――雨の降る夜、いつもサイレンの音が聞こえる。
ふと目覚めた深夜に、寝起きとは思えないくらいはっきりとした頭でいつかの彼の告白を思い出す。ベッドから降り立ったフローリングに足の裏が沈み込むような水の気配を感じ、外は雨が降っているのだと、だから彼の言葉を思い出したのだと、わたしは思い至る。
床に落ちていた澄晴のスウェットを頭から被り寝室を出て、短い廊下を抜けてリビングの戸を開く。さああ、という霧雨の音はテレビの砂嵐の音のようにも聞こえた。両の眼はすぐに暗闇に順応した。東京の夜闇はさして深くならない。カーテンの開け放たれた掃き出し窓の外の街の、赤や青や黄色のネオンが雨に濡れている。その光を受け、澄晴の輪郭が白銀にぼやけている。しだいに窓の前に、膝を抱えて座る澄晴の後姿が浮かび上がってくる。
「澄晴」
丸くなった背中にそっと呼びかけると、澄晴はたっぷり三秒数えたあと、わたしの方を振り返った。彼もわたしの名前を呼び、薄く笑ったように見えた。
「起こしちゃってごめん」
「自分で起きたから大丈夫」
ダイニングテーブルの上には、朝起きた時にすぐに温かいものを飲めるよう、毎晩就寝前に澄晴が準備するステンレスのポットが置かれている。わたしはふたりぶんのマグにポットの中身を注ぎ、澄晴の隣に座った。わたしからマグを受け取った澄晴は口の中で「ありがとう」と呟き、音を立てて飲み物をすする。
「これ、何のお茶?」わたしは問う。
「今日はね、プーアール茶。好きでしょ?」
「好きだけど、なんだか暗い中だと、香りがよくわからなくなる」
「あー確かに、それはちょっとわかる気がするかも」
わたしたちは黙ってお茶をすすり、雨に洗われ滲んだように光る夜の街を見た。テレビボードの上に置かれたデジタル時計は「3:17」を示している。あと三時間もすれば、いつもの朝がやってくる。明日(今日、と言った方が良いだろうか)、澄晴は大きなプレゼンがあるはずだ。ここのところ、彼は定時を過ぎてもオフィスで机に向かい、夕食代わりの大きなサイズのラテを飲んでいた。少しでも睡眠に戻った方が良いと澄晴の横顔を何度か見たけれど、彼の表情は氷のように冷たく、硬く窓の外を眺めるだけだ。
「東京の夜ってさあ、人の気配がずっとあるよね」
澄晴の肩に体を預け、意識がぷつぷつと切れてきた頃に、澄晴が言った。わたしは彼の半身に体を預けたまま、彼を見上げる。
「眠らない街って本当なんだなって、夜になるたびに思う」
「澄晴の街は、眠る街だったの?」
「さあ、どうだったかなあ」
澄晴は、自分の故郷のことを語らない。澄晴は、あの「三門市」の出身だ。初めは、何を聞いても「知らないなあ」「わからないなあ」というのらりくらりとした彼の言葉に、何か重大な秘密を隠され、はぐらかされているのだと思った。
だけどわたしは気がついてしまった。彼が本当に、故郷のことを何も知らない、正確にはおそらく、「何も覚えていない」ということに気がついた。
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本当は薄々、澄晴も知らない澄晴の正体に気がついている。アクション映画の銃撃戦を見て、「そこ、そんなに血が噴き出る場所じゃないよね」ってちょっと薄ら暗い顔で笑ったこと。戯れに入ったゲームセンターのシューティングゲームで、すべての適役の急所を射抜いたこと。玩具の引き金を引くその顔が、夜の雨を見るときと同じ冷たさだったことを。