少女はその姿を見て、ずいぶんとひさしぶりに……声を上げて笑った。
 それから、少女の日常は少しずつ変わり始めた。
 コクマ記念病院での検査を受けつつヘッドホンを改良していく。それに合わせて、少女の外出範囲は少しずつ広くなっていった。彼女の世界は、自宅という箱庭から少しずつ拡大していった。
 復学にはまだ早いと判断されていたものの、少女は数週間後には自宅の周辺を問題なく歩ける程度にはなっていた。まだ他者のあふれる外の世界に出ていくには不安が残っているものの、この1年間味わっていなかった外の空気、土の匂い、花の香り、遠くから聞こえてくる電車の音、家の側を通る小学生の歓声……そういったたくさんの音や声があふれていることに、少女は憧れを抱き始めていた。自分を病的な状態にしてしまった外の世界は、少女にとっては少しずつ戻りたい場所になりつつあった。
 父はそんな少女の変化を、嬉しさと不安の入り混じった顔で見守っていた。それでも、少女が外出から帰ってくると必ず笑顔で彼女を迎えてくれた。
 そうして――少女の世界は、少しずつ広がっていった。
「ほ、本当に大丈夫なのか? 隣町なんだぞ?」
「うん、大丈夫だって。ヘッドホンもあるし、外に行くのもだいぶ慣れてきたし」
 少女が少しずつ外出するようになってから数ヶ月が過ぎた。相変わらずヘッドホン、パーカー、マスクの3点セットがなければ外出は怖いが、逆に言えばそれさえあれば、近所のコンビニに買い物に行く程度のことならできるようになっていた。
 コンビニの菓子パンを買って帰ったときには、父は涙目で喜んだものだ。その菓子パンの包み紙をリビングの壁に飾っているくらいだ。
 そして今日、少しずつ自信をつけてきた少女は、思い切って電車で隣町まで行くことにしたのだった。父は当初、さすがに隣町まで行くのはまだ早いのではないかと止めようとしたが、結局は、そしていつものように承諾してくれた。
 さすがに通勤通学の多い朝の時間帯は怖かったので、少女は平日の昼間を選んで家を出た。家から離れるにつれて、知らない町並みが増えていく。あの事件が起こるまではこのあたりまでは出かけていたのかも知れないが、昔のことはよく覚えていない。
 駅前に近づくにつれて、平日とは言え人通りは増えていく。いったん落ち着きたくて、少女は駅前広場のベンチの端に座った。胸に手を当てると動悸は多少強くなっているものの以前のような異常は感じられない。いや、この動悸は病的なものではなく、こうして外に出られるようになったことに対する興奮だ。あれほど人の視線や声を恐れていた自分が、こうして自分だけで駅前まで歩いてこれたことの感動が、今さらながら込み上げてきた。目深に被ったパーカーの中に熱がこもり、頬が熱くなったのがわかった。
 嬉しい。とても嬉しい。自分の世界が広がったのが嬉しい。
 そしてなにより、こうして少しずつ外に出られるようになれば、父にかける負担や心配を少しずつ減らすこともできるようになるだろう。
 それにしても、このヘッドホンはすごい。黒川医師から聞いた説明の内容は正直よくわからなかったが、周囲の環境音や会話は聞こえるのに、以前感じていたような周囲の声や視線からの圧迫感や強制的に頭の中に流れ込んでくるような感覚はほとんどと言っていいほど遮断されている。このヘッドホンは間違いなく、少女がこうして外出できるようになったいちばんの要因だと言えるだろう。
 この調子なら、人がたくさんいる電車に乗っても大丈夫なはず。少女はもう一度息を整えてから立ち上がっ。
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