お題「中華」
太陽がぎらぎらと照りつけている。アスファルトが照り返している。冷房の効いた客先のオフィスビルから出た瞬間、あまりの暑さにため息が出た。
時計を見れば十二時四十分。この後は自社に戻って事務仕事をするだけ。飯でも食ってから帰るか。そう思ったローは、スマホで近辺の食事処を探すことにした。
歩いてるだけで汗が滲んでくる。うかうかしていると手の汗でスマホを取り落としそうだ。「現在地から三百メートル ランチ」で検索をすると、候補がわらわらと出てくる。暑すぎて何が食べたいかよく分からない。
信号が赤だ。横断歩道の手前の空間はかんかん照りの日向でうんざりする。ふと左側を見ると、青信号の先に中華料理屋があるのが見えた。
あぁ、もうあそこでいいか。ローは方向転換し、青信号を渡ってそのままその店の引き戸を引いた。
「いらっしゃいませー」
店員の声に気合いはないが、店内がキンキンに冷えていたので、もうローは満足した。この店が旨かろうとそうでもなかろうと、このままこの暑い中を放浪するよりもずっといい。食欲を凌駕する暑さにローは完全に負けていた。
「メニューはそちらの看板をご確認ください」
カウンターの端に座ったローに、店員がおしぼりと水を出してくれた。水には三つ氷が入っていて、乾いた喉をひんやりと潤してくれる。幸いおしぼりも冷たい。掌を冷やしながら、店の奥に掲げられた看板を眺めた。
日替わり定食、千円、杏仁豆腐付き。ラーメン、八百円。その他定食が何種類か、大体千二百円から千六百円。
「すみません、日替わり一つ」
「はーい」
茹だった頭には深いことが考えられなくて、とりあえず一番左のものを頼んだ。
「あと水お代わりください」
「はーい」
たらたらと店員が水入れを持ってきて、氷の音をたてながら水を注いでくれた。カウンターの向こうで料理人が、早くもスープを鍋から皿によそっている。もうもうと湯気の出るスープは、まぁたしかに少し冷めていた方が飲みやすいかもしれない。
もう一杯水を飲み干して、ようやく一息ついた。汗でベタついた首筋も、おしぼりで拭うと心地が良い。店には流行りの曲が流れ、入り口近くのテレビでは芸人たちが戸越銀座でロケをしている映像が流れている。店の入りは三割ほど。昼のピークを過ぎた時間だからだろうか、人気がない店だからだろうか。
ジャアジャアと、炒め物を作る音がする。あちこちからいろんな音がすると、何の音も頭に入ってこない。ローはぼんやりと、料理人が中華鍋を振るう様子を眺めていた。汗がひいてきて、背中に貼りついたシャツが気持ち悪い。
先ほどオーダーをとってくれた店員がカウンターの向こうに入って、米をよそい、冷蔵庫から杏仁豆腐と小皿をボードに乗せている。そこに料理人が、中華鍋から中身を移した皿を渡した。あっという間だ。
「お待たせしましたぁ」
カウンターの向こうから渡されたボードはずっしりと重みがある。ありがとうございます、と口の中で呟いて受け取り、机の前に置いた。
日替わり定食は、ホイコーローだった。端が焦げたキャベツと肉からホカホカと湯気が上がっている。ローはぱちんと箸を割って、そっと手を揃えた。スープからは予想通りもう湯気はなく、でも一口目に口をつけるには丁度良い温度だった。塩気で、腹が減っていたことを身体が思い出す。
店の客が少なかったのは、昼のピークを過ぎていたから、そして料理の提供がかなり早いからだと、食べて判断できた。適当な店を探して放浪するよりも、断然正解だ。ローは大きな口に白米を放り込み、むしゃむしゃと咀嚼した。たくさんの油で炒められたキャベツがてりてりと店の照明を反射している。米を茶色く染めてから、それを口に詰め込む。うん、うまい。もう一度米を食う。それから肉。味が濃い。小皿の上の漬物も食べる。これは少ししょっぱすぎ。もう一度米。
むしゃむしゃと食べながら、中華料理を食べたのは久しぶりだったなと思う。ローは自分では中華を作らない。献立を考える時にメニュー名が思いつかないのだ。だから前に食べたのはいつだったか。
あぁそうだ、まだこんなに暑くなる前にスモーカーが作った野菜炒め。あれは中華料理だった。
夕飯を作ろう、となった時。ローならまずメニューを考える。オムライスでも食べるか、それともミートソースパスタにするか。そして必要なものを買いに行く。玉ねぎ、人参、茄子、ひき肉。それらは微妙な量を使われ、そして微妙な量が冷蔵庫に残る。
スモーカーは違う。がらりと冷蔵庫を開けて、ローが残した微妙な食材たちを救出していく。それらを一口大に切って、フライパンに放り込んでジャアジャアと炒めて、また冷蔵庫から出してきた調味料をさっさぼたぼたと入れて、皿に盛り付ける。そうして一期一会の名もない料理を作る。こないだそうやってスモーカーが作った野菜炒めは、甜麺醤の薫り高い謎の中華料理だった。
スモーカーの料理は甘い。砂糖を景気良く使うから。店で出る塩気のきちんと効いた中華とは違う味。でもそれが疲れたローの身体にはよく沁みる。
あっという間にホイコーローを食べ切って、杏仁豆腐を口にした。さっぱりしていて美味しい。食べながら、なんだか早く帰りたくなった。美味しいものを食べたのに、違うものが恋しくなるなんて。
「ごちそうさまでした」
声をかけると店員がレジに向かう。支払いを済ませて引き戸を引くと、むわりとした熱気に包まれた。熱い、けど、駅まで歩くだけのエネルギーは蓄えられている。駅は道を挟んで斜め前、どちらの信号が青になっても渡れる。
ローはポケットからスマホを取り出した。人気のない横断歩道を渡りながらメッセージをぽちぽちと打つ。もう昼休みは終わっている頃だから返事は来ないだろうと思いながら。
でもきっとアイツはタバコ休みにでもこれをみて、了解と二文字返してくれるはずだ。
「今日の夕飯、中華炒めにして」