「あのさあ」
先だってスミスに向かってルルが放った言葉である。それとまったくおなじ調子と言葉を、アキラに向かってシェリーが言い放つ。同じような感情、同じような言い方。偶然にもここの二人にもスミスとイサミ達の家庭と同じ問題が転がっている。アキラはぎょっとした顔をした。シェリーは豊かな胸に構わず腕組みし、威圧感が言葉の追撃としてちくちくとアキラを刺している。
「うぇ…?」
「いつまで待たせる気なの。アキラは」
「うぇぇえ!?」
アキラは思わず声を上げる。その顔は焦り、赤みが差し、汗も噴き出ていた。その焦りようにシェリーはむっと顔をしかめる。この二人の関係性について幾分か説明が必要だろう。シェリー・ローレンは在日のジャーナリストで、日本における女性の活躍を取材して記事にしている。アキラ・ミシマは消防士だ。この地区では珍しい女性消防士だが、男勝りな性格で性差の部分で業務に支障は出ていない。シェリーが来日したのはスミスよりも半年ほど先であった。大学時代にジェンダーについて学んだシェリーは日本に興味を持ち、震災が起きる前に来日して取材を始めたと言う。ジャーナリズムになるなど、当時の彼女は微塵も思っていなかった。ただ発信者としてSNSで活動し、紹介すると多少の数の承認が満たされることで続けていた。そんな軽さだったのである。そこで高校卒業後に消防士として既に働いていたアキラと出会うことになる。一刻も早く消防士になりたかったということで、昔からの夢を叶えていた。シェリーは、興味のある事を発信していく楽しさはあったものの、気が付けば数字に取りつかれていたことにハッと気付いた。だからアキラが眩しく見えたのだ。汗水垂らして仲間とむじゃきに笑い合う、その姿に心を奪われたのが事実だった。シェリーはフリーのジャーナリストになった時、真っ先に思い出した題材はアキラだった。
はあ、これじゃあ恋じゃない。でも題材は決まった。シェリーがアキラを追って日本に飛び出したのはそんな理由だった。アキラは私生活は少々だらしないところがあったが、自分のルールだけは奇妙に守る人だった。シェリーが口説き落としたのは、綺麗な部屋と食事を提供できるということだった。それからルームシェアが開始され、鈍いアキラも次第にシェリーに惹かれ合い…というわけにもいかず。シェリーが迫った事でアキラが押し切られた形である。アキラは恋愛ごとに少々どころか鈍い部分があり、シェリーがベビードールで押し切った夜もある。だが主導権はアキラに据えたかった。なんとなくその方が、お互い上手く行く気がしたのだ。アキラが決めて、シェリーがうんうんと肯定する。その関係性で、これまでもうまくいっていた。だが年月は流れ、互いに34歳である。似たような境遇の在日ジャーナリストであるスミスは、イサミという恋人と共にルルという少女を育てて九年だ。それだけの月日が流れたのに、何の進展もないままアキラとの関係は今日までは白紙である。法的な関係性ではない。だから、シェリーはアキラに発破をかけることにしたのだ。
「ま、待たせるっていうか。ちょ、待ってくれよ。あたしだって、心の準備だってもんが」
「ステイツに帰っていい人でも見つけようかしら」
「あー…だからぁ…」
リビングにいたアキラはゲームを中断し、慌てたように部屋の奥へ向かった。逃げるのかしらと思いながら、シェリーは玄関を塞ぐようにアキラの真後ろに立っている。だから逃げられるはずもない。玄関に逃げられないからといって、窓から飛び降りるのもここは六階なので無理だ。逃げ場は物置にしている部屋しかない。そこに逃げ込んだアキラは、逃げ場がないと悟ったのかあっさりと戻って来た。もごもごと口ごもりながら、背後に何かを隠している。シェリーは大きな息を吐くと、腕組みを直した。
「言いたくないけど、でもアキラ。貴方にいつも主導権を任せたつもりだったの。私がアキラの事好きだから」
アキラは一瞬照れたような顔でシェリーを見上げるが、威圧感のある彼女にすごすごと首を引っ込める。
「でも、肝心なところを逃げられたら。もう私達ってなんなのと」
「あー待ってくれ! その! 待ってくれ。シェリー」
まるでティーンのような愛らしい顔が、目を潤ませて見上げる。そんな顔に誤魔化されないとシェリーが気を引き締めているのが分かると、アキラは背後に隠している物をすごすごと出してきた。指輪のケースである。シェリーはえ、と言葉を漏らした。彼女が好きなブランドであるのは箱で分かった。アキラが何の感情も無くぱかっと箱を開ける。本来はその一動作にも気を遣うべきものだが、アキラはすごすごと開けていた。中には光り輝く指輪がある。
「えっと…その。あのな? ……渡しそびれてたんだよ! なんかこうさ、夜景の見える場所でーとか、あたしいつ呼び出し食らうか分からないしさ。だから、だから、結構前に作ったんだけど」
「いつ?」
「いちねんまえ…」
思っていたよりも前だった。シェリーはその事実に呆れそうになったが、その前に瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちて来て、口が思うように動かなかった。先にこころが、プロポーズに感動してしまっていた。
「シェリー? 泣くな、泣くなよ。待たせて悪かったって」
「そうよ。ばか」
シェリーのばかの言い方がアキラは艶っぽいなと思っていた。だが今はその艶っぽさを堪能している場合ではない。
「シェリー」
アキラは咳払いし、指輪の箱を持って片膝を着くと彼女を見上げる。
「結婚してください」
喜んで、と言ったと同時に遅いわよと文句は出てきたけれど、その文句は幸せにまみれていてただの言葉として床に落ちるのだった。
「招待状が届いたんだけど、俺行ってくるよ」
「誰か結婚か? パーティとか」
「シェリーが入籍したらしい。アキラと」
「え。本当に!?」
一時はスミスとシェリーの仲を誤解したので、イサミは驚いた。付き合いはあったし食事をした事もあるが、二人が恋仲だとは気付かなかったのだ。しかも入籍し、結婚式を挙げるとなると驚くのも無理はない。
「日本で入籍パーティをして、ハワイにそのまま親族と一緒に行ってブライダルフォト…まあ親戚が遠方だからそうだよな」
「スミスだけか?」
「いや、ルルと君も招待されてる。どうする? 忙しいなら」
「いや行くよ。スミスの大切な仕事仲間だもんな」
シェリーは竜巻に巻き込まれたスミスの仕事のフォローもしてくれていたと後で知ったので、勝手ながら恩を感じている相手だ。祝うのなら祝いたい。アキラもルルを可愛がってるし、この機にもっと仲を深めるのもいいだろう。
「よし決まりだ。といっても、ルルのパーティドレスがないんだよな。買いに行こうか」
「え、なに。パーティ?!」
ルルが目を輝かせて飛んでくる。非日常の香りは魅力的だ。勉強の息抜きで麦茶を取りに来たルルを、イサミは押しとどめて部屋に戻そうとした。
「後で説明するから」
「えーなんでぇ」
「いいから勉強して来なさい。受験生」
とりあえず俺もスーツあったっけとイサミもクローゼットに引っ込んでいき、スミスは招待状に〇をつけた。印刷されたのは簡素な造りである。御を付けるだとか二重線で消すだとかではなく、「はい/YES」か「いいえ/NO」に〇をつけるだけだ。一言おめでとうと書き込んで、これを返送しなければならない。じゃあポスト行ってくるからとスミスは家を出るのだった。
アキラとシェリーの入籍パーティは、ホテルの会場で行われた。高級ホテルなんてこういう機会が無ければ訪れないなあと、豪勢な内装を眺めながらイサミは呟く。そうか?と言うスミスはよく打ち合わせで使っているらしい。たまには家族サービスしろ、とイサミは言い残し、ルルも同じ言葉を言うとイサミの腕に腕を絡めてさっさと歩いて行ってしまった。でも自費はなあ、とスミスは頭をかく。とはいえ、受験期が終わったら旅行でも行きたいなとホテルを見ながら思った。消防署の関係者かジャーナリストが多かった。当然だがシェリーの友人がそう簡単に来られないこともあり、シェリーも親族全員ではなく父母兄弟姉妹だけの参加なのでアキラも数を押さえているようだ。イサミ達はシェリーの友人という形で、テーブルに着く。シェリーが気を遣ってくれたのか三人だけの卓だった。ルルは楽しみ、と真っ白な卓にカトラリーやグラスが美しく並べられているのに興奮しているし、スミスは倒さないようになと宥める。イサミはなんとなく職業病で、退路や非常口の位置を確認していた。若い二人だが、親族の数も絞っているのかそこまで老齢の方は見当たらない。そうしているうちに、受付の方で何やらざわついていた。ついイサミがそちらを見やると、スミスとルルも気付いて見やる。何か身長が高いものが、がしゃがしゃと音を立ててやって来ている。
控室にいたアキラとシェリーのところに、式場の担当者が血相を変えて来たのはその受付の異常を伝える為だった。
「三島様、あの」
「ん? どしたんですか」
「ろ、ロボットみたいな方が受付にいらっしゃってるそうで…!」
嫌な予感がした。アキラは既にドレス姿だが、控室を飛び出していった。隣の控室にいたシェリーもそれを見て飛び出す。花嫁が二人走るなど、問答無用の状況である。だがそんな体裁よりも、とにかく受付を確認しておきたかった。
「クピリダスーーー!」
「おお。アキラさんに、シェリーさん。これはお美しい!」
「お美しいじゃなくて、なんでお前がここにいるんだぁー!? 消防車だろお前は!」
受け付けはアキラの友人とシェリーと同じ在日のジャーナリストがしていたが、二人とも困惑して固まっていた。そこに花嫁が二人、お披露目するはずのドレスで現れたのである。受付は騒然としていた。だがクピリダスは、普段は消防車であるはずの姿ではなく、二足歩行でスーツを着込んだ…といっても3mはある巨人である。歩くとがしゃがしゃと音は鳴るが、人型といっても過言ではない。ただ頭部は、我々がよく知るヘルメットをかぶったような丸い頭である。とはいえ、人の頭より一回り大きいほどの頭だ。遠目で見ればフルフェイスのヘルメットを被った背の高すぎる男性…となんとか言えるかもしれない。
「消防署所属の消防車を代表して来たんですよ。あ、これご祝儀です」
「あ、どうも」
「ご祝儀ってお前、勤務してるけど給料ないだろ?!」
「何を言うんです。ありますよ、まあ微々たる物ですがガソリン代くらいは出るんです。そこからコツコツ貯めました」
「もらえない。そんな悲しいものもらえない!」
「いいんですよ、どうせ金銭をいただいても、私使える場所少ないですし。自分でガソリンスタンド行って給油してって言っても断られるし…」
「そりゃな?! 消防車が無人で運転して、ガソスタに行けばな!?」
「というわけで、アキラさんに差し上げます。ご祝儀は五万入ってますので」
「一人にしても多めの金額包んで来た!」
「お、お知り合いなの?」
アキラの母が言う。控室から飛び出した花嫁を追い掛けてきたのだが、怯えていた。それはそうである。娘の晴れ舞台に巨人ロボットが何の説明もなく参列してきたのだから。
「あ、お母さまですか。はじめまして私クピリダスと申します。普段は消防車をやっていまして、アキラさんが操縦していただいてます」
「……は?」
「やめろ、事実だけだが説明するのはやめろ…あたしが後で説明するから!」
クピリダスの言う事には間違いないが、初対面の人間にはなんのこっちゃである。案の定混乱した父母をとりあえず控室に行くように促し、式場スタッフにクピリダスの事を言づけようとした。すると。
「あ、席とか大丈夫でーす。私500kgくらいありますし、食事もしませんから。壁にもたれかかって拝見してます」
「え?」
「ああもう、話が早いけどもさ…すみません。そんな感じなんで、式場の端っこにでも置いておいてください」
「は、はあ」
「リアルタイムで高画質。暗くなっても暗視カメラ掲載の私にお任せを! 感動の結婚式を録画に残しますからね、アキラさん!」
「おう。静かに大人しくしとけよ…」
もう突っ込んでいる場合ではない。アキラ達は出番がある。シェリーの父母にもシェリーから説明してもらい、なんとかその場を収めるが、会場に入って来たクピリダスにまたどよどよとざわめきが広がってしまった。高性能AIに搭載車両に慣れているイサミ達ですら、そんな人型モードあったの?!となる始末である。波乱だ…とアキラは控室で頭を押さえたが、シェリーが尋ねてきて大丈夫よと慰めてくれる。こうして助け合って生きていくんだな、とアキラはこれからの人生を思い、じーんとするのだった。
入籍パーティはつつがなく終わった。最後の余興である、式の始まりから終わりまでを編集したビデオをクピリダスが作成を申し出て、映画のような画質と演出のムービーが出来たせいで会場がざわついたくらいだ。クピリダスはすっかり慣れたのか、式が終わると良かったよと声を掛けられる状態まで馴染んでいた。それもアキラの頭を悩ませたが、まあ終わりよければ全て良しである。来場者を見送る為に入口でお菓子を配るシェリーとアキラに、スミス達はおめでとうと近付いた。汗をかいて大変だったと思われるが、はつらつとして清々しいシェリーに、スミスは素直におめでとうと言った。
「ありがとう。…ねえ。そろそろ貴方の番ね」
「え?」
「頑張ってね。式には出るから」
艶やかな唇でウィンクをして、シェリーはスミスの後ろに来た参列者に頭を下げる。ああこうして式をするんだなとぼんやりと考えていたスミスだが、急にシェリーの言葉が迫って来て、イサミに小突かれるまで立ち尽くしていた。
「帰るぞ」
「かえる!」
「あ、ああ。行こう」
ルルはイサミの腕に絡みながら、ご機嫌だ。ドレスで髪もセットされてお姫様のようだ。ルルの満足げで充足した顔を見られただけで、スミスは参列してよかったなと思うのだが、求められるのはこれ以上の行為だ。イサミはルルと腕を組みながら、楽しかったなと笑っている。その穏やかな横顔を見ながら、スミスは小さな息を吐くと二人の横に小走りで並ぶのだった。