二.手を。 前編 10581
天に響く多大なる衝突音は、一つのものごとの終わりを象徴させた。個体名:不明のビル数階建てほどもある長い尾がブレイバーンの身を叩いたのである。その個体名は、ATFの資料にはのちに協力関係を築いたスペルビアによりポーパルチープムという名が明かされている。そのポーパルチープムの長い尾は、食事の邪魔をした不届き物を叩き落としたのだ。まるでコバエを振り払うかのような仕草で、いとも簡単に。その時にブレイバーンとイサミが真正面から対峙していたのは、イーラと呼ばれる個体だった。憤怒を司るイーラに、正面からセグニティスを振り払ったブレイバーンは勢いそのままに彼に向かった。実力は互角の斬り合いであったところに、その騒ぎを聞きつけたポーパルチープムの尾である。ブレイバーンの吠える声と共に、ひとたまりもなくその体は吹き飛んでいく。
「う、ああああ!」
「くそ!」
ブレイバーンは前面をひどく打ち付けられた為に装甲は剥がれ、ハンサムな顔には亀裂が入った。瞳が片方砕けていた。だが咄嗟にイサミの操縦で身を翻したので、ブレイバーンの視界は見えていなくともその体はぐるんと回って綺麗に地面に着地した。ブレイバーンとイサミの心が通じて居なければ成せない事である。ブレイバーンの声が饒舌ではなくなった。
「い、さみ。あ、りが」
「いい。ブレイバーン、礼は後だ!」
体に鞭打ちポーパルチープムの肥えた体を切り捨てると、ぎぎぎぎぎぎと異音を立てるブレイバーンはイーラに向き直った。その時だ。ATFの増援がやって来たのだ。あっという間に兵器に取り囲まれたイーラは、それでも臆さずに高笑いする。
「あはは、いいね、その怒り。その憎悪!」
ブレイバーンが地上を蹴って飛んだ。イーラも同じように飛ぶ。兵士達に見守られながら、ブレイバーンは起死回生の一撃をイーラに叩き込み、その戦闘は勝利したのだった。
やった、やったぞ! 空母に安堵と歓喜の声が飛び交った。カワダ副司令は人知れず大きく息を吐く。これで、これで終わったのだ。人類の勝利と共に世界の安寧が訪れる。この時をどれだけ待ち詫びたことだろう。いつの間にか彼の真横にはバロウ少将がいて、彼女も控えめな笑顔を見せている。カワダが微笑み返した、その時だ。異変に声を上げたのは見張り塔の人間だった。喚く声が聞こえ、ほとんどの人間が思わず前を見やる。前に何かある。だが前の光景に何ら変化はなかった。あるとすると、ブレイバーンだ。その身にひとつの筋が入ってしまったブレイバーンが、悶えるように身を縮めたと思うと、心配で駆けつけたヒビキの烈華を突き飛ばした。何をやっているんだ!と誰かが非難したその時だ。ブレイバーンが空に飛び立つが早いか、空中で爆発した。唐突な爆発だった。
我慢し続けたことで、ついにその身が破裂したかのようだった。直前でブレイバーンから何かが地上に向けて吹っ飛んで、どたんと音を立てて落ちる。
「イサミ!?」
ブレイブナイツであるヒビキの通信が響き渡る。ブレイバーンから落ちたのなら、それはイサミ・アオに他ならなかった。一方のブレイバーンは爆発の勢いそのままに、イサミ同様に地上に落下していく。彼は受け身も取らず、ただ仰向けに地に転がった。いつも体裁や見てくれを気にするハンサムロボットとは思えない程にだらしなく、脱力した姿に見えた。爆発は脇腹あたりから発生し、煙が噴き出している。安全な空母で、ルルとイサミの帰りを待っていたミユが息を呑んだ。
「ブレイ、バーン…?」
「いさみ?」
ルルは不思議そうに首を傾げたあと、周囲の人間が呼吸を忘れているのを見て、嫌な予感がしたようだ。
「いさみ、いさみのところいく!」
「ルルちゃん、ダメ!」
ミユが急いでルルの腕を噛む。記憶に新しい日本上陸前に、彼女が一度手を離してしまったことで、ルルはスミスを追って戦場に行ったことを思い出した。そのためミユの手は力強い。ルルの身体能力が高いとはいえ、成人がある一点に多大な力をこめればそれは痛みとなる。しかしその痛みと、ミユの重みを引きずってでもルルは走り出した。振り払われてしまったミユは、床に倒れ込む。
「ルルちゃん! 誰か、誰かルルちゃん止めてください!」
ブレイバーンの爆発があれだけとは限らないのだ。ミユの判断は順当であるが、知識のないルルには分からない。その場に居合わせた何人かの兵士が追って行った。ミユもすぐに立ち上がって走り出した。一方の司令部である。ルルが飛び出したと聞いて、止めるように誰か追えと言い出した。だがカワダ副司令が遮る。
「いい」
「しかし、また爆発するかもしれないのに」
「いいから! 行かせてやれ」
今更誰かが追ったとて、司令部から見える景色にルルは飛び出している。彼女の足を遮る者が現れるのかは疑問だ。そうだ、ルルの安否もだが他に確認すべき事があるのだ。
「誰か、誰かアオ三尉の生存確認を!」
「あれはもう…」
打って変わって悲劇的な空気が漂った。続いてニーナ中尉がジョシュアと共に飛び出していくのが見えたが、間に合うかは分からない。カワダは一心に外の風景を見つめた。デスドライヴズは死んだ。このオアフにいたのは、セグニティス、イーラ、ポーパルチープムだけだ。それらを倒した。倒せたのだ。だが犠牲となったのは、世界の英雄であるブレイバーンとイサミ・アオ。
「あああ…」
カワダは膝を着いた。ダメなんだよ。それじゃ。ダメなんだよそれじゃあ!
声なき悲鳴を押し殺してうなだれるカワダに、混沌とした司令部ではハイデマリー・バロウしか寄り添っていない。一方のルルはイサミの所にまっすぐに向かっていた。既にTSから降りたヒビキが、彼女の軌道に現れた。イサミの前に立ちはだかり、抱きとめる彼女の腕をこじ開けてすり抜け、ルルはイサミの元へ。ブレイバーンから飛び出したイサミは、人間のすがたを保っているようだった。地面に脱力して横たわっている姿はブレイバーンと同じである。ルルが近付き、倒れ伏すイサミの手を取る。手がなんだか冷たい気がして、思わず自分の頬に当てて確かめた。
すると、イサミが目を開けた。掠れているが、名前を呼ぶ。
「ルル」
「いさみ…!」
安堵したルルの顔を見ながら、イサミはその場で吐血した。ごぽっと音を立てて、ルルの頬に血がびしゃりと付いた。イサミの口からおびただしい血が流れ、ごぽごぽと音を立てて肺が血に溺れていく嫌な音がする。血を浴びてしまったが気にも留めず、ルルは必死にイサミの顔を覗き、手を掴んだまま呼び掛けた。だがイサミの体はどんどん地面に溶けるように倒れていき、動かなくなっていく。こういう時になんと声を掛けていいか、ルルにはまだ分からない。スミスには平時の愛情しか教えてもらわなかったのだ。有事の際に出来る正しい行動など、まだ知る由もない。
「イサミ! イサミ! イサミ! いさみぃいい!」
「どいてルル! ジョシュア、気道を確保して」
「ルル! どいて」
「いやだぁ! イサミ、いさみ! イサミ!」
ルルの呼びかけにもうイサミは応えなかった。瞳は白目がだんだんと乾いて、まるでゼリー体の眼球が作り物のように見えた。ニーナ中尉が脈を取り、最低限の医療キットで出来うる処置を施す。その間にジョシュアがルルの頬を拭こうとしたが、それどころではないと彼女は払いのけた。
「ルル、顔を拭いて。感染症の懸念もある」
「…だめ…」
ルルが暴れるのをジョシュアと数名の兵士が押さえ、ニーナがイサミの手をそっと置いた。その美しい横顔に苦しみが浮き上がった。それがルルには宣告だった。大きな赤い瞳が目いっぱいに広がる。担架を広げた際に、何人もの兵士が志願してイサミを慎重に担ぎ上げた。だがその顔にはタオルが掛けられ、この場では彼の死を意味している。ルルは呆然としていた。ヒビキがいつの間にかルルの傍に立って、彼女の肩を抱いている。軽い肩だとヒビキは思った。何もかもを失った少女の肩だ。行き場のない彼女の未来を考えると、ヒビキはいつの間にかルルを思いきり抱き締めていた。
「大丈夫だからね。ルル。大丈夫。大丈夫だから」
「…う、うぅ…うわぁああん! イサミぃぃ!」
イサミの名を呼びながら泣き崩れる少女は、泣くことが許されない軍人達の代弁者であった。過酷な任務である。終わりの見えない戦争である、そこに居合わせたルルの無邪気さと成長に誰しも心を救われた事がある。ヒロもルルに駆け寄り、背中をぽんぽんと叩いた。大丈夫。何の責任も取れない言葉だけれど、そう言うしかない。大丈夫。生きている。これからも生きられる。そんな希望を抱く中で、深い深い絶望を抱く者が二人ほど。カワダは呟く。
「…また失敗だ」
サタケは吐き出す。
「私のミスなんだ」
いったい何が失敗なのだと、プラムマン上級曹長はクラーケンを降りたばかりの格好で尋ねる。格納庫にいる二人だ。周囲に人影はちらほらとあるが、悲痛と歓喜のどちらを取るべきかでATFは沈黙している。だから誰かに声が響いて聞こえてしまいそうで、プラムマンは声を潜めた。
「どうしたのです」
「イサミを一人で行かせたのは私だ。…あの時、止めていれば」
サタケは俯いたまま零す。数日前に、イサミがスミスの墓参りを済ませた後に単身でハワイに乗り込む手前をサタケは立ち会った。墓地ですれ違ったイサミの表情で嫌な予感がしたのだ。イサミの部屋の近くで張っていると、パイロットスーツに身を包んだイサミが現れた。
「どこへ行くアオ三尉」
「…サタケ隊長。俺は、もう誰も死なせたくないんです」
その決意は固いように思えたし、ここで止めてもイサミは聞かないことを分かっている。殴っても蹴っても、イサミは前に進もうとするのだろう。愛弟子の事などよく分かっている。サタケはイサミとの対話を最低限に、彼には強い信頼の目を向けた。
「分かった。必ず戻れ。これは命令だ」
「…ありがとうございます」
イサミはそう言ってバーンドラゴンに乗って旅立った。その過去が今、サタケの肩に重くのしかかっている。あああ、とサタケは顔を覆った。愛弟子を死地に赴かせた、それは戦場において軍人であれば致し方ない事である。死は、悲しく重くものしかかる。だが職務だと言えばそれまでで、サタケが嘆き悲しむような事であろうか。そうした死への嘆きというよりも、もっと根深いものが今のサタケの身を包んでいる。失敗した。ミスをした。カワダの言と合わせて考えれば、サタケの嘆きは少しずつ紐解けるものだ。彼らは同じ時を、デスドライヴズとの戦争を繰り返している。それも何度も、何度もである。バーンブレイバーンが初めて現れた際に、サタケが思わず口にした「あの機体は」。勇導操波による操行データをブレイバーンによって上書きされた珍事件のあと、互いに目を見合わせたカワダとハイデマリー。何度も何度も繰り返した彼らは、ある正解を探し求めている。割り出した答えは、生存者が揃っていることだ。その中にイサミ・アオの生存は確実に求められる必須要因である。それが、叶わなかったこの時空は、また繰り返すのだろう。残念ながらこの時空は歪められ、オアフの合同演習に巻き戻されます。ゆめゆめ油断なされませんよう。
「一万と581回だぞ…」
カワダが項垂れながら呟いた。ーーーこれは、10581回目。
わーい♡いっぱい! ありがとうございます!