帰ろうか」
「どうした、疲れたのか?」
「うん」
そう言って我儘を言えば、プラムマンは基本的にサタケには逆らわない。チェンマイ・マラソンの参加もサタケが決めていて、直前で運動出来る格好を準備してくれと言い出した。プラムマンは何も文句ひとつ言わずに準備してくれた。当の本人は、この調子で他のマラソン大会に出てもいいな、と思っている。その為に世界中を飛び回る人間の気持ちが分かる気がしていた。サタケの我儘に付き合って得られた視野の広さである。だからプラムマンはサタケへの悪感情は無い。今日も可愛い我儘である。
ホテルに戻れば、南京虫の心配は無いが虫は往来には元気に飛び回っている。完全に無いとは言い切れないが、最低限のチェックはしてあるのでそこまで気に留めずともいい。とはいえ一度シーツは引っぺがしているが。
「ん…」
ベッドの上でごろごろとしながら、バスローブから覗くサタケの足がぱたぱたと動いている。ペットボトルの水を手に、飲みながらごろごろと寛いでいるのは、母親に怒られそうな行儀の悪さである。ただサタケはいい年である。誰も咎める者はいない。この場には彼に甘いプラムマンしかいないのだ。プラムマンはトイレを済ませ、その様子を見て言った。
「リュウジ、煽情的な足を見せないでくれ」
「行儀が悪いって言えばいいじゃないか」
「私には刺激が強い」
「さっき散々舐めたところだろ」
まだ午後だが、二人は先ほど情事に勤しんだばかりである。だからサタケは幾分か気だるそうにしているのだ。サタケの言葉に、プラムマンは反論する。
「足は舐めていない。犬じゃあるまいし」
「たまに舐めるくせに」
「濡れ衣だな」
「んー…」
小気味よい応酬を続けていたのに、サタケは唐突に言葉を切った。ベッドに頬を押し付け、シーツに頬擦りすると、唐突に言葉を紡ぎ始めたのだった。
「クリスマスケーキが食べたい」
「…クリスマス感が無い方がいいと言ってなかったか? だからわざわざタイに来たんだろう」
「クリスマスはどこにいっても逃れられないんだと思ったんだ。でも、寒くても暑くてもクリスマスは来るんだな」
「確かにクリスマスは寒いはずだが、こうも暑いと感覚が違うな」
「でもケーキは食べたくなった。クリスマスケーキを探してきてくれ、トーマス。私は動けないから」
「やれやれ」
プラムマンはため息をつく。我儘にも程があると思った。異国の地で、予約すらしていないクリスマスケーキを、そもそも文化圏が異なる場所で売っているのかも分からない物を持ってこいと言う。フロントに尋ねてみるかと思った。サタケが動けないのは事実であるし、その異常を彼にもたらしたのはプラムマンなのだ。だから半袖のまま、プラムマンは部屋を出た。言付けはしなかった。了承は無言でいい。サタケがうとうととシーツに沈み込んでいたので、あえて声を掛けなかったのもある。部屋を出た彼は、とりあえずフロントに向かうのだった。
コンシェルジェの女性は笑顔を絶やさず、相談を聞いてくれた。
「クリスマスケーキですか?」
「すみません。唐突に異国のものを食べてみたくなりまして」
「なるほど。ケーキでしたらニマンヘミン通りには店舗があるかもしれませんが、クリスマスケーキとなりますと当日に購入するのは難しいかもしれません」
「そうでしょうね…」
「ですが、当日販売している事もございますので諦めずに探される必要があるかと。人気の店をピックアップさせていただきましょうか」
「お願いします」
「かしこまりました」
流ちょうな英語を扱う彼女は、数分と経たずにマップと店の情報を印刷したものを持ってきた。それらを頼りに、買いに向かうしか方法はない。さて、手段は全て目の前にある。どうすればいいかを考える必要はない。あとは足を動かすだけだ。異国の地で僅かに不安はあるものの、間違えたのならば戻ればいいのだ。あとは我儘な男の要望に応えられるかどうかである。からりとした空気を纏いながら、プラムマンは歩き出すのだった。
「リュウジ。リュウジ」
夢うつつの中で、名前を呼ばれたのでサタケはまだ夢だと思った。ホテルの環境はきわめて快適で、寒さに怯える必要性はない。だが足首を突然掴まれ、流石に目が覚めた。
「こらリュウジ」
「…トム。素足だからって、掴むのはやり過ぎだ」
そう非難したのに、あろうことかサタケの足首を掴んだままプラムマンはずるずると手前に、自分の方に引き寄せていく。その為にシーツがしゃ、しゃっと鳴る音がした。サタケは引きずられてむすっとした顔で振り返る。
「トム」
「人にものを買いに行かせて、眠っているとは良いご身分だな」
「だって、君がいないのなら寝るしかない」
「出迎えるとか色々あるだろう。そら、買ってきた」
プラムマンはサタケの足首を離すと、ケーキの箱を見せるように静かに持ち上げてみせる。また繁華街に行ってきたのかなとぼんやりと思う。先程二人で歩いた道を、一人で歩いて探し回ったのだ。愛情が無ければ出来ない事であろう。サタケはふふ、と笑う。
「本当に買って来てくれたんだな」
「我儘はこれっきりにしてもらいたいものだね。ケーキはホールで売っていたが、二人だと伝えたから小さい物にした」
プラムマンの説明に、サタケはうんうんと頷く。満足である。彼の我儘はもうプラムマンによって達成されたのだ。だからもう、それ以上に求める物はない。
「今から食べようか。皿を借りて来るか?」
「いや、ケーキの箱でそのまま食べたらいいだろう」
「ワイルドだなあ」
だが皿はともかく、そこでフォークも無い事に気が付き、結局フロントに相談するのだが…ケーキの箱をちぎってフォーク代わりにして食べようかとサタケは言った。それは流石に出来ないとプラムマンは断るが、オツなものだよとサタケが笑うので、電話するのを一瞬ためらったものだ。
あたたかな休暇により、それぞれの国に帰るのが躊躇われる。移動に費やす航空機の中で眠ってしまうかもしれないが、それも思い出であろう。再び甘え、プラムマンの腕の中に抱かれながら、サタケはふっと笑うのだった。
26日キンカワ
安楽椅子で眠りこけるキングを見て、甲斐甲斐しく動き回るカワダの姿があった。外は粉雪、時間は夜。暖炉に火の他に、灯りをつけ忘れてしまったようなリビング……。暖炉のちらちらとしたあかりに照らされて、キングが安らかに眠っている。外の粉雪はガラスに当たっているが音を立てずに大人しい。だからカワダは足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、まずはブランケットを持って来ることにした。
安楽椅子には、ただ座って眠っている彼がいる。だからまずいつもリビングで使っているブランケットをソファーから持って来て、音を立てずに膝元にふわりと掛ける。産毛を撫でるわずかな空気の動きはあったはずだが、キングの顔をふわりと撫でただけで彼は起きなかった。それほど深く眠っているようである。カワダは安堵し、次に部屋にある加湿器を付けることにした。だが残念なことに水が切れかけていたので、抜き足差し足でキッチンまで移動したのち、また静かに戻って来る。タンクをセッティングし、起動させる。起動音が静かであるということを謳った加湿器で良かった。多少なりとも静かに蒸気が立ち昇り、快適な室温にしてくれる。
次はなんだろう。カワダはキングにそっと近付いた。相変わらず深く眠っている。眠って座っている彼の顔を、屈みこむようにして覗き込む。このまま頬を舐めたとて、彼は目覚めないかもしれない。鼻の頭をかじって、目を覚まさせてはどうだろう。いたずら心が芽吹くが、それでも彼が目覚めなかった時に寂しさが湧き上がるのはこちらの方になる。大人の自制心であり、想像力でそれは辞めた。
カワダは声を掛ける事もしなかった。キングが眠っているのなら、そのままで置いておくしかない。ただ吐息はあるのかを鼻を擦り合わせるようにして確認して、息があるのを聞いた。それだけで今はいいい。この家には飼い猫も飼い犬もいないので、生物の吐息を感じる機会は少ない。粉雪が時折風に乗り、風が時々うなるぐらいである。冬の厳しい寒さの中で、穏やかに火に当たる機会なのだ。さああとは目覚める頃合いに、ホットチョコレートでも淹れたいところである。
キングは時々こうして、電池が切れたように眠りこける時があった。とはいってもだらしないところなど一つもなく、背筋を伸ばした姿勢で安楽椅子に眠るのだ。プライベートでも軍人らしく気を抜かないところがある。このまま彼は何か指令を受けたとて、背筋を伸ばして対応するのだろう。目を覚ましてもゆるやかなに寝ぼける事も無く、しゃんと起き上がるのであろう。染みついた悲しい習性ともいえる。カワダにもその習性に身に覚えがある。だからこの電池切れは、習性を超えてリラックスる為に生まれたものなのだ。だからカワダは邪魔をしない。キッチンで洗い物を片付け、ついでにフローリングにワックス、窓にワイパーを掛けていた。年末で忙しいのだから、クリスマス仕様を片付ける目的もあった。クリスマス当日、25日は一緒にはいられなかったのだ。どうしても都合が合わず、シカゴ空港に26日の朝に到着するようにカワダが米国に飛んだ。しかしキングは空港に迎えに行く時間が無く、ちょうど帰宅時間が重なるようにしてキングの家で落ち合ったのがつい数時間前である。マフラーにサングラス、帽子をかぶったカワダが嬉しそうに手を挙げると、同じように防寒具に身を包んだキングも手を挙げる。抱き合うのは玄関に入った中だった。
「大人のクリスマスプレゼントは遅れてやってくるんですね」
そう言うが早いか情熱的な口付けを交わした。何度もくちびるを食むように、舌先だけほんの少しはみ出させてその先端だけ突き合うようにする。その後はお互い見つめ合い、互いの瞳に炎が灯った。情事に励むような気力も体力もあったが、互いに会えたことへのリラックス効果だろうかそこで落ち着いてしまった。口付けの後に互いのマフラーを脱がし終えた辺りで、コーヒーでも淹れようとキングが言い出し、それからはカワダは家の探索に出たのでキングも付き合い…時間の過ぎるのはあっという間である。情事の時期を逃したが、カワダはかえって大事にされている気がして窓ガラスから外を見る。庭にはプールが付いているのが、米国の家の象徴であった。今は冬なので入らないし水も張っていないが、家族がそこで息づいていた様子が想像出来る。冬の今は、追憶だけを抱える寂しさがあった。
「十年ほど前は、子供が孫を連れて入りに来たものだ」
「今は…?」
「もう大きくなってるからな。プールだけでは食いつかん」
キングの家は、両親から引き継いだものだと聞いていた。住宅地にある平屋の一軒家である。似たような家が立ち並ぶので、量産型の家なのかもしれない。だが成人してからの思い入れは少ないという。離婚を経験したキングに、成人した子供たちは対等に接してきてくれた。元妻は、軍人の妻であることに疲れて数年前に離婚したがったそうだ。キングはそれに素直に応じた。詳細な事情は聞いていないが、元妻にもすでにパートナーらしき男性がいるそうだから、カワダの訪問も気にしなくていいと言った。むしろあっさりと、キングは子供たちがカワダに会いたがっていたと言った。色々な家庭の在り方がある。不仲な男女を縛り付けておくよりも愛し合う人間を見つける方が有益である。子供が成人である事も問題なかったのであろう。だからカワダの痕跡がこの家に残るのも、問題は無いようである。
愛する者の家に興奮しながら、片手にはリラックス効果のあるコーヒー。抑揚のきいた浮かれた感情で、カワダはキングと会話をして配達ピザを楽しみ、昼食も終わってからあっという間に時間経過だ。いつの間にか暖炉で眠りこけるキングである。カワダが顔を近付けていると、キングは静かに目を覚ました。
「イサオ…」
「ああ、目を覚ましましたか。すみません、あまりにも静かなので息をしているか不安になって」
「このまま天国の門を叩いたら、君に恨まれるだろうな」
「それはそうですよ。せっかく15時間もかけて会いに来たのに。クリスマスは飛行機の上です」
「そうだな」
キングの大きな手がカワダの頬に優しく触れる。カワダも口調は少々拗ねているが、顔はゆるんで優しい表情である。気の置けない関係であることが存分に分かる。もう一度口付けをした。今度はベッドルームに向かうかと思われたが、暗くなってきたのだから食事をしなければならない。遅れたクリスマスだからと七面鳥を用意してくれていて、シャンパンで軽い食事である。その後にキングがシャワーを浴びたところで、カワダの姿が無かった。
「イサオ?」
まさか誘拐などあろうはずもない。だが返事も無いので探しに向かう。バスローブ姿でキッチンを通り抜け、リビングで見つけた。カワダは、暖炉の前の安楽椅子で眠りこけている。先程のキングと同じであった。ガウンを纏い、キングは同じようにカワダにブランケットを持って来る。そして、加湿器を確認し、ホットミルクでも作ろうかと思ったところでカワダが目覚めた。
「あ、ハルすみません」
「君も撃沈したか」
「あったかくて…すみません」
シャワー浴びてきますとカワダが立ち上がる。そのまま足元がよろけた風にしてキングに抱き着くと、にこにことしながら顔を上げた。
「ベッドの中は、暖炉の火よりも温かくして差し上げますから」
「それは楽しみだな」
キングがくしゃりと柔らかな髪を撫でて、カワダも目を細める。これから粉雪が解ける程の夜が来る。
27日デル所
「明日から遠征に向かう。といっても一泊だが」
「は?」
ハントレスのデルウハによる反発はこれまでにも起きていた事であるが、今回は少し事情が違った。日時が問題であった。デルウハが言い出したのは12月23日の夕方であったからだ。つまり出掛けるのは12月24日から25日の間という事になる。いつかが声を張り上げた。
「よりによってクリスマスイブに?!」
「お前らは仏教徒だろうが。クリスマスは関係ないだろう」
「関係ある!」
ハントレスは文句たらたらである。当然の反発だろうとデルウハは予測していた。所長に事前に聞いていたのだ。この研究所の大半はキリスト教徒ではないが、日本の風習に従っている。クリスマスには子供達に向けてプレゼントが用意され、飾り付けがなされ…ハントレスへの感謝を述べる機会もあるらしい。それがクリスマスイブに行われるのだ。家族というぬくもりを殆ど得られていないハントレスにとって、研究所の人間のぬくもりがほんの少し感じられる機会なのである。その日に遠征が行われるというのは、ハントレスの反発も当然ある。だが仕事である。イペリットの侵攻が見られるのだ。この日を逃すと、翌日には研究所の周囲をイペリットが取り囲むことになる。
しかし、イベントが大量にあるこの日を逃すと彼女らの情緒に問題がある。難しい天秤をデルウハは強いられた。だがハントレスがもう少し子供であったのなら、デルウハも遠征を決行しなかったが…十五歳ならばと判断したのだ。ぶうぶうと文句たらたらのハントレス達だが、研究所の守護は彼女らの任務である。仕方ないと飲み込み、やむなく従うと言う感じであった。デルウハは宥めるように言う。
「ケーキくらいは用意してもらう」
「もー、外で食べるのも味気ないじゃん!」
「じゃあどうしろって言うんだよ…やめるか」
「食べる!」
よみといつかが声を張り上げる。むつは甘い物が苦手であったので青ざめていた。むつの分は省くか? だからといって五人分にするのも少し問題である。甘味を控えてもらって、六人分用意した方が見栄えはいいし、気配りによる好感度は上がるだろう。その点は後で食糧班に相談するとして、ともかくこの遠征をとっとと済ませなければならない。みちが毎年、このクリスマスイブに祖母からのプレゼントを心待ちにしているのは事前に聞いていた。だから今も、みちの殺気のようなものを感じる。どうせ怒りを向けるのであれば、イペリットに向けてもらいたいものだ。残念ながら今のデルウハは、少々だが憎まれ役を買って出ている。この遠征で得られる物は少ないかもしれないが、特別感のある日に仕事をするのも必要な行為である。デルウハだって好き好んで出掛けたい訳では無い。すべては仇敵であるイペリットである。このすべてのもやもやも、怒りもイペリットの向けるのだ。
「よし準備するぞ」
ハントレスはまた不満を口にしていたが、のろのろと支度を始めるのだった。
「大変だったぜ」
談話室で所長を前に、デルウハはケーキを口に運ぶ。ケーキの運搬は、やわらかく崩れやすいという事で山道を登る際に向かないと諦めた。それを直前で告げたので、さらにハントレスの反発はあったが、その分運搬しやすいホットチョコレートで手を打った。その分だけは食糧班に頼んでいたのだ。
「すみません、クリスマスに」
「あいつらがそんなに大事にしてるとは思わなかったがな。だいたい、日本じゃ仏教徒ばっかりなんだろう」
「日本人は雑多ですから…産まれたら神道の神社にお参りに行き、結婚したら教会で、亡くなったら寺で葬式を行うくらいですので」
「クリスマスもイベントの一つって事か。強欲なもんだな」
「そうですね。それに、研究所の面々がハントレスに触れ合う機会は、クリスマスくらいしかなくて…」
「なるほどね」
真っ白なショートケーキがフォークに突き刺さり、デルウハの口に運ばれる。スポンジに生クリームが付いて、やわらかな触感と甘味が広がる。いちごはめったに食べられないもので、特別なのだと聞いた。材料を取って置いてもらい、わざわざ作ってもらったのだ。防衛ラインを担当するハントレスとデルウハの為に、真新しいケーキが作られたのが今である。25日に帰宅の予定だったが、想像以上に群れが多く25日も遠征になった。結局帰り着いたのは26日の夜であり、現在27日の朝である。食堂でデルウハはホールケーキを受け取り、ハントレス達も同様に新鮮なホールケーキにはしゃいでいた。彼女らとは別に、自分だけのホールケーキを食べていたデルウハの元に所長がやってきて今に至る。
「しかしお疲れさまでした。無事で何よりです」
「まあな、群れの数だけが脅威だったぐらいだ。とはいえ、手間がかかる。今回は特にモチベーションが下がってたからな…」
「イペリットにはクリスマスも関係ありませんな」
「奴らには、この世界の理は通じんだろう」
いちごが口の中に放り込まれる。甘酸っぱさが広がる。
「しかしクリスマスは家族と過ごすもんだが、ここは恋人とも過ごすらしいな」
「そうですね。日本はわりとクリスマスは恋人と過ごす事が多いです。若者は、恋人をその日まで作ろうとする傾向もありまして」
「聖夜をどう捉えてるんだ」
「基本は仏教徒ですから…」
所長は苦笑いである。日本人代表ではないのに、スイス人であるデルウハに説明しなければならないので代表者のような気分である。そうこうしているうちに、デルウハは小さな目なホールケーキをぺろりと食べきった。生クリームが唇の端についている気がして、舌先でくちびるの端を舐める。わずかな甘味と脂肪分が残っている気がした。
「だったら、聖夜の相手はあんたに勤めてもらわなきゃな」
「えっ」
所長は驚いて顔を上げる。デルウハに唐突に言われることは多々あるが、あくまで処理の関係性である。デルウハから愛も情もないのは目に見えている。だが、今のは少しだけ情がある気がしたのだ。甘いケーキによる多幸感に引きずられているのだろうか。あるいは遅れて来た聖夜への高揚感か?
「え、でも…」
「嫌ならいい」
ふるふると慌てて所長は首を振る。聖夜に起きる奇跡が、悪魔を懐柔させたのか? いや、彼は機嫌が良いのだろう。談話室ではいつ人目があるか分からぬが、それでも顔をぐんと引き寄せられる。咄嗟に所長は目を閉じたが、直前までデルウハは目を開けていたように見えた。口付けである。これ以上は遅れて来た聖夜を邪魔する要素であるから語らぬが、僅かな奇跡のような感情のすれ違いがその場にはあった。
はーとありがとうございます!