「お誕生日おめでとうございます」
単調な定型文のメールであった。サタケはその送り先を確認した。トーマス・J・プラムマン、プライベートメールであるから公的な物ではない。たった一文だけである。何度読み返しても何の修飾語も、時候の挨拶も何も無い。ただの一文である。簡素で淡々として、でも実直だ。君らしいなあとサタケは久しぶりに笑った。心からの笑みだった。
日本の伏魔殿で渡り合うのには知略と根回しと、何よりも上司のおぼえがめでたい必要があった。自衛隊という組織において必要なのは妬みでも足の引っ張り合いでもなく、基本的には現場の兵士への適切な環境と適切な自衛に必要な道具を揃えること。それが国民感情に触れぬように、政治家との根回し、根回し、根回し。友好国の兵器を購入する事態になって、それをマスコミが囃し立てるのを極力火消しながら…この平和な国で自衛費というのは如何に無駄である事か、マスコミは高らかに金額を抜き出して叩く。だがデスドライヴズの襲来を受けて、その傾向はほんの少しだけ緩んだはずだった。未知の敵に対しての国土の惨状を思えば、散々費用対効果で無駄だとされてきた烈華の重要性が見直され、救世主は自衛官だと覚えもめでたいニュースは、多少なりともの自衛隊へのねじれを正したはずであった。だが喉元過ぎれば熱さを忘れる、人の噂も七十五日。平和になると人々は復興の中で忘れ去ってしまったようだ。
相変わらず監視の目が強い中で、環境を整えるのも難しい。指一つ動かすのも国費の無駄ではないかと言われる。その国民の目などそもそも取るに足らぬものと豪胆な者も伏魔殿の中にはいるが、現場の兵士やTSに心を配るのは何名いるのだろう。サタケが伏魔殿と言いたくなるのはそういう組織だった。組織になった途端に中の人間は腐ると言うつもりはない。ただ人間は互いに優劣を付け合い、出世という名誉と、家族など養う者がいる途端に金が絡む途端に人が変わる。金が必要なのだ、あるいは溢れんばかりの名誉が。そう考える人間を否定をしないが、その目先の欲にくらむと互いに蹴落としてでも我先にと手が出やすい。特に組織においては、椅子は僅かばかりにしか用意されていないのだから。
そこに入り込んだサタケは、救世主を率いた上官と鳴り物入りであった。実際はブレイバーンとイサミは組織単位で見れば勝手な行動も多かったが、それを許容したのはサタケである。鳴り物入りの彼を注視した者は非常に多い。その目線は敬意でもなんでもないのが、サタケにはよく分かっていた。羨望と嫉妬である。サタケはにこやかな笑顔を崩さずに、その視線をなんでもないとばかりに受け止め、それが嫌味にならないような愛想の良さを保たなければならなかった。その愛想笑いをしたのは久しぶりだと思った。ちょうどいい愛想笑いのやり方を覚えたのは、二十代前半だったかな。それからは順当に出世し、その愛想笑いをする機会も減少していったのだが、ここに来て再度必要になるとは。
「サタケ一佐、本日より配属になりました。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
ここの戦場は、所作と発言が武器だ。飛び交う銃弾やレーザー、ミサイルではない。サタケはTSを懐かしく思った。現場に出ながら指揮官をする責務は大変であったが、それでも誰かの顔色を窺い続けるよりは…いやいつ死ぬか分からなかった。ペシミズムの起こした霧中に飛び出していったことを思い出す。自らの立場で敵地に飛び込むのは無謀かつ浅慮であっただろう。だが当時の上官のキングは己の行動を不問にした。お元気だろうか、カワダ海将も、バロウ中将も。だが制止に入ったプラムマンも同じように罰則を負うことになったのには苦笑いした。軽い罰則は、あくまで隠ぺいはせずに口答注意だけで済まされた。だが結果としてTS部隊の人命は最低限の犠牲を出したものの…大きな損傷は無かった。それだけがサタケの救いだ。
「あの霧の中でよく分かったな」
サタケは偶然が重なったと説明したが、その実は違っていた。
繰り返す時をあなたは信じるだろうか。同じような出来事、同じ展開、同じ人間に同じ死に様。タイムリープと名付けられている事が、サタケの身には起こっていた。すべての始まりはハワイにて、プラムマンの運転するJLTVにての会話である。
「本当に宇宙人だと思うか?」
「何であろうと関係ありません。敵であれば倒す。それだけです」
こんな会話をしたにも関わらず、気が付いたらサタケはもう一度同じJLTVに乗っていた。同じ言葉を繰り返す。
「本当に宇宙人だと思うか?」
夢だったのか? これまでの事が白昼夢であったのなら、随分とリアルかつ凄惨な夢だったとサタケは思う。日本には上陸が可能であったものの、霧に阻まれTS部隊はほぼ壊滅状態に陥った。部下は全滅した。ブレイブ・ナイツは残ったものの、スミス中尉はクーヌスと名乗る機体と共に爆死、イサミもペシミズムとヴァニタスに敗れ…それからは考えようもなかった。絶望である。そこで目が覚めて、今はプラムマン上級曹長と会話をしているのだ。
「何であろうと関係ありません。敵であれば倒す、それだけです」
「君らしいな、上級曹長」
プラムマンがそう言い切るのに、サタケは安堵する。力強い言葉はいつも安心を与えてくれた。まだ指揮官に慣れず、内心で右往左往している心に張り手をかましてくれるような、愛のある叱咤である。しっかりしろといつも言ってくれる、その度に正気に戻るように弱気がしゃんと背を伸ばす。本当にプラムマンがいてくれて良かったとその度に思うのだった。だがもう一度、サタケは夢を見たようだ。
TS部隊の壊滅、イサミはペシミズムとヴァニタスに辛勝したものの、スミスのロストは伝えられ……。
もう一度サタケが目を覚ました時には、そこはプラムマンの運転するJLTVにての会話であった。
「本当に…」
サタケは言葉を詰まらせた。ペシミズムとヴァニタスとの戦闘だけではない、ゾルダートフィラーであったり、ゾルダートテラーであったり、クピリダス、スペルビア…これまで立ちはだかって来た敵に、我々は何度も全滅させられて来たのである。その度に、やり直しを前提とするゲームかのように、何度も死んで失ってはサタケは何故か生き残って来た。身を切られるような絶望を何度も味わってきた。少しずつ敵を倒して前進しているはずなのに、何かが起きるたびに全滅する仲間、部下。その死にざまを見ながら、哀しみながら何度TSを乗り、生きようともがいてきたことか。死の間際になると、何故かサタケだけは”長い眠りの中にずっといたように目が覚める”のだ。そうしてJLTVに戻って来る。この苦しみは、サタケにしか分かりえないものだろう。後悔も、咄嗟に浮かんでしまう懺悔も…情けなさが身を衝くのに、何故自分だけは何度も繰り返すのだろう。次こそはうまくやる、次こそはと誓いながら。だがサタケの心にも少々のほころびが見え、この白昼夢を拒み始めたのだ。サタケはJLTVの中で、窓にもたれかかる。
もういやだ。素直な本音がそう呟いた。心の中だけであったので、プラムマンには聞こえなかったのだろうが、身を守るように縮むサタケに彼は車を止める。幸いにも対向車も後続車も無い。ほんの少しの停車である。安全を確保したプラムマンは、サタケの手を取った。ごつごつと凹凸のある指が、サタケの手を包み込む。プラムマンにサタケの事情が分かっているのかはここからでは分からない。だが分かっているかもしれなかった。そうサタケは希望を見出した。そして慰め合うように、手を取り合った。握りしめ合った。大丈夫、大丈夫だよ。
手を握り締められるのは久しぶりの事だ。あたたかい手が、痛くなる寸前でぐっと握りこんでくる。不器用な男の慰め方であった。サタケは落ち着きを取り戻したように、続ける。
「本当に宇宙人だと思うか…?」
「なんであろうと関係ありません。敵であれば倒す。それだけです」
一字一句同じ文言である。だが夕日に照らされたプラムマンの瞳がまっすぐに実直に輝くのを見つめて、手の叱咤激励を受け取って、サタケは息を吐いた。安堵の息だった。
「君らしいな、上級曹長」
「今回の事をどう考えている」
「…要点が見えませんな」
「ATFに所属し、私の指揮下に入った事だ。君のように優秀な男なら、もっと実戦経験豊富な指揮官の元に就きたいと考えるだろう」
「それも関係ありません、二佐殿」
「前の指揮官はそこそこ優秀でしたが、運が無かったから死んだ。貴方がそうでないことを願っています」
「…それを聞いて安心したよ」
まだ車は発進していない。手は握り続けている。だがサタケが安心したのを見計らい、プラムマンは手を離すと車の運転を再開し始めた。幸いにも後続車も、対向車もいない。たった二人の車だけが走り続けている。
その後のサタケの活躍は言うまでもない。霧の中で部下を救った。ブレイバーンはバーンブレイバーンとなり、ヴァニタスとペシミズムを撃破。その後ブレイバーンがスミス中尉と分かるまでに時間はかかるが、世界は救われた。あの緊張感の日々に戻りたいかと言われれば、否と言うだろう。この伏魔殿がかわいく思えるほどだ。だがサタケの心を少し蝕むものは確実にある。その疲れが出ている時に、彼からのプライベートメールである。
「お誕生日おめでとうございます」
「忘れていたよ。ありがとう」
返信も簡素に送り、サタケは立ち上がった。今はかろうじてケーキ屋が開いている時間帯である。普段は足を運ばないが、珍しく行ってみようと思ったのだ。紅葉が少しずつ街を染め上げ肌寒さがある季節だが、お気に入りの赤のレザージャケットを着込めばそこまで感じない。空いていなければ足を伸ばして、別のケーキ屋に行ってみようか。大量生産品のケーキでもいいな。デパートやスーパーに行けばまだ売っているだろう。久しぶりに浮き上がった気持ちを抑え、彼はヘルメットを被ると出掛けるのだった。