雪のように白い肌、色の失せた灰色の唇、枯れたように細くなった四肢。トーヤは、布団を被って|蓑虫のように縮こまっている。
しんと静まり返った部屋には、たくさんのぬいぐるみと、ギターと、サッカーボールと、お菓子の袋と、捨てられなかったゴミ袋と……僕と、お|揃いのキーホルダーが、転がっていた。
「コレが、|蛹……?」
僕は思わずそう呟いた。
|蛹化症候群。ソレが、トーヤにつけられた病名だった。
◆
夏の日差しの下、トーヤがサッカーボールを追いかけている。小麦色の肌に、滴る銀色の汗。にっ、と|剥き出した歯。ボールを取ったかと思うと、すぐサッカー部の男子に取られて、声を上げて膝を叩く。それでも、トーヤは笑っている。太陽に負けないくらい、|眩しく……
トーヤは、僕の太陽だ。
カッコいいなぁ、なんて呟く僕は休憩中。タオルを背負って、体育座りで、彼を見ている。目で追うたび、きらん、と音がしそうで。他のどんな男子よりも、煌めいて見える。
ちょうどホイッスルが鳴る。水筒を取りにこちらへ歩いてきたトーヤの顔は、もう真っ赤だ。熱中症になっちゃうんじゃないか。僕は大きくて濡れている水筒を手渡した、運動部じゃないんだからさ。
「ど? 俺のプレー! カッコよかったろー!」
「うん、可愛かったよ、犬みたいで」
「そこはカッコいいだろー!?」
そうは言いつつ、トーヤはケラケラと笑っている。整ってはいないけど、愛らしい笑顔だ。
僕に水筒を投げ渡すと──やめてほしい、危ないから──次お前の番な、と言ってトーヤ自身は横に座った。土と汗の香りがしてくる。その感覚が、嫌じゃない。
「じゃあ、行ってくる」
「頑張れ! 点決めてこいよ」
「無理だよ……」
ホイッスルが鳴って、試合が始まる。僕は必死にボールに喰らいつくけど、サッカー部の男子に振り回され、踊らされ、あちらこちらへ。そうしているうちに息も切れ、すぐに屈んでしまった。体力をつけるために、そして、トーヤが言うからサッカーを選択したけど、どうも上手くいかない。
トーヤと目が合う。こちらを指差してゲラゲラ笑っている。腹が立つ。僕は一度屈伸をすると、再びボールを追いかけ始めた。
◆
「いやぁ、今日も楽しかったなぁ! 途中でさぁ、ユキが足絡まったとき! 俺スゲェ笑っちゃったっけ!」
「笑わないでよ、僕本気でやってたんだから。必死なんだよ」
フェンダーのチューニングをしながら、トーヤは明るい声でそんなことを言った。茶色のピックで弦を撫でるように鳴らす。トーヤの弾き方はいつもそうだ。|巧い人はそうするんだろうけど、僕にはよく分からない。
夕焼けの白い日差しが赤いボディに差し込んで、きらきら光っている。新品ではないけれど、トーヤのギターは綺麗だ。傷一つ無い。確か、僕が合唱の練習を始めた頃から弾いているから……もう十年くらいになるのか。えらい話だ。
「今度の曲、ギターソロあるんだよね。超楽しみで!」
「僕にはこんな細々したの、ムリだよ……よくできるね」
「そ? ま、コレは裁縫と一緒だよ。慣れだよ慣れ」
「じゃあ、僕はあと何年家庭科の授業をやれば上手く裁縫ができるのかな」
「あっはは! ユキには才能無いって!」
「最低」
最低、なんか言うけど、別に、怒ってるわけじゃない。むしろ、トーヤの吊り目を見て笑ったくらいだ。二人で笑って、ふわりとカーテンが揺れて。今日はナツキもアキバも自主練には来なかったから、二人きりだ。別に彼奴らがサボってるとかそういうワケじゃない、僕たちが毎日二人で集まってるだけだ。
彼奴らは、僕たちのことを練習熱心なヤツらだ、なんて、笑うけど。
「そうだ、この間キタニタツヤの新作が出て!」
「え、そうなの? 知らなかったな」
「遅れてんなぁ。世界に置いてかれるぞ?」
「うるさい」
ん、と言ってイヤホンの片方を渡してくる。まだ少し、汗の匂いがする。僕も隣に座ってそのイヤホンを受け取って、耳につける。イヤホンから流れてくるロック調の音楽より、何より、お前の、トーヤの心臓の音が近くて。僕が寄ると、トーヤは少し目を見開いてから、ぐっ、と僕に近寄ってくっつく。ドク、ドク、頬が、耳が、熱い。
「……ど、良いカンジでしょ」
「……うん、好きなカンジ」
「今度歌ってよ、弾くからさ」
「分かった分かった」
肩に頭を乗せる。トーヤの体温は、温かくて心地が良い。トーヤの隣が、一番居心地が良い。
カーテンが一際大きく膨らむ。目が合う、顔が近づく、唇が触れ合う。
誰も見ていない午後三時、トーヤの唇は、甘くも苦くも酸っぱくも、ない。けれど、柔らかくて、嗚呼コイツらしくないな、なんて思って、嗚呼いつもの味だな、なんて思って。コレは、秘密の味だから。誰にも、内緒。
唇が離れれば、変わらぬ幼馴染。ふふ、と笑って、お互い練習に戻っていく。こんな時間が得られるから、バンドメンバーには話せないのだ。アイツらはきっと、気持ち悪がるだろうから。
◆
告白なんて明確なモノをしたことは無いし、されたことは無い。でも、周りがにわかに、誰のことが好きだとか、初恋はいつだとか、そんな話が流れ出したときに、そういえば、みたいな感じでそんな話をしたんだっけ。
──ねぇ、ユキって好きな子いるの?
そんな始まりだった気がする。
僕とトーヤはいつも隣にいた。産まれたときからずっと、だ。母さんが言うに、僕たちは産まれたときから同じ誕生日で、ずっとそばにいたらしい。|玩具を取り合って泣き合ったこともあるし、一緒に走り回って泥|塗れになったことも数え切れない。幼稚園も小学校も一緒。だから、離れたビジョンが僕には描けなかったのだ。トーヤのいない未来なんて、分からなくて。
──いないよ。
──俺もいない!
元気に言うから、笑ってしまった。でもさ、とそのあと、トーヤは目を輝かせて言った。
──でもさ、ユキとはずっと一緒だよ。
僕は不思議とその言葉にとても安堵したことを覚えている。
だって、トーヤは太陽だ。皆を照らす、太陽。バカっぽくて何も考えてなくて、いつもおちゃらけてて、難しいことがよく分からなくて。でも、いつも皆を笑わせている。へんてこなギャグを言ったり、意味の分からない動きをしたりして。
ソレは、今だって変わらない。同じ中学に通って、同じ高校に通って。お前はいつでもそうだったよな。
でもさ、あのときが、体育館裏で二人でお菓子を食べながら、そんな話をしたときが、僕とトーヤのファーストキスだったんだ。
嫌でも、怖くもなかった。今考えれば気が狂いそうなほど恥ずかしいけれど、そういうものだと思った。よくある恋愛ドラマで見るような動作を真似して、キスをしてみたけれど、甘くないね、なんて言ってさ。
だから僕は、これからもずっと二人で一緒だと思っていた。
◆
|蛹化症候群とは、|未だ治療法の見つかっていない難病である。五年後生存率は十パーセントを切り、十人に一人も目を覚まさない。
そんな|眉唾物の情報がAIによって提示されている。治療法が無いというのは確かだが、そもそもあまり知られていないのが実態だ。いや、難病というものはそういうものなのだろうけど。
治療法は、点滴などで生命を維持することに尽きる? こんなの対処療法じゃないか。こんなの、植物人間と大差無いじゃないか。
あんなに小麦色の肌がカッコよくて、白い肌が綺麗で、薄桃色の唇が柔らかくて……そんなトーヤが、今ではすっかり、枯れた葉っぱのようだ。|瞼は固く閉ざされ、泥のように眠っている。
原因は不明。ストレスが主とは書いてあるけれど、そんなのどの病気だってそうじゃないか。
暗い部屋の中、|Seasons《シーズンズ》の──僕たちのバンドだ──演奏を聴いている。コレが、トーヤが最後に参加したセッションだった。
LINEが来る。ナツキからだ。
──いっそ、バンド解散する?
なんて薄情な。拳を枕に叩きつけても一人。暗闇の中、白い液晶だけが光っている。
──そろそろ受験だしね!
今度はアキバからだ。コイツも薄情だ。どっちもトーヤが誘ってくれたから、三年間バンドを続けられたっていうのに!
僕は何か言ってやろうと思って、何かを打って、消して、打って、消して、打って、消して。何もできず、画面にぽたりと水滴が落ちたところで、タスクキルした。
演奏が終わった。嗚呼、下手な演奏だ。今までで、一番最悪だ。ドラムとベースの息は合っているけれど、ギターは噛み合っていない。それなのに、僕たちは最高だ、なんて言っていた。
……何も気がつかなかったんだ、僕たちは!
心が張り裂けそうで、僕は声を噛み殺して泣くことしかできなかった。
◆
最初は、皆がトーヤの病気を悲しんでいた。クラスの明るい雰囲気が損なわれちゃうね、なんて女子も言っていた。あの女子は確か、トーヤに告白してフられたんだっけ。それでもなお、トーヤのことが好きみたいだ。
それなのに、しばらくすると、誰も話題に挙げなくなっていた。一つ空いた席を、誰も目に留めなくなっていた。不登校の生徒がいるみたいに。いや、もっと言えば、ソコは元々空席だったとでも言いたげに。
僕は一人、昼食を食べている。友達はトーヤ以外にいないから、こうなるのは必然的だった。グループ分けというのは、四月の始まりに行われることで、ソレは流動的ではない。ある程度固定的だ。だから、今更僕が誰か他の人と組むなんてことは、起こり得なかったのだった。
ふと、後ろを見る。教室の右端、ロッカーの一番端っこに、黒いギターケースが置かれている。毎日のように。誰も取りに来ない、誰も弾きに来ない、主を失ったフェンダーが立てかけられている。
僕は見ていられなくなって、机に向き合った。青チャートとスクランブル英文法が並んでいる。コレを笑いながら解いているのも、もう二ヶ月も前の話で。
ねぇ、トーヤ。そろそろ受験だよ。まだ、学校来ないの。
そう呟いてみようとして、やめた。
◆
「ただいま」
「おかえり、雪斗。ご飯なら作ってあるから、食べてね」
「うん、ありがとう」
「そうそう、お勉強頑張るのは良いけど、暗くなるから気をつけてよ。男の子でも一人で帰って来るの、危ないんだから」
「うん、気をつけるよ」
ミネストローネにカレー、キュウリのサラダ。しっかり用意されているご飯を見て、僕は一つ溜め息を|吐いた。食べる気が進まない。
受験時期になると、学生は太るなんて言う。でも、僕はその逆だ。時が進めば進むほど胃が細く狭くなっていくような気がして、どうも食べるのがしんどい。昼ご飯と夜ご飯を食べきるのが限界だ。だからといって、食べなければ母さんが心配するだろう。
母さんと父さんは、もう夜も十時を回っているのに、僕の目の前で楽しそうに話している。僕のことを見張っているみたいだ──本人たちにその気は無いけれど。
「それにしても、雪斗は良い子ね。泣けるほど良い子だわ」
「父さんも頑張って働くよ。音大に行かせてあげられなかったのは、残念だけど……」
「ううん、大丈夫」
「そういえばね、良い文学部の大学見つけたのよ。国公立で、ココからも遠くないの」
うん、と頷く言葉がどんどん重くなってくる。暗くならないよう、必死に取り繕う。
……そんなの、言われなくたって自分で探せるよ。
「ほら、雪斗、本読むのが好きだったでしょ」
「うん、好きだよ」
「国語の先生になりたい! って昔から言ってたし」
「うん、そうだったね」
「きっと雪斗ならなれるわ。母さん応援してるから!」
……きっと僕が何も言わなかったのがいけないんだよね。
「そうそう、合唱のことなんだけど……ほら、|桃也くんがバンド辞めちゃったじゃない?」
「……辞めては、ないけど」
「あー……まぁ、そうだけど。それでバンド解散しちゃうなら、コレを機に辞めても良いんじゃない? そっちのほうが、たくさんお金出してあげられるし……」
「……ソレは、ちょっと──」
そう言いかけた、言いかけたんだ、僕は。でも、ソコに、トーヤがいないから。
「……そうだね」
──なぁ、ユキ、俺、夢があるんだ。二人でバンドやって、メジャーデビューするって夢!
諦めて、しまったんだ。
「じゃあ、明日教室に電話しておくね。明日も塾でしょ? 頑張ってね」
「……うん、頑張るよ」
味のしない雪を食べているような感覚に、思わず喉が、グ、と鳴った。
◆
「あれ、今日も来てくれたの? 桃也、相変わらずだよ?」
「いえ、友達……なので。あと、バンドの話もしたかったし」
「そっかぁ、雪斗くんは昔から良い子ねぇ。お菓子出すから、ちょっと待っててね」
トーヤの母さんが顔を出す。確かに、来る頻度は高いかもしれない。最初こそ皆が来てくれていたみたいだけど、今はほとんど誰も来ていないみたいだから。
物だらけで、大して片付いてもない家に入る。でも、この感覚に慣れている。トーヤの家といえばこんなカンジだ。プラレールを広げては、片付けなさい、ってトーヤの母さんに怒られたっけ。
トーヤの母さんが、安っぽいお菓子を並べてくれる。キャベツ太郎、チロルチョコ。コレもいつもどおりだ。かえって安心する。
「すみません、いただきます」
「いいのいいの。桃也のこと心配してくれてありがとね」
そう言って眉を下げて笑う。赤いルージュも、きりっとした眉毛も、うちの母さんと違って、まだまだ若々しい。金髪に染めた髪を弄りながら、トーヤの母さんは少し低い声で続けた。
「桃也ったら、もうかれこれ三ヶ月くらい眠ってるんだよね。受験が一月に控えてるのに、コレじゃあ留年かなぁ、なんて」
「……そう、ですか……まだ、目|醒めないんですね」
「ぴゅーぱしんどろーむ? だっけ? なんて、お金もかかるし、もう音大には行かせられないし。そもそも、メジャーデビューだなんだって、現実的じゃないのよね」
「──お母さんには、その話してたんですか!?」
つい少し大きな声を出してしまう。立ち上がりそうになって、すみません、と言ってまた腰を据えた。
良いのよ、と優しく言うわりに、トーヤの母さんの言葉は冷ややかだ。自分の息子を、針で刺しているような、そんな──
「そもそもねぇ、夏樹くんも|秋葉くんも、雪斗くんだって進学を考えてるっていうのに、ちゃんと未来も考えないで向こう見ずなことばっかり言って。あ、別に雪斗くんが頭が悪いって言いたいわけじゃないけど、本当はもっと高いレベルの高校に行ってほしかったのよ?」
「……そう、だったんですか」
「それでも、どーしてもユキと一緒が良い! とか言って、レベル下げたんだから。ま、ソレで普段から勉強しないでギターばっかりやって、将来はミュージシャンになるー! なんて言って、中身も伴ってないし。今回の病気も、どうせ子供らしい見通しの甘さから来てるんじゃないかって思ってたところよ」
ぐさり、ぐさり。ぶす、ぶす。標本に針を差すように、トーヤの母さんはそんなことを言う。
確かに、|蛹化症候群はストレスが原因だと言われていた。だから、見通しの甘さが原因だと言われてもおかしくはないのかもしれない、けど……!
「あーあ、雪斗くんみたいに勉強も頑張ってくれたら良いのに。|春香はどうせ私立だろうしね……」
そんなの、そんなの!
何も、何も分かっていない!
……いや、もしかすると、きっと、いや、絶対そうだ。分かってないのは、僕もだ。
「……そう、だったんですね……」
「あ、春香ー、お茶持ってきてー」
「はぁーい」
「ほら、春香も勉強できないからさ。大学受験終わったら、教えてあげてね」
「ちょっとぉ、お母さぁん!」
そんな会話が聞こえてくる。春香ちゃんは今年、高校受験だったか。短く折ったスカート、長い金髪、ニットにリボン……こう見ると、春香ちゃんは母親似に育ったみたいだ。
春香ちゃんはお茶を持ってくると、にこっと僕に笑いかけてから、ソファにどっかりと座った──後ろにいるぬいぐるみを無視して。
「あ、ぬいぐるみが……!」
「あれ? あぁ、雪斗くんぬいぐるみ好きだったよね、可愛らしいわぁ」
「いえ、ちが……」
そのぬいぐるみは──
そこまで言いかけて、僕は口を閉ざした。春香ちゃんは、スマートフォンを眺めてネイルをした指を動かしている。
僕はもう、チョコレートの味もキャベツ太郎の味も分からなくなっていた。
「……あの。トーヤのこと、見に行っても良いですか」
「あぁ、もちろんだよ。あ、でも、いつものことだけど、あんまり刺激を与えないでね、危険らしいから」
「はい、分かってます」
|蛹の中身はどろどろだと聞くから、そういうことなんだろう。
僕は扉を開けて、そっと閉じて、ベッドで眠るトーヤに寄った。
真っ青なくらいに真っ白な顔、色の無い冬の唇。触れてみると熱が無い。スウ、スウ、と息だけが聞こえてくる。ソレだけが嬉しかった。
「……ねぇ、トーヤ」
僕は、フケだらけで白い雪の中にいるみたいなトーヤの頭を、そっと撫でた。少し、べたついた。
「何も分かってなかったね、僕」
そう言うと、どうしても涙が堪えきれなくて、また息を殺して泣いた。
お前が起きてたらきっと、ユキは泣き虫だな、って笑うんだろうな。なんでそんなことで泣くかな、って言うんだろうな。バカだな、って。
嗚呼……最悪だ。
◆
まだ、吐く息は白くない。最近の冬は寒くない気がする。肩を這い上がる寒気はあるけれど、体を縛るほどの厳しさは無い。
共通テストまで、あと一ヶ月。
塾に行く道を一人で歩くのも慣れてきた。去年はトーヤが途中まで一緒にいてくれて、裏道を歩いて、手を繋ぎながら歩いたものだ。明日は何を練習しようか、なんて話しながら。
ふと、用水路の近くを通る。小さい橋があって、よくソコで立ち止まった。塾なんて、本当は行きたくないから。本当は、やりたいことなんて、無いから。
二人で不安を目の前にして、立ち尽くしてさ。二人でよく話してんたんだ。
──なぁ、ユキ、俺、夢があるんだ。二人でバンドやって、メジャーデビューするって夢!
最初にその話を聞いたのは、いつだっけ。トーヤはきらきら煌めく笑顔でそんなことを言った。
──じゃあ、どうすんの、大学とかさ。
僕が笑ってそう尋ねれば、トーヤは僕の手を取って答えた。温かい、手だった。
──俺たちで同じ音大に行けば良いじゃん!
──音大、って。相当な実力が無いと。あとは、お金もかかるし……
──大丈夫、俺たちならできるって!
にっ、と笑っても、無謀だ。僕たちはメジャーデビューするほどのレベルに達していない。少なくとも、ナツキとアキバは。
アイツらは、トーヤが誘っただけだ。バンドをなんとなくやれたら良い、みたいなヤツらだ。ギターの実力は、先輩たちも見込んでくれて、後夜祭にはなんとか出られたけれど、オーディションは一位じゃなかった。
──ナツキとアキバのヤツが乗ってこなかったら、別のヤツ探してさ!
無謀だ。無謀、なのに。ぎゅっ、と強く握られると、僕の目の前が晴れていくようで。
白い白い霧を取っ払ってくれる、寒い寒い冬を照らしてくれる。太陽で、アイツは、それなのに、なんで。なんで。
ザアッ、と川が牙を剥くように流れ出す。
なんで。なんで。なんで、悩んでるって言ってくれなかったんだよ。なんで独りで抱え込むんだよ。なんで、なんで諦めさせたんだよ。僕だって諦めたくなかったよ。僕だって合唱を続けて、お前と二人で、そう二人で! 二人で音楽やりたかったんだ。国語の先生、なんかじゃなくてさ!
「──なんで、独りにするんだよ。僕たち、ずっと一緒だったろ!」
そう、叫んでみてから。
僕は幻聴を聴いた。そうだ、コレは幻聴。だって、お前はココにいないんだから。
──なんで、独りにするんだよ。俺たち、ずっと一緒だったろ!
同じところで、お前もそう泣いていたのかな、なんて、思ってしまって。
僕は悔しくて悔しくて、独りで泣きじゃくった。
寒いよ、寒い。お前のいない十二月は、寒い。でも、お前だって寒かったよな。食べるだけ食べて、全部溜め込んで、そのまま寝ちまったんだから、|蛹みたいに。
僕は居ても立っても居られなくなって、走り出した。塾に行くのなんて忘れて、トーヤの家に走った。トーヤの母さんは走ってきた僕にびっくりしてたけど、半ば押し通すように入った。
なぁ、その転がってるお|揃いのキーホルダーさ、僕、覚えてるよ。ナツキとアキバにダサいって言われたよな。そのとき、なんて言ったんだっけ?
──え? なんか付けてる。気がついたらずっと。
違うよ、お前はずっと付けてくれたんだよ。僕と修学旅行で買った、ダッセェ龍のキーホルダー。ずっと、ずっと一緒だったろ、僕たち。
「起きろよ、バカトーヤっ! 僕を独りに……お前を独りになんてしないからさぁっ!」
息が乱れる。走ってきたのと、叫び慣れていないのと。体力が無いから、こういうことになるんだ。
後ろからトーヤの母さんが追いかけてくる。刺激するな、と言いたいのだろう。分かってる。こんなことしても、何も起きないのなんて、分かっている。でも、コレだけは言っておかないといけない。
|蛹なんだったら、まだ生きてるだろ。まだ聞こえてんだろ。聞こえないフリすんなよ。僕の声、聞けよっ!
すると、ふと、|瞼が揺れた。
「……るせぇ、バカユキ……」
僕はこぼれんばかりに目を見開いた。
背後からトーヤの母さんが入ってくる。それから、その場に崩れ落ちた。
「……桃也? 桃也!?」
……体を起こした、桃也を見て。
◆
|蛹化症候群から目醒めた、貴重な検体として、トーヤは検査入院をした。そんな中でも、体は元気なんだから、とリハビリをしつつ、勉強をした。
──なぁー、ユキ、二次方程式ってどうやんのぉー?
──バカだなぁ、ソレ中学生の範囲。
──えー? だって俺今リハビリ中だもん。
──甘いこと言わないの。僕と同じ大学行くんでしょ。
そんなことを言いながら、僕の隣でトーヤは頭を悩ませていた。僕もトーヤも、勉強が苦手だ、それも、物凄く。それでも、ここ数ヶ月勉強した成果は、残酷なほどに二人を分けた。
ぐんぐん伸びていく偏差値と、安堵する母さんの言葉。元々E判定だった文学部も、すっかりC判定まで上り詰めた。合格圏内が見えてきた、と塾の先生も熱弁していたくらいだ。
トーヤはというと、塾には入らず|独力で同じ大学の同じ学部を受けることにしたらしい。
──だって、これからもユキと一緒だから!
されど、現実とは無情で。モモが咲く頃出された合格発表の日、トーヤの名前は無かった。
「……トーヤ、お前……」
「ったく、俺のことを入れないとか大学も終わってるよなー!」
トーヤはそんなふうに笑って言った。いつものように、太陽のように。何も考えていないかのように。
「あーあ、母さんに怒られちまうなぁ……私立なんて、金がかかる、って……」
そう小さく呟いた本音のほうが、本当の姿のくせに。
病院の広場は、モモが咲き始めて彩り豊かだ。白い息を吐くほど、冷たくきりっとした空気。白い光。桃色の花……
大して広くはないし、二人で駆け回れるほどトーヤも元気になったわけではない。ここ数ヶ月、ずっと何も食べず、点滴だけで生きてきたのだから。
「いてっ! |抓んな、バカ!」
「別の大学に行ったって、僕たちはずっと一緒だ!」
|頬を|抓って、ぴん、と離す。|頬を押さえたトーヤだったが、僕のほうを見ると、緩く微笑んだ。
「……お前さぁ、声ちっちゃいよな」
「は?」
「ずっと思ってたけど。歌ってるときは声デカいくせに、そうじゃないとき声ちっちゃいんだよな」
「うるせぇ!」
「はは。ありがとう、ユキ」
トーヤはそう言って、僕の手を優しく握った。
「……それでも、一緒にいてくれる?」
不安そうに陰った顔をするから。そんなの、お前らしくないな、って思って。
「大丈夫。僕はずっとそばにいるよ、トーヤ」
未来なんて分からないよ、トーヤ。でも、僕はずっとずっと、お前といる時間が好きだから。だから、ずっと一緒だ。
トーヤがそっと、僕の手のひらにキスをした。唇は桃のように熟れて、色づいていた。
「好きだよ、雪斗」
「……僕も好きだよ、桃也」
冬を越えれば、春が来る。不安の先に、未来がある。だから、どうか、二人一緒で乗り越えさせて。
孤独に抱え込まないで、話して。羽化したその先を、まだ見ぬ先を歩き始めよう。
僕たちはそう誓って、まだ何も見えぬ白い白い冬の先を、歩き始めた。