眠るとは卑怯なものである。現実世界からシャットアウトされ、意識はそこら辺にあったとて肉体が眠っていることで交渉などすべてを諦めるほかない。それほど夢の世界に飛びたかったのか、と周囲は思うしかない。あるいは肉体がそれほどまでに傷付いているのかと。
「失礼。…承知しました、お連れします」
カワダの隣を覗き込んでいたプラムマンが、断ってカワダの前に出る。カワダ達の前には、サタケが机に突っ伏していた。眠っているのだ。それも深い眠りなのか寝息も、眠る時に動く肩もぴくりとも動かない。石化したという表現が正しいだろう。限界が訪れたのだ。寝かせてやりたいのだが、いかんせん退かせている暇もカワダにはない。相談したのがプラムマン上級曹長である。司令官であるキングやハイデマリーは近くにはおらず、カワダが司令部の片隅で見つけたのだ。プラムマンは極めて忠実で、冷静だ。サタケを手早く抱え上げると、彼は一礼をしてカワダの前からきびきびと退出する。まるで脱走兵を捕まえ、収容しに向かうような冷淡さを伴って180cmを超えた男を抱え上げる。ああいったところが、今日まで実戦で生き延びたのであろう。仮にも恋人じゃなかったかと記憶しているのだが。まあ公表はしていないし、カワダが把握しているだけだ。別段サタケから相談を持ち掛けられたという訳でもない。ただ素直にそう感じたし、そうであれば親密さには合点がいく場面がある。背後から戻って来たキングがカワダに声を掛けた。
「イサオ、サタケはどうしたんだ」
「彼は倒れました。今、上級曹長が運んでおります」
「倒れた? それでは軍医は?」
「いえ、眠っているだけですから。片隅に居させるわけにもいきませんし、今上級曹長が部屋に」
「新兵なら叩き起こされていたものだ。居眠りとは、懐かしいな」
「申し訳ございません。立場上、風紀を乱すとはあってはならぬことです」
「日本が悪いわけじゃない。悪いのは全て、あの侵略者どもだろう。…君は無理をしていないか」
キングはサタケを特段咎める様子もないので、カワダは少し安堵する。実戦経験が無いとはいえ過酷な訓練にも身を置いて来たのだ。眠気に襲われるとは緊張感が足りないと咎められても仕方ないだろう。眠りは人間のすべてでもある。眠らなければ人間は死ぬ。だから軍人であったとて、眠気に耐えうる極限状態で生きなければならなくても、眠ってはならない。カワダは眠気を飲み込む代わりに、既に頭の半分が死んでいくような感覚に襲われている。極限状態では脳細胞の壊死が早いのかもしれない。だが脳が死んでいく感覚があっても手を突っ込んでかき回したり手当ても出来ないから、頭蓋骨の中の異変をごまかす為に戦略を練り、脳内でシミュレーションを繰り返して気を紛らわす。
「無理はしなければ勝てないでしょう」
「すまない、だが体調管理も仕事だ。休むといい」
「そうですねぇ」
そう答えながらカワダは眠りに向かう様子もない。超人的な鈍さでもない限り、この局面で何かを壊すのは当たり前だ。現場の兵士はそれこそ命を削っているし、過去の自分も命を張って来たのだから、脳を鈍らせていくぐらいなんでもないのだ。だが一眠りして、15分でもいいから休息を得られたらマシになるかもしれない。キングはカワダの少々間のある言葉に不思議そうな顔をした。
「こんなことを言う必要は無いのでしょうが」
「なんだ。必要な物でも?」
「頭を撫でてくだされば」
なんだそんな事かとカワダの頭をキングの大きな手が撫でる。子供のように豊かな髪の上に指が滑り、頭皮にも当たるような指先。子供のように撫でられながら、遠くに追いやって追っ払った眠気が、だんだんとスキップでもしながら近付いて来た。
「もう大丈夫か?」
髪をそこまで乱せないからだろう、控えめにキングの手が引いた。カワダはまだ物足りなさそうではあったが、分かりましたと頷いて従順な腹心らしく下がっていく。その背を見ながら、たまに手間のかかるカワダに愛おしさも込めて視線を送るとキングはタブレットに目線を落とした。
「眠ったふりはよくないな」
サタケの部屋に送った後、プラムマンは手早く服を脱がさせる。赤のレザージャケットが皺になるからだ。こういったところは非常に細かいし気配りが出来るタイプである。だが眠気に襲われている最中は、なんだか小うるさい父親のようだ。脱がされながらううん、とサタケは鬱陶しがるように唸る。そのまま肌着も着替え終わってベッドにダイブするサタケの傍目に、プラムマンは彼が脱いだ服を畳む。
「眠ってたんだよ…まさか君を呼ぶなんて」
「あのまま自衛官の士気もメンツにも関わりますからね。副司令殿の采配は素晴らしいかと」
「でも本当に」
「分かった分かった。ではリュウジ、存分に眠りなさい」
「目が覚めてしまった」
まさかである。眠らせるために手早くやったことが、どうやら眠気をかえって覚ましてしまったようである。だがそれがサタケの我儘で、誰かにそう言った我儘を言える年齢ではないからプラムマンだけに特別なに言うのだろうけれど、意味がない物かもしれない。本当に眠気が無くなったのなら起きろとプラムマンが背に手を伸ばすと、シャツが覆ったうつ伏せのサタケの背がうねって逃げる。子供のようなやり取りだ。やれやれとプラムマンがため息を吐くと、サタケの声はまだ眠気に彩られて回っていない。
「君がしてくれたら眠るよ」
「よし。何をすればいい」
「キスとハグと愛の言葉」
「とっとと寝なさい」
「トーマス」
サタケの声が拗ねる。ああまだ仕事もあるし、会議もあるしここでサタケの活動が止まるのなら助役のプラムマンの仕事も滞るだろう。それならばさっさと寝かせてしまいたい。思い立ったが吉日だ、プラムマンはサタケの上に馬乗りになって、ハグは背中から簡単に、キスも耳の縁にしてサタケを起こさないようにして、そのまま愛してると一言だけ耳に流し込む。さて条件は全て満たしたはずだ。
「ほら」
「…君、事務的すぎないか?」
「寝なさい」
あまり納得がいかないようだが、眠りに就くのは早かった。自分は寝つきがいい方だと、過去にサタケが自慢していたことを思い出した。あとはどこでも寝られる。その特技が気の緩みを得て、かえって悪い方向に出てしまったのかもしれない。加齢であるといえば、それは加齢だろう。まだ子供のように見えるが、それなりに歳かとプラムマンはサタケの頭を撫でた。その手付があまりにも優しく、どこか子供にするようだったのでサタケは不思議に思ったようだ。
「妙に優しいな」
「いいからお眠りなさい。起きたら愛してあげますから」
「仕方ないな。でもさ、日本では死は眠りに近いとされていて…」
「貴方が死んだら、地獄まで追い掛けに行ってあげますからご安心を。死神をぶん殴る用意はしておく」
「ほんとうに?」
「ほんとうに」
まるで子供に言い聞かせるように繰り返し、優しい口調だったのでサタケは笑ってしまった。プラムマンも笑う。今後こそサタケがすやすやと眠り出したので、プラムマンはもう一度頭を撫でると部屋を出るのだった。