「そんな…実直で美しいものなんて、ありますでしょうか」
「あんたには見えないという事だろうな。怖がっているんだろう、俺の事を。だったら見えないさ」
デルウハのこざっぱりとした物言いに、所長は苦笑いをこぼした。古来より悪魔は人を惑わすという。神が人を創り、あまりにも人を愛すが故に嫉妬したという説がある。古今東西あらゆる面で、人間から勤勉さや純朴さを奪っていくものは悪魔とされ、神に仕える者に純潔が要求されているのは現代でも続いている。イペリットが現れるまでは。
イペリットが現れた事で、神や信仰の在り方は大きく変わったのだろうか。閉ざされた山奥では、人々の住まう下界の美しい宗教施設や風景は、どこまで破壊尽くされたのかが分からない。イペリットこそが悪夢であり、斃すべき宿敵であるにも関わらず…神は降臨なされなかった。代わりに研究所にはハントレスがもたらされたものの…その利を知ること無く人類は最早諦めている。この終末世界において、デルウハの言うことが分からないでもないが…所長には納得しかねた。
「デルウハ殿は恐ろしい方ですよ。…それは変わりません」
「だったら、あんたには見えないな」
デルウハの目線を借りれば、所長からでも見える景色があるというのだろうか。ぬくぬくと細々と暮らしてきた所長と違い、前線で戦ってきたデルウハにしか見えない物があるのは承知の上だ。だがそれが、実直かつ美しいものであるのかは承服しかねた。美しいものとは洗練されているものであろう。実直とは対と成すべきものだ。だがその矛盾を、デルウハは見てきたと言うのだろうか。悪魔は、この世の地獄の光景から逃れて来た。その経験則を打ち負かせるのは、所長が持ち合わせるのは知識だけだ。
「俺が怖くなくなれば、見えてくる」
悪魔はそう言って誘い出す。手をやわらかく差し出して、誘ってくる。その誘いに乗ってはならぬと、平生の所長ならば思うのだろうが…今は終末世界である。その手を掴むしかない。所長が手を掴んだところで、デルウハは強く彼を引き寄せると目前でにぃと笑った。
「悪いようにはしないさ」
その言葉とその笑顔を信じ切ることは出来ないが、悪魔に誘われたワルツに足がステップを踏んでいる。最後まで踊り切るしかないのだ。
実直で美しいもの。もしかして彼の合理性を正当化しているのか?と疑念を抱くももう踊り始めてしまっているので遅い。最後までどうぞよろしく。デルウハの満足気な笑みを見ながら、所長は地獄に落ちる覚悟を決めるのだった。