傷一つ無いというのには嘘があるが、その肌はしろくてきめが細かい。生まれつきのものなのだろう。目指そうとしても難しい、天性のしろさが全身を覆っていて、それがこの男の生い立ちを雄弁に語っているかのようであり、プラムマンはその肌をただ見下ろす。サタケは気恥ずかしそうに顔を隠しながら顔だけがほんのりと赤く染まっている。
 「もう四十なんだ。まじまじと見ないでくれ」
 「綺麗だよ」
 「…いつもそう言ってくれるのは嬉しいけれど」
 若さを伴わない年齢に見合わない過ぎた言葉だと、いつも誉め言葉に身を竦める。プラムマンはお世辞を口にしたつもりはない。色黒の自分の肌と比べたわけではなく、彼の人生を形成する記憶の中で現実のサタケの肌を比べていて、その結果によっていつもサタケを褒めている。だがサタケはあくまでリップサービスだと考えているようだ。目線を逸らして隠しようもない肌を露わにしながら、この羞恥心でどこかを隠すならと手が彷徨っている。その手を掴んで全裸から逃げられないようにするのも考えたが、今はやめてその白い肌に指を滑らせた。綺麗な肌である。生まれた時から祝福を一身に受け、愛で紡がれた絹で丁寧にくるまれて生まれて来た肌だ。綺麗である。プラムマンが生まれた場所は、サタケをそこに配置するのに神が躊躇うような場所だった。ダウンタウンである。安く軋むアパートにはしょっちゅう子供の泣き叫ぶ声か、怒声か、罵声か金切り声が充ちていた。ある日に外で遊んでいた幼いプラムマンが家に帰って来た。安アパートの三階をたったと上がったところで、まだ昼前だというのに隣の部屋の玄関が空いていて、そこに投げ出されていた人の足が見えた。金切り声に、泥酔したような男の声である。足は女の物だから、組み敷かれている奥さんの物だろう。いつも亭主と赤子に金切り声を挙げているので、その声はよく覚えている。彼女はばたばたと足を激しく動かし、乗っている男を退かせようとしていた。泥酔しているのは亭主である。安酒を枕にしているような男だ。異様な光景であるが、それは日常だった。幼いプラムマンは自分の部屋に戻ろうとするが、手にしていたボールが廊下を滑り、その隣室のむこうに転がっていった。だからボールを取りに向かうと、横目で嫌でもその二人の行為が目に入って来る。男は下半身を×××にしていて、女は古めかしいワンピースを千切られてしまったのか必死に手を股の×に××て、×××していた。もう子供が三人ほどいる家庭である。その部屋の奥では火の付いたように赤子が泣いている。だが知ったこっちゃない合意のない性××は続いている。ボールを取ってさっと身を翻した。隣の亭主に気付かれては殴られる可能性があるからだ。実の父母も似たようなものだった。だが父はかつては有職者で、それなりに給金を稼いでいたことを傘に着て過去を思って酒を飲んで、未来に働こうとしない。母は内職と実家からの仕送りをもらってなんとか生活している。昔はそれなりに小金持ちの娘だったというのが自慢だ。父は酒を与えていれば泣きわめくぐらいだが、やっていることは隣の亭主と変わらない。母親のわずかな稼ぎをあてにして、疲れ切っている家庭だった。父は年若い息子を嫌っていた。プラムマンが赤子の時分は仕事がうまくいっていたから、それはそれは溺愛したらしい。だが二本足で歩けるようになってからは、金のかかる生き物を飼っているかのようでよく目の敵にした。母は飛んでくる酒瓶から守ってくれたが、愛情の証に抱きしめてくれることは物心ついた時には無くなった。母は父の激昂を恐れていたのだ。子供心にもそれは分かっている。だから恨むよりそれが日常になっていて、自分の置かれている環境が”あまり良くない”という事実がようやく身に染みたのは、軍に入り職を得てからだった。世の中には安心に安全に酒を嗜み、人を愛し、隣人を愛し、まっとうに子どもを愛する人間で溢れている。それは当たり前の事実なのだろうが、子供の小さな世界はあのダウンタウンだけだったから、そこでようやく世間でいう普通の基準に触れ、結婚もしたし子供も生まれた。だがある日ぐずっていた子供の為にベビーベッドに近付いた時、唐突に父親が出て来た。酒乱の父親は赤子の声を嫌って、赤子ごとベビーベッドを叩き割ろうと拳を振り上げた。それはもちろん妄想に過ぎない。現実では赤子はいよいよ不快に顔をゆがめて、言葉の代わりに泣き出した。プラムマンは、それをただぼうっと見ていただけに過ぎない。だが妻が一向に赤子が泣き止まないから、どうしたんだと様子を見に来たところでようやく父親の妄想は頭を抜けた。はっとした。
 そこからは何回も、父親が突然の暴力を伴って現れては、子供に襲い掛かろうとした。愛すべき我が子に、妄想は無情にも拳を振り上げた。それを何故かプラムマンはいつもただ眺めているだけで、体が固まって止める事が出来なかった。父親の暴力が自分の中に入って、根付いているのだと認めるのに時間が掛かった。妻に相談するには、まだ若かった。自分は普通にまっとうに暮らすのだという矜持と気負いが、若いプラムマンに告白や相談といった手段を避けさせた。己だけで乗り越えようとした。その結果、離婚を決意したのはまだ子供がつかまり立ちをした時ぐらいだ。養育費に慰謝料に、できるものは何でも分け与えた。それが父親と違う点だと自分に言い聞かせつつ、父親を追い出せない自分が歯がゆく悔しかった。妻は聡明で、事情は離さなかったが何も言わなかった。あの時妻に泣きながらでも告白していたら、きっと違った未来があったかもしれないがもう後の祭りである。軍部で厳しい規律を嫌ってか、父親は仕事をしている時には出なかったから、仕事に打ち込むことが出来た。得た経験のうちで、父親を捨てることも出来た。ただ若い自分にはそれが出来なかった。今振り返ってもそう考える。だが今となるとたまに、子供の頃の自分が出てくるようになった。父親に殴られることを恐れ、部屋の隅で縮こまっていた少年である。人生の折り返しになり、ようやく過去の時分と向き合うことが出来た証拠だろう。少年はよく、肌にすがりつくことをした。特に肌を重ねるようになったサタケには、特段甘えている。
 サタケは自分とは違う肌だ。生まれる前から祝福を受け、愛を紡いだ絹がその身をくるんで不自由なく健やかに育ってきた肌である。人が金を稼いで得ることの出来ないものの一つに環境というものがある。非力な子供が生まれてくるとき、己の力ではどうにもならない物だ。生まれて来る環境は運である。サタケはその運の良さを肌にまとって、視線に気恥ずかしそうに、こちらがさする指をくすぐったそうに身をよじっている。ゆるやかな愛撫をしているのに、突然胸の上にプラムマンの頭が乗って、サタケは驚いて首を伸ばした。胸元にのしかかり、甘えているようである。灰色の髪をサタケは撫でてやった。
 「君はたまに子供みたいなことをするな」
 「嫌か?」
 「いいや。嬉しいよ」
 サタケの声は笑っている。幼き子供が満足を抱いたのか、少しずつ出て来る頻度が薄れているのを最近感じている。こうして人は過去と決別し、未来を歩んでいくのだ。現実と過去がもう少し繋がってくれたのなら、未来を与えてくれたこの肌の主を、サタケの左手に枷のようなものを嵌めてもいいだろうかと暢気に考える。彼が受け入れてくれるかは別として、いや受け入れてくれなくてもいいのだ。自分がそうしたいと考えるのだから。サタケの心音に耳を澄ます。
 「きれいだ」
 まごう事なき本音だった。
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