僕は、本物の魔女を見たことがあるんだ。黒い夜、黄色いネコの目が光っている隣で、魔女は渋い顔をしてこちらを見ていた。
皆は魔女を「怖い」とか「恐ろしい」とか言うけど、僕はそう思わなかった。だって、僕の目の前で、名前も知らないバケモノに何かを撒き散らして追い払ってしまったんだから! むしろ最初に思ったのは、「カッコいい」だ。
僕を青く細い目で見て、皺だらけで薄紫色の唇を少し開けて、嗄れた声でこう言った。
「おい、ボウズ。犬猫に手を出すなって、カミサマに言われなかったか?」
その目は冷たいようで温かかった。どうしてだろう、まるで僕のことが嫌いなのに好きみたいで、僕はつい口を開いてしまった。お母さんには、知らない人についてっちゃ駄目だよ、と言われていたのにね。
後ろ手に隠した、死んだネコをこちらに見せると、おじさんは、うわ、という顔をした。皺だらけの喉を震わせて、低い声でこう答える。
「穢らわしい。どうしてこんな物を?」
「母さんがね、ネコで遊ぶのは駄目だよって言うの。でも、どうしても遊びたくって……だから、あとで隠さなきゃ、って思って森に来たらね、バケモノが出てきたんだよ!」
「そうさな。こんな夜に森に来たら、獣が出て仕方無いな。さっさと帰んなさいな」
そう言って、魔女は、|しっし《go home》、と僕を追い払うように手を向けた。同時に、グウ、とお腹が鳴る。もうお腹ぺこぺこだ。早く帰りたい。
「でも、どうしよう……コレ、隠さないと。母さんに叱られちゃう……」
「はぁ……私が何とかしておこう。こちらに寄越しな」
「え、いいの!? ありがとう!」
「お母ちゃんが心配する前に帰るんだよ」
僕は目を煌めかせておじさんを見つめた。僕の持つ死体を渡すと、おじさんはこちらを見下すような目をしたあと、また小さく溜め息を吐いて、黒いローブをはためかせて去っていこうとした。
「ま、待って、おじさん!」
咄嗟に声を上げておじさんを引き留めた。おじさんは眉を寄せると、夜色の目でこちらを見やった。いや、夜色の目じゃない、黒い布を片目に当てているんだ。
面倒そうに灰色の唇をゆっくり持ち上げて、何だ、と一言。
「あの、おじさん、名前教えて!」
「ハァ? なんでまたそんなことを?」
「おじさん、僕を助けた人だから! 母さんと父さんに自慢するんだ!」
「……ボウズ、きっと嫌な顔をされるぞ」
「なんで?」
「まぁ良い。私の名は、セイラムだ」
「セイラムおじさんだね、覚えた!」
「覚えなくて良い。さ、帰った帰ったァ」
今度こそ、黒いローブがセイラムおじさんの姿を隠して、黒い森の中に溶けていってしまった。消えていくとき、ニャア、とネコが鳴いた。ネコもまた、嗄れた声をしていた。
◆
僕はその晩、母さんと父さんに、セイラムおじさんのことを自慢した。セイラムおじさんがバケモノをやっつけてくれたんだよ、と──もちろん、ネコを殺したことは内緒だ──言うと、二人はちょっと不思議そうな顔をしたあと、僕の頭を撫でた。
「無事で良かった。でも、セイラムさんには近づいちゃ駄目よ」
「どうして? セイラムおじさん、カッコいいよ!」
「セイラムさんはな、悪い魔女なんだ。とっても怖くて危ないんだぞ」
「そうかなぁ? でも、僕のこと助けてくれたよ!」
「とにかく、駄目なの。母さんと父さんと約束ね。分かった?」
なんとなくもやもやした気持ちだったけれど、母さんと父さんのことを悲しませるわけにはいかない。僕は少し黙ってから、うん、と返した。すると二人は不安そうな顔を明るくして、また僕の頭を撫でてくれた。いつもどおり、血の臭いのする手だった。僕は、そんな二人の手が好きだ。
だって、血の臭いは二人が一生懸命仕事をしている証拠だから。
「今日はキノコスープにしましょう。キノコが採れたから」
「やったぁ!」
「ごめんね、今日もパンは買ってこれなかったけど……」
「いいよ! 二日ぶりのご飯だぁ!」
僕が楽しそうにそう言うと、二人は口の端を緩めて嬉しそうに顔を明るくした。蝋燭の橙の光が、二人の顔を照らして、ほんのり明るい。
木で出来たおかしな形のテーブルに、これまた木で出来たおかしな形のお皿を置いて、キノコとスープを入れて召し上がれ。温かいキノコからは深い──僕にはこの匂いを説明する言葉はよく分からないけれど──匂いがしてくる。僕たちは貧しいけれど、この小さな光の中で、少し冷めたスープを食べる瞬間が幸せだから、それで良いんだ。母さんと父さんが笑っていてくれれば、僕はそれで嬉しいんだ。
◆
「さぁ、今日は市場に行きましょうね。父さんは仕事だから、美味しいご飯を作って待ってましょう」
母さんに連れられて、僕は家を出た。ボロ布が擦れると、土埃が舞う。最近最後にお風呂に入ったのはいつだったかな。
一歩踏み出すと、こつん、と何かが顔に当たる。何だろう、と確認するより先に、もっと大きい物が当たった。痛い。びっくりしてそちらを向くと、ゲラゲラと笑っている男の人たちがいた。鎌を持ち上げて振っている。
──おい、汚い|処刑人どもが来たぞ!
──今日も血の臭いが酷いなァ!
母さんが僕に覆い被さる。さぁ、行きましょう、と言う母さんの背中には、相変わらず石がぶつかっている。痛そうだ。
ショケイニン。それが母さんと父さんの仕事だ。悪い人を殺す仕事。とっても凄い仕事で、だから皆も尊敬しているんだ。だけど、どうしてかこうやって母さんと父さんを虐める人がいる。
「母さん、大丈夫?」
「私は大丈夫よ」
「こんにちは、おじさん!」
僕が挨拶をすると、男の人たちは、うげ、と言っていなくなってしまった。どうしてだろう。僕はただ、皆と仲良くしたいだけなのに。
母さんは僕の頭をぽんぽんと撫でると、僕を見下ろしてにっこりと笑った。
「ウィリアムは偉いわね、ちゃんと挨拶できて」
「うん! 仲良くするには挨拶が大事だって父さんが言ってたから!」
「えぇ、そうね……」
母さんはどこか沈んだ声でそう言った。
僕たちが市場に着くと、そこにいたお店屋さんたちは、鼻を摘んで、|しっし《go away》、と言った。母さんが近寄れば、大きな声を上げて追い返そうとする。
「あんたみたいな汚い人たちにあげる野菜なんて無いよ!」
母さんは首を縮めてお店屋さんを見上げた。
「お願いします、息子のためなんです」
「五月蝿いねェ。虫が集ったらどうするんだい! 早く帰んな!」
「お願いします、お金ならあるんです、お願いします……」
お店屋さんが出てきたかと思うと、僕のことを、どん、と押しのけ、母さんの腹を蹴っ飛ばした。
「酷い! 母さんに何するんだ!」
「しつこいんだよ! 帰れって言ってんだろ!」
「しつこい? しつこいならコレでもくれてやんな」
そう言って、お店屋さんの一人が僕たちに何か濡れたものを投げつけた──残飯だ。なんだ、ちゃんとくれるんじゃないか。
「タダでやるよ! それでも食いなァ!」
「……ありがとう、ございます……」
母さんが消え入りそうな声でそんなことを言う。母さんがありがとうって言ってるんだから、僕もありがとうって言わないと。しっかりと背筋を伸ばして、ありがとうございます、と叫んだ。
──気持ち悪い息子だ。
──さすが、魔女の息子だよ。
誰かが、そんなことを、呟いた気がした。
母さんはいそいそと僕を前に隠して、のそのそと歩いていく。ねぇ、母さん、僕ちゃんとありがとうって言えたよ。そう言えば、母さんはまた僕のことを撫でてくれた。僕はこうやって、母さんに撫でられるのが大好きだ。
◆
残飯は三日は保った。ちょっと口の中が気持ち悪かったけれど、毎日ご飯を食べられただけ嬉しかった。
三日目の夜、母さんが父さんのほうを見て、眉を下げてこんな話をした。
「もう、食料が尽きちゃったね……」
「そうだな。今度、職場の人に頼んで何かくれないか聞いてみるよ」
「ありがとう、父さん」
「いいんだよ。ウィリアムは何が食べたい?」
僕は本当はハンバーグが食べたかったけれど、ハンバーグなんてもう何年も食べていない。きっと高くて用意できないんだろう。あの肉汁がじゅわっと出てきて口の中で踊る感覚は最高だったのだけれど、贅沢は言えない。
「僕、またキノコスープが食べたい!」
「……ごめんね、ウィリアム……」
「ううん! そうだ、明日|収穫祭があるよね、そこでも食べられるかなぁ?」
「……そうね、そうだといいね」
キノコスープだって美味しいんだ、嘘じゃない。母さんが涙を浮かべながら、僕のことをぎゅっと抱き締めた。どうして泣いているんだろう。でも、温かくて優しくて、心がぽかぽかする。この感じが好きだ。
そのときだった。バタン、と扉が勢い良く開いて、蝋燭が倒れる。部屋が真っ暗になって、外の白い月明かりだけが僕たちを照らしていた。黒い人影がたくさん入ってきて、母さんと父さんを囲む。
「クロウリー夫妻、お前たちを異端審問にかける。罪状は殺人だ!」
「ま、待ってください、殺人? 私たちの仕事は処刑ですよ!」
「血に汚れた魔女め! ガタガタ抜かすな!」
二人が運び出されていく。僕が、やめてよ、と叫んでしがみついても、小さい体じゃ何にもならなくて、突き飛ばされてしまう。尻餅をついて村人たちを眺めて、バタン、扉が閉まった。
「……どうしよう……」
僕も一応知っている、イタンシンモンという言葉。ときどき村の誰かを魔女だとか言ってサイバンをするらしい。
……そういえば、セイラムおじさんはどうして生きているんだろう。母さんや父さんが言うには、確か魔女だったはずだ。
そうだ、セイラムおじさんだ。僕は立ち上がって、お尻をはたいて砂埃をどける。ケホケホ、咳き込みながら。
僕が頼れる人なんて、もうセイラムおじさんしかいない。村人たちは皆良い人だけど、今回ばかりは別。誰も味方にはなってくれないだろう。セイラムおじさんなら、きっとあのときみたいに助けてくれる。
確か、森の奥に行ったときに会えたはずだ。母さんとは約束したけれど、母さんが死んじゃったらどうしようもない。あの優しいおじさんなら、きっと。きっと。
そう思って、僕は少しの小銭をポケットに入れて──僕のお小遣いだ──扉を開いた。外では、バケモノの吠える声が響いている。ぶるり、体が震えたけど、大丈夫。母さんと父さんのためだから。
黒い黒い森のほうへと、僕は足を踏み出した。
◆
森の中は薄寒い。川が近くなるとさらに寒くなる。ときどきバケモノの吠える声が響いて怖い。足が震えてきて、歩くのもしんどくなってきた。どれだけ進んでも、森は終わりが見えない。まるで森一つがまるごとバケモノみたいだ。
手を擦りながら座り込んでいると、サク、サク、と土を踏む音が聞こえてきた。バケモノがやってきたんだ。僕は思わず体をきゅっと固くした。このまま食べられちゃったら、母さんたちが死んじゃう。でも、デカいバケモノはさすがに殺せない。ナイフも何も持ってない。嗚呼、ネコやイヌだったら簡単に殺せるのになぁ。
大きな爪で引っかかれるのを覚悟して目を閉じていると、静かになったあと、ニャア、と小さな声が聞こえた。ニャア? ネコの声だ!
「あぁ、ドゥ。人を見つけたのか……って、ボウズ、またお前か」
枯れ葉のような声は聞いたことがある。僕が振り向くと、肩を竦めた細い黒ローブの男が立っていた。白髪を掻いて、困ったように舌打ちをする。セイラムおじさんだ!
僕はセイラムおじさんに駆け寄って、その場に跪いた。まるでご飯を貰うときの母さんのように。すると、そんなポーズすんなよ、ボウズ、と心底嫌そうな低い声が降ってきた。
「なんだよ、ボウズ。私にお願いか?」
「お願いします、セイラムさん! 僕の父さんと母さんが、このままじゃ、イタンシンモン? にかけられて死んじゃうんだ! 魔女狩りに遭うんだ! お願い、セイラムさん、父さんと母さんを助けて!」
「はぁ。助ける義理は無いが」
「お願いします、一生のお願い! お仕事でも家事でも何でもしますから! 母さんと父さんを助けて!」
僕は必死になって足に縋り付いた。セイラムおじさんは、やめろ、と嗄れた声で言う。クロネコが僕の足を踏みつける。
何度も何度も頭を下げて、地面に擦り付けていると、セイラムおじさんはまた大きく溜め息を吐いて、顔を上げろ、と言った。僕が顔を上げると、セイラムおじさんは顎髭を触って僕を見下ろしていた。
「ついてこい。家に案内してやる」
セイラムおじさんが歩きだしたので、僕も慌ててついていく。サク、サク、土を踏む音が八つ。森の奥へ、奥へと歩いていく。
すると、小さな家が見えてきた。木が無いところ、森の一部。セイラムおじさんに言われるまま、上がってみれば、まず感じたのはインクの匂いだった。父さんの持っていた本から嗅いだことがあるから分かる。それが噎せ返るくらいあるのだ。
僕がぼーっとしていると、こっちに来い、と言って部屋へと手招きしてくれた。そちらへ行けば、大きな棚があって、たくさんの引き出しがあった。セイラムおじさんはそのうちのいくつかを引っ張って、何かを探しているらしかった。手袋をすると、その小包を手に取り、僕へと、ぽん、と手渡す。
「コレは惚れ薬だ。コレを収穫祭の大鍋に放り込めば良い。ソレだけで皆イチコロさ。決して自分は食べてはいけないよ、とても強い効果があるから。あと、念の為この小包を触ったあとは念入りに手を洗うんだ。分かったね?」
僕はこくこくと頷いた。惚れ薬を持っているなんて、やっぱり魔女なんだ! 僕が感動していると、引き出しを閉じ、セイラムおじさんが立ち上がる。
「それじゃあ、森の入口まで案内してやるから帰んな」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「良いんだよ。じゃ、出るぞ」
僕はまたセイラムおじさんについて行って、森の入口を目指した。僕はふと気になって、こんなことを訊いてみる。
「セイラムさんはどうして魔女って呼ばれてるの? ううん、セイラムさんは魔女なんだけど……」
「はぁ、そんなことが気になるのか?」
「うん。母さんと父さんは会うなって言ってたけど、セイラムさんはとっても優しい人だよ。どうして村の人たちが嫌ってるのか、分からなくて……」
「ボウズが一番分かってるんじゃないのか?」
「どういうこと?」
セイラムおじさんが懐から白い棒とマッチ箱を取り出す。マッチを擦って火をつけて、白い棒に灯す。コレは確かタバコって言うんだったっけ。
僕がそんなことを思いながら見つめていると、セイラムおじさんは目元の黒い布をどけてみせた。そこには、紫色の痣があったのだった。
「この痣が呪われた証なんだと。魔女扱いされたよ。分かるか? 彼奴らはどうしようもなく狂ってるんだ。だから、しょうもない理由で人を虐めたがるんだ。お前さんも、お母ちゃんもお父ちゃんもそうだったんだよ」
「そ、そっか……」
「だから、仲良くなろうなんて考えなさんな。無理なもんは無理なんだ。とはいえ、この痣が生まれつきなのと、怖いのは確かだ。ボウズ、お前さんもそう思うだろ?」
そう思うだろ、と言われても、僕にはよく分からない。だって、痣があることくらいで嫌いになる必要は無いからだ。そんなことより、セイラムおじさんは僕のヒーローだからだ。
僕がそう答えると、ふは、と初めてセイラムおじさんが笑った。それから、皺だらけの大きな手で僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
森の出口が近づいている。まあるい月の昇った夜が更けていく。
「じゃ、ここでお別れだ。|ま《・》|た《・》|会|お《・》|う《・》|な《・》、ボウズ」
「え? うん、またね、セイラムさん!」
僕が手を振ると、あっという間にセイラムおじさんは黒い森の中へと溶け消えていってしまった。ドゥと呼んでいたクロネコも、金色の目をこっちに向けたかと思うと、ニャア、と鳴いて見えなくなってしまった。
収穫祭は明日だ。僕は嬉しくなって、小走りで収穫祭の大鍋へと向かった。まだ何も入っていない。ココに入れれば、皆が母さんたちにメロメロになってくれるはずだ。そしたら、皆母さんたちの大事さが分かってくれる。そしたら、また仲良くできる! セイラムおじさんは凄いんだ!
ちゃんと言いつけを守って、手を何度も何度も綺麗な水で洗ってから、僕は布団に入った。薄い布だから、寒くて仕方無いのもあるし、わくわくしているのもあるしで、ぶるぶる震えながら僕は眠った。明日が楽しみだなぁ!
◆
そして、次の日。僕はこっそり収穫祭の大鍋の元にやってきていた。皆はキノコや野菜をたくさん入れて、スープを作っていた。口々に、今年はホウサクだ、とか、美味しく出来るよ、とか言っていた。グウ、とお腹が鳴る。僕も食べたいけれど、我慢我慢。惚れ薬が僕にまでかかったら良くないから。
そして、皆が乾杯をして、一気に飲み干して──明るかった顔をしていた人たちが、途端に顔色を変えた。たくさんの器が、カタン、と音を立てて落ちた。スープの中身が、土に染みを作っていった。
嗚呼、成功だ! 僕はどきどきしながらその様子を見ていた。これで皆々、母さんたちを好きになってくれる。そう、思ってたのに。
皆、突然喉を押さえて苦しみだしたんだ。
「ケホッ、ケホッ! 何だ、コレは!」
「毒だ! 毒だ!」
「皆吐き出せ!」
毒? どういうことだろう? 僕がそう思っているうちに、皆バタバタと倒れていた。一人、また一人。あ、また倒れた! 僕は全身の血が沸騰して凍りつくような感覚に襲われる。
すぐにびりびりと体を震わせて、まるで打ち上げられた魚みたいだ。その一人が僕のことを捉えると、震える手で指を差した。
「あ、あああぁ、彼奴だ! あ、彼奴がやったんだ!」
「魔女だ! 魔女だ!」
「本物の魔女は彼奴らじゃなかったんだ!」
「魔女、ウィリアム……ッ!」
一斉にそう言っていたかと思うと、一人一人、ぴたり、と動かなくなってしまった。顔を真っ白にして、口から泡を吹いて。
僕にだって分かる。目の前で、たくさんの人が、村中の人が死んだんだ。どうしよう。どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう。僕は、取り返しのつかないことをしてしまった。胸がどきどきする。顔が冷たくて熱い。汗が止まらない。
そうだ、僕が、僕が、皆を殺した。あの惚れ薬は、実は毒だったんだ。
僕が動けないでいると、土を踏む音が六つ、近づいてくる。僕がそちらを見ると、そこにいたのは、黒いローブの男の人だった。フードを取れば、目元に痣がある人。そうだ、セイラムおじさんだ。
「僕を騙したな!?」
そう言って掴みかかると、セイラムおじさんは喉をクツクツと鳴らして嗤った。僕を見下ろす目を細め、愉しそうにしている。
「そうだなァ、私はお前さんを騙したよ、ボウズ──けれどな、お前さんはどうしてそんなに、愉しそうなんだ?」
「愉しそう? どこがだ!」
「ほら、嗤ってんだろ、お前さん?」
僕は目を見開いた。そして、口元に手を当てる──あれ? 僕、笑ってる? しかも、にっこり、笑顔だ。
あれ? あれあれあれ? どうして僕は、僕は──
こんなに、愉しいんだろう?
「お前さん、ネコやイヌを殺すのが趣味だったよな。そう、お前さんは最初からバケモノだったんだよ。物を殺して愉しむような、バケモノ。私と同じ。どうだ? 違うか?」
セイラムおじさんはそう言って屈み、僕に目線を合わせる。
嗚呼、そうだ、僕はこの感じを知っている。どうしようもないことをしてしまった怖さと、愉しいことをしたどきどきと。顔が冷たくて熱いんだ。ネコが悲鳴を上げる愉しさを。動物が逃げ惑うのを追いかける愉しさを。
皆が、こんなにも大好きだった村人たちが、一人一人倒れていく絶望を!
「もうお母ちゃんントコ帰れねェだろ。ボウズ、お前は大罪人だ。村一つを滅ぼした、殺人鬼」
「で、でも……」
「ホラ、お母ちゃんやお父ちゃんは助かっただろ? 安心しな」
「う、うん……」
「私と来ないか。たくさんの魔法を教えてやる。たくさんの毒薬を教えてやる。たくさん生き物を殺せるぞ。お母ちゃんたちに会えないのは寂しいかもしれねェけど、私が面倒を見てやるよ。どうだ? どうせ、バケモノに帰れるところなんて無いンだから」
僕は、僕は。
目を、輝かせていた。
これから、たくさんいろんなことができる。母さんが駄目って言うことがたくさんできる。ショケイごっこがこれからいくらでもできる! しかも、もう母さんたちを困らせることも無い。
それって、それって、とっても愉しいことじゃないか?
手を差し伸べられる。僕はその手を、迷わずに、とった。しわしわで冷たい手は、まるで死体みたいだった。
「じゃあ、行こうか。そうだ、今晩はキノコスープにしよう、食べ損ねてしまったからね」
僕は力強く、うん、と言って手を繋いだ。そうして、僕たちは黒い森に溶けるように消えていった。
まあるい月は少し欠けて、僕たちを照らせずにいた。