ここはヒーロー達が暮らす#コンパスシェアハウスである。共同生活において必要な食事はもちろんトレーニングルーム、あらゆる施設としてバーまで揃っている。老若男女の混在したヒーロー達の希望を叶えていくとそうなったらしい。ライブアリーナとバトルアリーナに繋がる入口も併設され、わざわざ出勤しなくとも好きなタイミングでバトルアリーナやライブアリーナに向かえるのだ。殆どは彼らのデータを取ったAIが、彼らと同じようにインプットされた動きと言葉で24時間動き回っているが、それでも本人が動き回るのがヒーロー達の常であり、ヒーロー側の戦闘摂理解析を行うために必要だった。出不精のマルコスもその為アリーナにはいかざるを得ない。それでも大半のヒーローが喜んで、新たなユーザーとの出会いの為に向かうのだ。リビングはゲームのラウンジのようにヒーローが寛ぎ、それぞれの時間を楽しんでいた。だが一人バトルアリーナに向かうと、また一人、また一人と消えていった。
 そうして人気のなくなったリビングにて、ソファーで本を読みながら寛ぐグスタフの横に、ひょこっと手が出て来た。小さな手である。子供の手だ。コクリコの顔がソファーの横に出て来るのだった。彼女は意気揚々と、どこか興奮したような顔で大きな空の箱を手にしている。そこには忘れ物箱とマジックで書かれており、その筆跡も子供の物なのでコクリコが書いた物なのだろう。彼女はグスタフの膝に乗って来ると、にこにこしながら笑う。
 「グスタフおじちゃん、わすれものたんけんたいだよ!」
 コクリコは得意げな顔だ。いつもふわふわとした口調の彼女だが、リビングでは子供らしい顔をするしなんだか得意げな時だってある。グスタフはその顔を見ながら、ああいつものかと本をサイドテーブルに置いた。ヒーローがリビングで寛ぐ際に、私物を残していくことがあるのだ。ポーチや飲みかけの飲料など、忘れ物を残していくことがあるのだ。リビングが汚れれば片付けるのはVoidollの役目だったが、アリーナに行かないヒーローが集めてあげる事もある。そのうちに、見つけやすいようにとコクリコが忘れ物箱を作った。それ以降、コクリコがアリーナに行かない時は積極的に自分の役目を全うしていたのだが、ある日ぶれいずどらごんの鱗を片付けようとしていた彼女に、グスタフが声を掛けた。それ以降はグスタフも探検隊の一員になったのである。今日も忘れ物を探しに彼らはリビングを探検することになっている。
 コクリコが箱を引きずるので、グスタフが箱を持ってやって、あくまで補助のような役目で付き従う。メインはあくまで探検隊隊長のコクリコと副隊長のテディラビなのだ。
 「しゅっぱーつ!」
 リビングとキッチンは地続きになっており、天井が高く開放的な場所である。ぶれいずどらごんが頭をぶつけることもないし、床は特殊素材なのか冬は暖かく夏は冷たく、某が墨のような体液を吐いてもすぐに片付けられるようになっている。グスタフにはその解放感が、あまりなじみのない物だった。軍人として空を見上げる事は多数あるが、好きな服を着て、穏やかな空間で時を過ごすのは#コンパスに来てからようやく出来た時間ともいえる。毒は彼の体を蝕むが、ある程度の量の毒を体に収めればチューブ無しでも日常生活は送れるのだ。ただしマスクだけは外せないのだが。そんな人造人間でも、ヒーローであればここの連中は限りなく優しく差別をしない。むしろグスタフを面白がる子供が多くて、手を焼いているぐらいである。その連中が忘れ物をするのは、この空間が限りなく穏やかで盗みもなく互いを信頼し合っているからだ。コクリコが意気揚々とペットボトルを片付けているのがその証拠である。はい、と蓋が閉まっているそれをグスタフに渡した。グスタフはそれをぽいと忘れ物箱に入れる。アタリがテレビの前に片付け忘れた飲みかけだ。ジャンヌなど、口酸っぱく言う者がいないとすぐにあの少年は片付けをサボる。誰かが片付けてくれると信じている。共同生活で他人に負担をかけるなとグスタフからも言っているが、それでも忘れてしまうのは豊かで犯罪率の少ない甘やかされた子供だろう。自室も飲みかけで溢れていたらどうしよう、そんな心配をジャンヌが口にしていた。多分その通りなのだろうとグスタフは思う。
 「む」
 イスタカがバトルアリーナから戻って来た。コクリコが手を振る。
 「イスタカおじちゃん、まぴやー」
 ぴぃとマピヤが返事をする。うんと頷いたイスタカは水を飲み、マピヤにも飲ませると自室に戻っていった。おそらく着替えるのだろう。自然と密着した生活をする彼は当初この施設に戸惑いを覚えていたが、自室はVoidollに頼んで自然溢れる川や地面がある部屋となっていると聞いた。その方が落ち着くのだという。そういった希望にも応えるのがこの#コンパスの世界だ。子供の時分に望んだあたたかいベッドなど、いくら望んでも手に入れられなかったグスタフには、その手の届くおもてなしが眩しくもくすぐったく、もう望むことは無いとVoidollには伝えている。
 「俺の望みは世界を絶望で染め上げる事だ」
 「ソレガ、貴方個人ノ望みデスカ? Mrハイドリヒ」
 Voidollには応えられない要求であろう。だから彼の部屋は簡素なものだ。その簡素さとは無縁のこのリビングは、忘れ物が豊かな生活を教えてくれる。
 「はい」
 コクリコが忘れ物のポーチを渡してきた。ピンク色のポーチである。リリカの物だろうかと思った。少々うっかりした彼女はよくリビングに忘れてしまうので、忘れ物箱をよく探っている姿を見たことがある。だがリリカの物とは少々だけ違う気がした。ポーチに付いているリボンが違うし、素材も違う。思わずしげしげと眺めるが、女性の趣味は分からない。もしかしたら買い換えたのかもしれない。そう考えて忘れ物箱に入れようとすると、そわそわした様子のルルカがリビングに入って来た。彼女はグスタフが手にしているポーチを見て、顔色を変える。
 「それ!」
 「ああ、これか。忘れ物だ。コクリコが見つけた」
 えっへんとコクリコが胸を張るので、ルルカは急いで手を伸ばしてきた。だから渡すと、嬉しそうにほおずりする。
 「良かった…良かった。ああリリカ…」
 「リリカ?」
 「いえ、なんでもないの。これリリカにもらったポーチだから…肌身離さずずうっと持ってたはずなのに…グスタフさん、ありがとうございます」
 「礼ならコクリコに言え」
 「ありがとう、コクリコちゃん」
 「えへへ」
 コクリコは満面の笑みを浮かべている。グスタフもその微笑ましい様子を見ながら、周囲を見渡していた。忘れ物とは何故か時が経つと、持ち主の所に戻る確率がどんどんと下がるように思われる。今までの忘れ物を集めたグスタフの経験則である。その忘れ物に気付いた時、人は顔面蒼白で探し回り、何故か見つからない。その遭難率を下げるための忘れ物箱だ。今の所アタリの飲みさししか入っていないが、今日はこんなところだろう。コクリコも満足しているし、グスタフの目線でもそんなに物は落ちてはいない。この飲みさしを処分すれば、本日の探検隊の任務は終了である。キッチンでペットボトルの処理をしていると、コクリコが横でにこにこと笑いかけてくれた。
 「グスタフおじちゃん、ありがと」
 「別にいい」
 そっけない返事であるが、コクリコは気に留めていない。アリーナに行くのかぱたぱたと走って行ってしまった。洗ったペットボトルを片手で潰しておいて、乾かすのを忘れたので洗い場に立てかけておく。乾燥したら捨てるのだ。その前にアタリには拳骨を食らわさなければならない。グスタフもアリーナに向かうため、自室に戻るのだった。
 先程のように穏やかな生活を続けているグスタフだが、一つ、悩まされていることがある。拳骨を食らったアタリに文句を言われることではない。睡眠に関わる事だった。毒の副作用により常に毒の痰が絡むような体である。強制的に入眠する装置が導入され、ベッドの代わりにそれを使うことになっているのだが、そこで夢を見るのだ。#コンパスの世界ではヒーローのモチーフカードが配布される。それはヒーローとなじみの深い者が額面になるのだが、そこに現れていない本来ならばイレギュラーな存在が、最近のグスタフの夢を浸食しているのだ。幼い頃、ギフトを体に入れた時の実験施設の研究員である。名は覚えていないがその容姿は深く心に刻まれていて、だがモチーフカードになるほどにグスタフは心を許していない存在である。
 #コンパスは少々特殊な世界だ。ヒーローの記憶をもとにカードを作成したり、ステージを作成したりすることがある。Voidollのような管理者とは違う、運営部門が存在しておりそこでヒーローの能力の調整やカード、ステージなどを作成するのだが、人間には記憶がある。忘れがたい辛い記憶もある。カードに使われるのはなるべく良い記憶からというのが定説であるが、辛い記憶がこの世界に揺らぎをもたらし、時に勝手に実体化することも無い事ではない。そのせいか、グスタフは悪夢に悩まされていた。それは本日もである。ぽつんとした狭苦しく暗い空間に、グスタフは彼を放り込まれていた。研究員は害をなさないが、ただひたすらにグスタフをなじってくる。
 「お前は実験動物だ」
 「お前は実験動物だ」
 「幸せ? お前はそんな事を考えるな」
 「お前は実験動物だ」
 「お前は」
 彼がそう繰り返した時だった。
 「センッ!」
 唐突な第三者の声が聞こえた。それも知っている者の声である。声の主は素早い動きで研究員に突っ込むと、その手にしていた刀の切っ先を、ぶすりと彼の首に突き立てた。夢の中だからだろう、血は出ない。だがもう研究員は声が出なかった。桜華忠臣である。グスタフの盟友だ。だが今まで夢を見ていてこんな都合のいい展開になったことは無い。常になじられて、目が覚めて憔悴していたのに、何故今日だけは? 困惑するグスタフに、なんとコクリコの声が背後からした。振り返ると、そこにはコクリコがいる。眠そうだ。
 「…グスタフおじちゃん? こくりこね、べっどにいたの。でもきがついたらここにいたの」
 「そうか。分かった、俺が運んでやる。だから寝ていていい」
 コクリコには少々刺激が強いだろうと背で隠し、コクリコを抱き上げると彼女はすうすうと眠り始めた。もしかして、とグスタフは思う。コクリコには夢魔が付いている。そして案の定、夢魔の声が聞こえてきた。
 「コクリコちゃんが、お前が元気がないからと心配したから来てみたら、このざまか。まったく人間は脆い。夢ごときで弱るなんて」
 「…助けに来たのか?」
 「んがっ!? 違う! コクリコちゃんが気にしてるから来ただけだ!」
 「そうか。じゃあ礼は言わないでもいいな」
 「はあ!?」
 「冗談だ」
 夢魔は怒りを買ったのかふんとだけ言うとそっぽを向いてしまった。まったくお節介な連中である。#コンパスにおいて、グスタフを一人にさせてくれないのは悪い所である。だが良い所もあった。振り返ると研究員は影も形も消えていて、忠臣は得意げに笑っている。
 「たまには貴様を助けるのも悪くないな。またお前の夢に奴が出てきたら、我が追っ払ってやろう」
 「子供扱いするな。次は出来る」
 「そうか。それは楽しみだ」
 やれやれこの盟友は年が分からぬうえ、グスタフは子供扱いしてくるきらいがある。だがたまには借りを作っても悪くないだろう。特段、この#コンパスの世界では。グスタフはそのまま自室で目が覚めた。当然腕の中にコクリコも、部屋の中に忠臣もいない。夢魔がすべて見せたものなのだろう、今はそう納得して夜中の三時であることを確認し、もう一度眠る事にした。
 「たんけんたい、しゅっぱーつ!」
 今日もコクリコの元気な声で、忘れ物を探す時間がやって来る。さて今日はどんなものが落ちているのだろう。 
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