「ド、ドリンクはもういいから。それより、もう帰りましょう?」
アンナの言葉にジュリオの動きがぴたりと止まる。かと思えば、先程と同じ異様な雰囲気が、表情を隠す背中から漏れ始めた。それが何なのかも、そしてなぜ出ているのかも分からないアンナは、恐る恐る再度ジュリオの名を呼んだ。
「ジュ、ジュリオ・・・?」
「・・・やです」
「へ?」
「いやです」
ジュリオの口から飛び出たのは、アンナが微塵も予想していなかった拒否の台詞だった。乗り気でないのはジュリオも同じ、自分が行くというから付き合っているだけ、と思っていたアンナは仰天する。しかも、声色だけで大分不満げなのが窺い知れる事に猶更びっくりしていた。
と同時に、嫌な予想が脳裏を過る。もしかしたら、ジュリオは先程話していた女性の誰かと約束か何かしたのではないだろうか。その人と話している内に酒が進んで、このように酔っぱらってしまったのではないか。だとするなら、主人の特権を使って会場から連れ戻そうとする自分は、ジュリオにとって嫌な奴で――?そんな最早妄想じみたネガティブな思考を断ち切ったのは、他でもないジュリオ自身だった。
「さっきの人だけずるいです」
「・・・はい?」
「私も、お嬢様と踊りたい」
「・・・エ!?」
ネガティブさを全部吹き飛ばすどころか、真面な状況理解能力すら奪い去っていく程の爆弾発言に、アンナは腰を抜かしそうになる程驚いた。ずるいってナニ?踊りたいってドユコト?顔を真っ赤にして大混乱するアンナはあわあわと真面な言葉を紡げない。そして混乱されている事にべろべろのジュリオは気付かない。小さなカオスがそこにはあった。
「ほら、次の曲始まりますよ。踊りましょ、お嬢様」
ここで敢えてもう一度記述する。——アンナのそんな状態に構っていられる程、社会という物は上手く出来ていない。彼女の動揺も混沌も完全に置き去りにして、演奏団は新たな曲を奏で始めていた。そしてそれを好機とばかりに、ジュリオは左腕を掴んでいたアンナの腕を空いていた右手で掴んで、会場の方に引っ張っていった。アンナは抵抗する間もなくされるがままだ。
――いや、違う。抵抗する気が無いのだ。さっきの青年と違って強引なのに、逃げたいという気持ちがほんの少しも湧かない。だって、多分きっと——アンナも、ジュリオと踊りたかったのだ。
ジュリオは会場の端の方で足を止め、そこで一度アンナの手を放した。あまり目立つのを好かないアンナに配慮したのか、それとも――。そこまで考えている間に、右手が目の前に差し出される。アンナは躊躇う事無くその手を取って、ジュリオの方へ身体を預けた。
酔っていても、ジュリオの踊り方は練習の時と変わらなかった。踊りをリードするのではなく、アンナに合わせる踊り方。足取りも心配していたよりはしっかりしていた。意外と酔っていないのかも、と思って視線を上に向けると、そこにはやはり普段しない笑顔のジュリオがいて。アンナは気恥ずかしさからすぐに顔を逸らしてしまった。
「・・・っと」
そうして踊り続ける事数分。曲が終盤に差し掛かった頃、不意にジュリオの足がふらつき、たたらを踏んだ。動いて血流が促進された事で、アルコールがかなり回ってきたのだろう。このままでは立っていられなくなるかもしれない。
「バルコニー行きましょう、ジュリオ。少し外の風に当たった方がいいわ」
言いながら、今度はアンナがジュリオの腕を引き、会場から遠ざかる。ジュリオはよろけながらも抵抗する事はなく、彼女に大人しくついて行った。
ーーーーーーーーー
「ジュリオ、お水貰って来たわ。飲める?」
バルコニーのベンチに座り込んだジュリオに、アンナがコップを差し出す。ジュリオは数秒程ぼうっとそれを眺めてから、緩慢な動きでグラスを右手で取った。さっきまではご機嫌だったのに、バルコニーに来てからは終始無言だ。
いきなり様子の変わってしまったジュリオを気遣い、アンナは係員に頼んで水を貰って来ていた。しかしそれにも口をつける事は無く、ぼんやりとどこかを見つめながらグラスを握っているだけだった。ニコニコだった表情など最早無である。
「もしかして、気持ち悪いの?待っててね、今人を呼んでくるから」
そう言ってアンナが再度建物の中へと踵を返す。だがそれは、後ろから腕を引かれた事で阻止された。グラスを握っていないジュリオの左手が、アンナの服の裾を掴んでいた。ジュリオの意図がわからず、アンナが困惑を隠さずに振り返る。
「ジュ、ジュリオ!?」
振り返った先にあったのは、彼女をより大きな混乱に落とし入れる光景だった。泣いている。うつむいたまま、涙腺がまだ生きている左目から幾つもの涙が零れて、ぽたぽたと衣装にシミを作っていた。
だがそれでも、本人にはその瞬間まで泣いているという自覚は無かったらしい。アンナが叫んでから数秒後、ジュリオはぐらぐらと頭を揺らしながら右腕でゆっくりと、しかし雑に涙を拭った。握ったままだったグラスが傾き、中身が全てバルコニーに零れる。それを見たアンナは一旦グラスを取り上げた。一応人様のものなので、壊してしまうのは忍びない。
その上で、アンナはジュリオの隣に腰掛けて顔を覗き込んだ。ジュリオの涙は拭っても拭っても止まる気配がなく、衣装の袖をじっとりと濡らしていく。アンナは子供をあやすように背を撫でてやりながら、ジュリオの目を見て問いかけた。
「ジュリオ、どうしたの?どこか痛いの?やっぱり具合が・・・」
「・・・が」
「なに?」
「・・・胸が、痛い。さっき、アンナが別の男と踊ったの、見てから」
しゃっくりをあげながら、ジュリオが苦しそうに言葉を零した。その内容にアンナは目を見開く。さっきの口ぶりからしても青年と踊っていたのを見ていた、と言うのはわかっていたが、久しぶりに名前で呼ばれ、素の口調で話されている事にも動揺していた。本当に何となくではあったが、これは彼の本心により近い話なのだろうと察知した。
「痛いって・・・どうして?」
「・・・忘れられるって、思った。アンナが俺を好きだったって事、すぐに忘れられるって・・・。忘れて、次の恋を始めてしまうんだって・・・。俺には、無理なのに。俺には、アンナしかいないのに」
「・・・それって」
ジュリオの言葉に、アンナの心臓が期待感で否応なしに高鳴った。それと同時に、冷静な声が耳元で囁きかける。お前は振られた身なんだぞ。いつまでも叶わない恋に熱を上げるなんて、見苦しい――。だがそれを、アンナは頭を振って振り切った。
確かに見苦しいのかもしれない。自分に都合のいいよう解釈したいだけかもしれない。だけど今はそれより何より、苦しそうに言葉を漏らす彼に寄り添いたいと、純粋に思うのだ。きっと彼ならそうしただろうと、信じる事ができるから。
「どういう意味?ジュリオ」
「・・・好きなんだ。他の人なんてこれっぽっちも興味ない。俺はアンナさえいてくれれば・・・いや、アンナが居なくちゃダメなんだ」
どくん、とアンナの心臓が一際大きな音を立てた。妄想かと思ってしまうような望んだ答えに、アンナの目尻からも涙が零れた。同じ気持ちでいてくれた。自分じゃないとダメだと思っていた。それを知るだけでここまでの幸福感と満足感があるという事を、アンナは今の今まで知らなかった。
それと同時に疑問が浮かび上がる。好きだと言うならどうして、あの時自分の告白を断ったのだろう。自分はもう法律で問題になる年でもなく、生前の父から結婚の許可も貰っている。仮に使用人達が全員生きていたとしても、彼等からも賛成を得ていた。寧ろ屋敷全体が最強の後ろ盾状態だった。それなのに何故——?
「でもアンナは違う」
アンナの思考を読み取ったかのように、ジュリオが言葉を続けた。告白したあの時と同じ、悲し気な拒絶を含んだ声。だがあの時よりも、涙声のそれはずっとずっと苦し気だ。
「俺じゃないといけない理由がない。俺が居なくたってアンナは生きていけるんだ。それなのに、こんな傷物の年食った男抱え込まなきゃいけない理由がどこにある?他にいい男が世の中には沢山いるってのに」
――俺じゃダメだ。アンナと釣り合わないんだ。
その瞬間、告白の時のジュリオの返事が脳裏に蘇った。あの時は断られたショックの余り気付いていなかったが、ジュリオは拒否の理由にアンナの存在を入れていなかった。自分が分不相応だから。たったそれだけの理由に終始して、アンナの想いを拒絶していた事に今初めて気が付く。
「俺じゃダメなんだ。俺じゃアンナを幸せに出来ない。俺の存在は必ずアンナの足枷になる。だからいっそ嫌われればって、ずっと・・・」
もうとっくに拭う事を諦めた涙が、ジュリオの頬を滑り落ちていく。酒のせいで情緒も理性もトチ狂ったようで、きっと長い事胸に秘めていたであろう事を、間違いなく一番ばらしてはいけない相手に暴露してしまった。だが最早その事に気付く余裕もない。
だがその暴露を以てしても、ジュリオの心の暗雲は晴れなかった。全て喋った所で不相応という現実は何も変わらない事を、他でもない本人が知っているからだ。諦めというあまりにも重い鎖が、ジュリオの心を雁字搦めにしていた。
――全く、腹が立つったらありゃしない。
「・・・何よそれ」
アンナの手がジュリオの衣装の襟に伸びる。そして、俯いたままの顔を無理矢理こちらに向かせるように、力尽くで自分の方へと引っ張った。襟の布が伸びるとか淑女がこんな事するなはしたない、とかいう理性の声はガンスルー。そんな事よりも腹が立って堪らないのだ、黙っていろ。
「釣り合わないって何よ!?一体どこの誰が、どんな権利でそんな事決めたの!お父様もお屋敷の皆も、貴方がお婿さんになるのすっごく歓迎してたのに!」
「は!?」
首元を掴まれた事に驚くあまり動きを止めていたジュリオが、そんな事は初耳だとばかりに声を上げた。シェルビーノ家の子供はアンナ一人。婿入りを歓迎するなんて言おうものなら、アンナがジュリオを好いているとばらしている様なものだ。今時下手な少女漫画でもやらないようなミスを、優秀なシェルビーノ家の人間がやらかす筈もない。
「や・・・でも、それは俺がシェルビーノの使用人達に良くして貰ってたってだけで・・・。外の人間には良く思われませんよ、絶対」
「・・・そうかもね。外に出るようになって、度々貴方の事を悪く言う声、聞こえてくるようになったの。貴方は、前々からずっとあんな事を言われ続けてきたのでしょうね」
「そういう事です。だから、俺みたいなのに執心するのは――」
ジュリオがアンナの言葉に同調し、更なる拒絶を繰り出そうとする。だがそれを、アンナは許さなかった。物理的に続きの言葉を発するのを止めたのだ。——ジュリオの唇を、自分のそれで塞いで。
「——ッ!?」
ジュリオが再度、動揺の余りに静止する。行き場を失った右手がひくりと跳ねて、しかし抵抗もせず自分から離れる事も無く、大人しく彼女とのファーストキスに身を委ねていた。
数秒後、やっとアンナが唇を離した頃には、ジュリオはすっかり真っ赤になって二の句を継げない状態だった。多分何かを言おうとしているのだろうが、ぱくぱくと口を動かすばかりで声になっていない。だが生憎とアンナは大変ご立腹だ。何も状況を整理できていないジュリオを容赦なく置き去りにしていく。
「でも、私にはそんな事どうだっていいのよ!貴方と一緒にいる事を恥ずかしく思う必要なんてほんの少しもない!そんな外で口だけ出してくるような人達なんかよりも、ジュリオの方がずっとずっと大事なんだから!」
「は、え・・・」
「だから、もうそういう事を逃げの理由に使うのは止めて頂戴!例えそうやって逃げようとしたって、もう絶対絶対逃がさないから!覚悟してよね!」
言いながら、アンナは思いきりジュリオに抱き着いた。抱きしめ返すべきか否か、どの簡単な問答すらもぐるぐると頭を回って、ジュリオの両腕が彷徨う。——あれ、景色までもがぐるぐると――。
「・・・ジュリオ?ちょ、ちょっと、嘘でしょ!?ジュリオ!?ジュリオー!?」
急に慌て出したアンナの声と、青ざめた彼女の顔を最後に、ジュリオの意識は途切れた。
ーーーーーーーーーー
「単なるお酒の飲みすぎですね」
目の前の白衣の男性が告げた言葉に、アンナは脱力した。バルコニーで気を失ってしまったジュリオの事を主催者のマダムに報告し、運んで貰ったのが1時間程前。ジュリオは今マダムに貸して貰った客室のベッドに寝かされていた。
「アルコールが脳に回ったので意識を失ってしまったようです。二日酔いにはなりますが、今夜安静にすれば回復しますよ」
そう言って退室していった医者に礼を言ってから、アンナはジュリオのベッド傍の椅子に座った。まだアルコールの抜けきらない頬はほんのりと赤くて、眠っている姿は少し幼い。大した事が無くて良かったが、今後はお酒をセーブさせなければ。
(私の心臓にも悪いし・・・。色んな意味で)
そう思っていると、部屋の扉が控えめに2回ノックされた。時刻が既に10時を超えている今、ここに訪ねてくる人間には凡そ見当がつく。アンナは席を立ち、扉を開けてその前にいた人物を部屋に招き入れた。ジュリオが倒れたと聞いて、今日一晩だけ部屋を貸してくれたマダムである。
「ありがとうございました、今日は色々していただいて」
「困った時はお互い様でしてよ、アンナ様。お連れの方は如何でした?」
「お酒の飲み過ぎだって言われました」
アンナがそう返すと、マダムは小さくやっぱりね、と呟いた。恐らくは聞こえるように発したのだろうそれは、静かな部屋で隣のアンナの耳にしっかりと届いた。
「やっぱりって・・・?」
「彼、貴方が踊りに誘われてから沢山飲んでいらっしゃったんです。私が様子を見に行った時には大分酔っぱらってまして。それまでは女の子を上手く躱してたのに、ずっと貴女の方見てぼうっとしてました」
「えっ!?そ、そうだったんですか?」
「ええ。その時かなり度数の高い物を飲んでいまして、それも飲み終わったら別のを飲もうとしてました。それは度数が低かったのですが、流石に後が怖いと思ってお止めしましたの。そしたら気分が悪くなられたのか、隅の方に行ってしまわれて」
そのタイミングでアンナが戻って来たので、連れがいるなら一先ずは大丈夫と思い離れたようだ。アンナは色々と納得するのと同時に、酒を飲まなければ飲み込めない程嫉妬してくれていた事が嬉しくて赤面してしまう。いや、でもやっぱり、酒は控えさせないとだが。
「アンナ様、私は嬉しゅうございましてよ」
「えっ?」
「私の所に来た時、貴女様は慌てておいででした。それだけ彼の事を強く思い、心配していたのでしょう?」
「そ、それは・・・はい」
「私、てっきり彼が叶わない片想いをしておいでだと思っていましたの。でも貴女も彼を好いている。彼の想いに希望がある。それが本当に嬉しかったのです」
アンナがぱちくりと瞬きをする。ジュリオにああ言った手前当てにしないつもりではいたが、まさか同じ富裕層の人間に応援されるとは思ってもみなかったのだ。色々とかなり際どいサポートアイテムを使っていた都合上、誘拐事件に関するジュリオの功績を知る人間は殆どいない。だが彼女は恐らく、その数少ない内の一人なのだろう。
「気が早いかも知れませんが、挙式の際は是非ご一報下さいな。愛と誠意を込めて、お二人の門出をお祝いいたしますわ」
「・・・はい!ありがとうございます!」
マダムがアンナの右手を両手で包みながら、嘘偽りのない笑顔で二人を祝福する。そんな彼女の態度にアンナは暫くぶりの笑顔を浮かべ、マダムの手に左手を重ねた。
ーーーーーーーーーー
「おはよう、ジュリオ!」
翌日の朝、屋敷の部屋に元気一杯のアンナの声が響き渡る。その声にベッドの上の毛布が大きく跳ね、中身が盛大な音を立てて地面に落下した。慌ててアンナがベッドの反対側に回ると、不機嫌そうな顔をしたジュリオが逆さまになっていた。
「・・・男の部屋に入ってくんじゃねえ。あとここ、多分人ん家だろ。頭も痛ぇし、大声出すな」
医者の予想通り、ジュリオはしっかりと二日酔いになっていた。頭だけでなく声も瀕死だ。ジュリオはのっそりと起き上がって、毛布をちゃんと直してから、傍の机の上の水差しから水をコップに注いだ。
「んで、何で俺ここにいんの?」
「昨日飲みすぎで気絶しちゃったのよ。覚えてない?」
「全然・・・。ってかマジで頭痛ぇな・・・。どんだけ飲んだんだよ昨日の俺・・・」
愚痴が時間を超える訳もないので、どんなに言った所で頭痛は改善されない。ジュリオは諦めて水を流し込み、コップを置いてアンナの方に向き直った。
「俺着替えるから、アンナは外に出てくれねえか?」
「用が終わったらね」
「用?」
「ほら、昨日バルコニーでした話よ!貴方からの返事、まだ聞けてなかったから」
アンナがニコニコと笑いながら、そう言ってジュリオの言葉を促した。朝から彼女がご機嫌だった理由はこれだ。昨日ジュリオは自分の事を好きだと言ってくれたし、今は後ろ盾になってくれるマダムもいる。今度こそ。今度こそ、良い返事を期待してもいいんじゃないか。そう、胸を躍らせていた。
――しかし、現実は非情である。
ここいらで書き途中の部分と結合して、それで終わりなのでこれで完成です!
こちら頂いたネタですので、一旦その方にご覧いただいてからシブの方に掲載いたします!
ご覧いただきありがとうございました!
本日はここまでです!
おやすみなさい( ˘ω˘)スヤァ