子供にそもそもある方法を教えたのが間違いであった。デルウハの判断よりも早く、また都合が悪く、本人にとっては都合の良い解釈を子供がするということを失念していた。愛されて育った子供である。だからこそ、大人への従順さよりも好奇心を優先するものだ。少々押さえつける必要があったかもしれないが、育て方については所長に一任していたし、今更ハントレス達へのかかわり方に文句を言ってもしょうがない。問題は、子供が何の反発心も抵抗心もなく…仲間であるハントレスを皆殺しにしたことから始まっていた。
「デルウハはなんか教えたりしないのかい?」
いつかにそう尋ねられた。彼女の前にはカードゲームをして遊んでいる子供、くのえがいる。いつかはくのえを膝に座らせており、そのゲームの相手はよみやみちといったいつものハントレス達の光景であった。和やかな風景に通りがかったデルウハへの質問である。デルウハはその答えを特に持ち合わせておらず、怪訝な顔をした。
「何をだ」
「何って、父親なんだから特別にさー。ほら、いちこ達には砲術を教えたじゃないか。似たような特別レッスンでもしてあげないのかなって」
「そんなもんするなら、先にお前らにやってる」
「へえ~?」
思わぬ返答に相好を崩すいつかの膝で、くのえがカードを出しながら高らかに宣言した。
「うのー!」
「あーマジで?! やばいじゃん」
「くーちゃん強いね」
焦るよみに、のんびりと言うみち。イペリットの襲撃が最近遠のいていることから、穏やかな空気が流れている。デルウハはすぐにそこから立ち去ったが、特別授業という単語が引っかかった。デルウハが教えるのであれば砲術に軍事、あるいはコミュニケーションの仕方や知恵だ。くのえはもう六歳になるので、そういった特別な授業を教えても差し支えない年齢ではある。教えるとしたら、後は人間を殺す術であろうか。
くのえはデルウハの子供だ。だがハンターとしての改造を受け、ハントレスと同じイペリット討伐の部隊の一員として距離は置いている。散々ハントレスが、デルウハが父親だと吹聴しているから、本人もデルウハを親として認識しているのだろうが、それでも隊長と呼んで来る。それが親子の在り方で、特別視するつもりはない。だが、デルウハに何かあればハントレスを代わりに制圧するのはくのえが最適である。都合の悪い出来事に対し、一時間の逆算。くのえも同様の改造を受けているので、記憶はもちろん巻き戻るので、もし手足にするのであれば…。
だが子供に接する経験も少なく、成人ですら扱いには手を焼くのに子供にそのような技術を継承してよいものか。それはあくまで倫理的な観点ではなく、悪用や好奇心によって生まれる不具合をデルウハは懸念しているのだった。しかしハントレスの皆殺しの手先となれば、それはそれで楽である。言い聞かせるほか無いが、デルウハはその特別授業をくのえに施した。人間の仕組み、弱点。その講義は一時間程度に簡潔に。それでも15分を過ぎれば子供は飽きるかと思ったが、思ったよりくのえは素直に集中して聞いていた。そして知識を付けた後は、こう付け加えたのである。
「俺がよしと言うまで、この方法は使うな。あと、これを使うのはお姉ちゃん達だけだ」
「おねえちゃんたち?」
「そうだ。お姉ちゃん達ならいい。他の人間にはけっして使うなよ」
「しょちょうも?」
「そうだ」
「たいちょうも?」
「そうだ。これをしたら、俺達は遠くに行ってしまう。…二度と会えなくなる」
そう静かに告げると、くのえは分かったように神妙な顔で頷いた。だが不死身のハントレスには殺人の技法はしていい。ただしデルウハの許可が出るまではしてはならない。限定的にすれば問題ないだろうと踏んのだのと、子供の事だから飽きて忘れてしまう可能性も考慮した。だから授業は一回こっきりで、二度目の開催は行わなかった。期待していなかったのだ。手足にするのには不十分だが、万が一の際に使えればそれでいい。その程度である。だがデルウハの懸念よりもはるかに悪い方向で、子供がその技術を使用した。ちょうど三叉足のイペリットの群れを倒していた時の事である。
三叉足は人間に興味が無いのか、あるいは何かを探しているのかと思われた。その六本の髭らしい足は、いつも雪原を踏み固めて何かを探しているからだ。だがどうやら探しているのは、生きた人間ではなく同胞らしいというのが研究所の結論だった。同胞の死骸を探しており、ハゲワシのような死肉を食する役目があるのではないかというのが、仮説である。それならば自然死を待つよりも、研究所の近くにいればハントレスによる死体が出るのではないかというのが、最近見かける理由だった。
まだ研究所の人間はそこまで辿り着いてはいないが、イペリットは同胞の死臭を避ける性質がある。それでも生態系が形成されているのならば死肉食のイペリットがいてもおかしくはない。分解されなければ、そこら中が死臭だらけになるからだ。共食いイペリットとはまた違う存在であろう。
三叉足は新鮮な肉を求めてか、群れでうろうろとガスが覆う近辺をうろつくことがあった。それを倒さねば人間の安寧が得られぬのだ。ハントレス達は、足が速く反応速度も敏い三叉足に対策を練り、結果隠れて奇襲を行うことにした。面倒であるが、避けられたり逃げられるよりはましである。一体一体を丁寧に窪地に誘導し、奇襲を行う。デルウハは砲の為に砦に、普段は砲撃を担当するいちこも新種だからと前線にいた。くのえは喋るなという言付けを従ったのか、意外にも静かである。
がさがさがさ、と雪原を歩く三叉足に鳥肌を隠せないよみだが、一目散に奇襲には飛び込んだ。そのうち数が減って交戦になると、砲撃も飛び交い、交戦は終了したと思われた。だがいつまで経っても、ハントレスが帰ってこないのだ。デルウハが怪訝な顔をして見に行くと、そこには異常事態が広がっていた。
「たいちょー」
くのえだけが無邪気にそう言いながら立っている。ハントレスはというと、みな首を掻き切られて死んでいた。再生しようとする血が、雪を解かしている。まずい、とデルウハは思った。このやり方はデルウハが仕込んだものだ。特別授業は一度だけだが、それでもくのえは十分に吸収したという事だろうか。イペリットとの交戦で有利なのは人間側であった、それは間違いない。ただ問題なのは、くのえがハントレスを意味もなく殺してしまったと言う事だ。何の後付けも出来ない。ガスはあるものの、ガスマスクを皆つけて死んでいる。ガスのせいでもない。イペリットのせいにも出来ない。ただくのえが、純粋に無邪気に殺人を舌という事実だけが純然と転がっている……。
「なんで殺した?」
デルウハは冷静に尋ねた。くのえは手持ちの剣を振りながら、むじゃきである。
「やってみたかったから」
要らん知恵付けたな…。
子供が蟻を叩き潰すように、猫の腹を裂くように、くのえはただ何が起きるか知りたいからハントレスを殺してしまったのだろう。ハントレス達も訳が分からぬまま反撃出来ずに終わったのだ。その知恵を付けるのはまだ早かったのか、あるいはくのえの残虐性を見誤ったか…。子供にひいき目を持つ理由にはならないが、それでもデルウハの目は多少なりとも曇っていたのだろう。このむじゃきな子供が、力を持ってハントレスに害なすとは考えなかった責任がある。
「分かった。じゃあくのえ、お姉ちゃん達を運ぶのを手伝ってくれ」
「はあい」
「その前に、あっちを向いてくれるか。目を閉じて、そうだ。みっつ数えるぞ。さーん…」
死体が詰まった袋の往復は、想像以上に骨が折れた。七人分である。くのえは小さいので運びやすいとはいえ、三人ずつ運ぶのが手一杯だ。所長は顛末を聞いてがっくりと項垂れた。
「それで…皆は…?」
「ハントレスはいつもの場所で寝かせてる。くのえはここだ」
所長室に連れて来たのは、小さな袋だった。そこに死体が詰まっている。それを見ながら所長は大きなため息を吐いた。
「やはり染色体異常か…何か情緒に問題があったんでしょうか。私が高齢だから…」
「おいおい、異常は無かったって話だろ。情緒だって問題ない。こいつは傍目にも愛されて育ってる。毎晩一緒に寝てるんだろ?」
「ええ…仕事があるので、入眠時はほぼ一人で眠ってもらってますが…それが、それがいけなかったのか…」
「落ち着け。あんたのせいじゃない」
所長は落ち着かない様子だったので、デルウハが宥めるように立ち上がると、その肩をぽんぽんと叩いた。番の不安げな姿である。多少なりともα性としては相手を宥めなければ落ち着かないのだ。
「俺が教えるのが早かっただけだ」
「でも、でも命令に違反したのはくのえです…そこまで、言う事を聞かない子じゃなかったのに」
「俺の責任もある。だから殺した」
その言葉に、所長は大仰に目を逸らした。
「…デルウハ殿」
「なんだ」
「…子供を殺すのは、その、気が引けましたでしょうか」
子殺しは重罪であろう。宗教観でも、倫理観としても。ただそれが不死身の子供となれば話は別だ。
「残念ながら、指は震えなかった。それだけだ」
「そう、ですか」
所長が項垂れる。デルウハはその身を抱きしめてやると、おずおずと背に手が回って来た。互いに慰め合うのならここにいる相手しかいない。さて、ハントレスにはどのような言い分を用意するのか考えねばならなかった。
「ねえちょっと!」
怒り心頭のハントレス達が、いつもの部屋から談話室にやって来る。デルウハはそこにいた。所長も一緒である。
「くのえは!?」
よみがいきり立つのを、デルウハが宥めるように言う。
「落ち着け、どうした」
「私達、……くーちゃんに殺されたかもしれなくて」
「イペリットはもう全部倒した後だったぜ!? それなのに死んだんだ」
沈み込むいちこと、いきり立ついつかは対照的だ。みちも黙っている。むつもおろおろとしていた。状況証拠で考えればくのえが犯人であろう。イペリットに殺されたという言い訳は聞くまい。にこも腰に手を当てて、周囲を見渡していた。
「くのえは?」
「ここだ」
デルウハが自分の椅子を指差す。そこには遺体が入っているであろう袋が置かれていた。すると、ハントレス達の顔色が変わった。くのえが呑気に生きているかと思ったのだ。だが実際は違った。彼も死んでいる。その事実に、ハントレス達は動揺を隠せないようだった。
「あの後俺がお前らを探しに行った。そうしたらだ、くのえが剣を振り回してたわけだ」
「じゃあ、やっぱりこいつがあたし達を…!」
「どうやら、俺のミスだったようだ」
そう言うが早いか、デルウハは立ち上がってくの字に体を折り曲げた。謝罪である。え、とハントレス達が更に戸惑い、怒りが霧散していくのを肌で感じるとデルウハは顔を緩やかに、申し訳なさそうにゆっくりと腰を上げた。そしてもったいぶらずに説明する。
「くのえには、ガス中和薬を飲ませてたんだ」
「ガス中和薬って…前副作用出たからやめにした奴じゃ…」
「そうだ。だがガスに近いし、子供だから多少量を減らしてな。くのえは初めてガスに触れ合る訳だから、万全を期していた。それが、どうやら幻覚を生んだようだな」
「でも、イペリット戦では大人しかったですよ」
「…不自然に大人しかったんじゃないか? 俺はいなかったが、くのえのせいで奇襲が失敗する可能性もあった。それなのに、珍しく言う事を聞いたんじゃないか?」
実際はくのえがただ大人しかっただけであろうが、薬の副作用に結び付けられれば何の問題も無い。確かに、くのえはあの時おかしかった。そう考えれば、のちの殺戮行動の正当化に結び付く。それがくのえの為にならずとも、いや、殺人衝動を抱えているからこそ、子供とハントレスを引き剥がす方向でデルウハは考えていた。
「俺のミスだ…俺が飲ませた方がいいと提案したんだ。だからくのえが暴走し、気付いた時にはお前らは…」
デルウハは静かに目を閉じる。芝居がかっているが、誰も疑う者はいなかった。
「じゃあ、じゃあ幻覚?」
かつて幻覚に惑わされたむつが言う。デルウハは頷いた。
「だから俺が止めた。少々手こずったが…俺が止めようとした」
止めようとした、その意味に気付いてにこがぎくりと体を震わせる。そうだ。くのえは死んでいる。誰かが殺さなければ、くのえは死なないのだ。
「…殺したの?」
「いや。見えない何かが這い上って来たらしくてな。……気付いた時には、自分で、剣を突き刺して」
「そう…」
これでデルウハの子殺しの疑惑は回避できる。過去にむつが自分で自分を刺しているのだから、信ぴょう性はあった。あとはハントレスとくのえの関係修復だが、前述の通り引き剥がす方向で考えている。
「今、くのえは何も覚えてないのかもしれん。だから、目覚めてもお前らをどうしたかは覚えていないだろうな」
「そう…それならいい」
みちが言う。
「何が良いのよ」
にこが反発した。
「だって、何も覚えてない方がいい。私達を殺したかもなんて、きっと…あの子は傷付く」
みちの思いを踏みにじるようであるが、まあ思い切り快楽殺人だったわけだが…。
「そうしてくれると助かる。みち、ありがとう」
デルウハがしおらしく言う。親らしくミスしたのは自分であるという罪を被り、くのえとハントレスを少々距離を持たせることに成功し、子殺しの疑惑は回避する。それでハントレスとの好感度と距離感は一定のままで、問題はくのえだけだ。
「目が覚めたら、お前らに謝罪させる。…それでひとまず収めてくれないか」
デルウハがもう一度頭を下げた。いちこは辞めてくださいと止めたが、よみが分かったと言うのでデルウハは顔を上げる。
「ありがとな」
「…ふん」
これで、ハントレス側の問題は終了した。あとはくのえとハントレスの距離感であるが、くのえが目覚めると何も言わずに真っ先にハントレスの元に駆け出す。デルウハは説明する間もなかった。そして談話室にいる六人に、くのえは頭を下げた。
「ごめんなさい」
殺されたせいか、七歳に成長した子供は少々背が伸びていた。その体をくの字に折り曲げ、誰に倣ったでもないのに深く深く謝意を示す。
「分かった、もういいよくのえ」
いつかが許すと、場の空気がほっと緩む。続いてみちも、いちこも許すと言った。にことよみとむつは互いに目を交わし、何も言わないがひとまず嫌悪は取り下げたようだ。だがデルウハには課題が残った。
待ってくれ。まさかと思うが覚えてるのか?
あるいは、死体だと思っていたのにとっくに回復して、袋の中で会話を聞いていたのか?
デルウハが疑念を抱いていると、謝罪を終えたくのえがとことこと近付いてくる。
「たいちょう」
「…なんだ」
「次は、一まで数えてね」
これはまずいのでは?
子供はもうデルウハから離れてしまった。デルウハは頭を抱える。爆弾を抱えたようなものである。これはいよいよ、ハントレスと引き剥がさねばなるまい。
「もう一人、か」
くのえの話し相手や友人が必要である。だが今は用意が出来ないだろう。ひとまず、総合的にほんの少しの距離が離れたのを確認して、デルウハは所長室に向かうのだった。