旗主ワンドロ:下がらない熱
風邪をひいた。
インフルエンザなどではないが、昨日の夜から寒気が発生し午前中のうちに受診したところ「風邪だね」と言われた。誰か早く風邪の治療薬を作ってくれ、即効性のやつ。
結局フラフラになりながら帰宅後、昼も食べずベッドで横になっている。あまりにもだるいし辛いし鼻も詰まって朦朧とするしで、ぜえぜえしながらもどうにかうとうとできていた。
……のだが、先程から階下がバタバタと騒がしいような気がする。弟が帰ってきたのかと思ったが複数人の声がするから、また友人を連れてきやがったのだろう。変なイベントが起きなければいいが、今の俺はここから動くことができない。頭痛ぇ……。
とにかく寝ようそれしかないと覚悟を決めていたのだが、カチャリと静かに部屋の扉が開いた。目を開けるのも億劫だったし、そもそも静かに俺の部屋に来た時点で高確率で母親だろう。あるとしたら……あのロン毛小僧とのイベントぐらいだが……そもそも何かが起きるのを相手できるほど体調がよくねぇんだわ……。
誰かの気配が俺の隣にくる。ことりと軽いものを置く音がした。そのまま出ていかないので、そっと薄目を開けるとまずキラキラした効果が見える。ほうらやっぱり旗野龍二だふざけんなよ。フラグを立てるにもTPOというものが、と文句を言おうともう少し目を見開けばこちらを心配そうな顔で覗き込んでいる色素の薄い髪を持った美形の顔、が──
「うぇ!?」
そこにいたのは、東條くんだった。は? なんでだ? 俺は君とのフラグなんて立てた覚えはないし、そもそも君は綾人とのカップルだっただろうが。ちゃんと成立しているのを俺は知っているんだぞ。なんだ今更俺の方にもフラグを立てようっていうのかふざけんな。
「なん、で、とーじょ、くん」
「お兄さん風邪ひどいって聞いて。水と薬を持ってきたんですけど。あと差し入れのプリンです」
いやせめて綾人にやらせろよ……ほんとうに、君とのフラグなんて絶対にごめんだ。大体この状況で俺の部屋に来るなら、あの黒髪小僧の方だろう。あいつは何やってんだ、さらにでかいフラグになるんじゃないだろうな。
「ゲ、ホゴホッ。はたのくん、は」
「すみません。旗野もいるんですけど」
いるならなんでお前が来ない。これ以上弟の周りをややこしくしたくないというか、弟周りに俺を巻き込むのはやめろ! その気がなくても、弟の誤解〜俺に嫉妬とか絶対にめんどくさいやめてくれ。それならすでにフラグが立ってしまっている黒髪告白野郎のほうがマシである。
「なんで、はたのくんじゃないの」
「は、はい。すぐ呼んできますね」
ごかいされないようにとうじょうくんはもどってほしい。
弟は、たぶん、と言うか間違いなく、俺にだって嫉妬するんだ。あいつは感情が豊かというか良くも悪くも相手を大事にするタイプだから……な……。
パタン、と遠くに扉の閉じる音を聞く。ああよかった、弟のところへ戻ってくれたようである。これで綾人に「お前と東條ってどういう関係なんだよ!?」とかキレられるのは避けられる。それだけはやめてくれ最悪だ。
再び思考がふわふわしてきた。眠くはないが、起きていられるほどの体調ではないというのが正しいところだ。今日いっぱい寝て過ごせば明日は元気になれるだろうか。しかしどこで風邪なんてもらったんだろう、一昨日うっかり真正面から幽霊とか見ちまったせいかな、クソ……。
だるさに身を任せながらとろとろ思考を煮詰めていると、再び扉が開く音がした。まっすぐにベッドの横にやってきたその気配を確かめるために、俺は目を開けた。黒髪が揺れていたので、念の為引っ張って確かめた。うん、触れるな。幽霊じゃない。
「っ、あ、あのっ」
顔を真っ赤にしながら俺の前にいたのは、正真正銘の生きている旗野龍二だった。そう、君が来るべきだよな。そんな心配そうな顔をしなくても、この世界で風邪如きで死ぬことはない。
「やっぱ、はたのくんだ。と、じょくん、でびっくりした」
無事にルートは修正できたようである。すぐに戻って別の同級生が俺の部屋に向かったとなれば、弟も誤解の余地などあるまい。ああよかった。
安堵しながら指をさらさらすり抜ける黒髪をもう一度軽く引っ張る。指通りが良くて、気持ちがいい。
何度か髪をすいていれば、髪の持ち主が声を発した。
「東條の方が良かったっスか」
「んなわけ、ないじゃん。はたのくんだけでいいよ」
これ以上弟の同級生とフラグなんて立ってたまるか。俺は君一人で手一杯だ。そう思いながら手を離せば、名前を呼ばれたので呼んだやつの顔をみる。切長の目をどうしてだか潤ませて、唇を震わせていた。
「……っ、す、好きです!」
しってる。だから来ないのが不思議だっただけだ。
俺の目の前によくわからん花びらがひらひら飛び散っていく。なんだこれ綺麗だなと手を伸ばしたけれど、幻だったらしくて掴めなかった。幽霊じゃないからいいか。
さまよっている俺の手を、冷たいなにかが掴む。気持ちいい。
「大丈夫っスか」
「つめたいねえ」
「あっ、タオル。タオル持ってきたんで!」
手が離れてしまう。せっかく冷たくて気持ちよかったのに。そう思っていたら額にもっと冷たいものがあてられた。ああ〜……最高……。
「っていうかすげえ熱……熱冷まし飲まねぇと」
体をろくに起こせないのでそれは無理だ。寝れば治る。己の回復力を信じながら俺は目を閉じた。額に乗せられたものから染み込んでくる冷たさが心地よい。さっきの冷たいものとも合わせたらたぶんもっと、いいだろう。寝れる気がする。
手をなんとか持ち上げて、先ほどの冷たかったものを半ば無意識に探す。布団はややひんやりするけどそれほどじゃなくて、もっと違うもので、と揺らしていたら同じ感触のものが手を掴んできた。そう、これ、これだな。
逃さぬように握って、俺は今度こそ体力の限界もあり眠りへと落ちていった。
***
すうっと意識が浮上する。だるい。背中に汗をびっしょりとかいている。シーツはひんやりと感じるが、頭痛や寒気はもうない。熱が下がったと理解して、俺はとりあえず安心した。拗らせて入院なんてパターンはごめん被る。
しかし喉が乾いて痛い。何か飲もう、そういや水を持ってきたとかなんとか記憶にあるんだが……と思いながら起きあがろうとして、己の片手が何かを握っているのに気がついた。そうっと握り直す。温かくて、柔らかくて、されどぬいぐるみのような柔らかさではなく肉のような……骨っぽさも少々感じる……ちょっと湿り気もあるこれは……
現実逃避のために再び眠りたくなったが、眠気はもう彼方へと飛んでいる。恐る恐る布団をまくってその下にあった現実を見つめる。
俺の手が、誰かの手を、掴んでいた。
というか繋いでいた。そして誰かとか考えるまでもなく、俺の隣に手の持ち主はいた。部屋の床に座った状態で、ベッドにうつ伏せになってくうくう寝息を立てている。顔は突っ伏しているから見えないが、明らかに男の手であることと、彼の顔を隠しているのがサラサラの黒髪であることから相手が誰かは確定的であった。
「…………うっそだろ……」
風邪を引いた、寝込んでいた、そこでこの小僧がきたのもなんとなくだが覚えている。しかし何がどうなって手を繋いでここで寝ているんだ。どういうフラグを立ててしまったんだ俺は。
ひとまず何も知らない顔で起こすために、そっと手を引き抜こうとしたものの、ぎゅっと彼の手に掴まれる。目を覚ましたのかと思って一気に心拍数が上がったが、ふわふわした声で俺の名前を呼んだだけだった。
「……」
もう一度手を引こうとしたが先ほどより強く握られてしまっている。こういう罠があったよな……と思いながら、人の手を握りつつも本人はまだ夢の中らしい小僧の頭を突いてやったが起きる気配はなく、黒髪がさらと揺れただけである。
なおさら腹が立って勝手に長い横髪を耳にかけてやった。現れた横顔はばかみたいに整っている。赤くない顔を初めて見た気がするな。くっそ、早く起きろ。
しかし仮にも看病をしてくれた相手の頭を叩くのも気が引けるし、どうすべきか──と悩みつつ手は適当に前髪も流して横顔をあらわにする遊びをしていると、さすがに眩しかったのかんん……とうめいて瞼がぴくりと動く。そうだそのまま起きろ。それにしても腹立つ長さのまつ毛だな。イケメンめ。
ふわ、とその長いまつ毛が動く。キラキラ光っている瞳がこちらへ向けられた。掠れた声が静かに響く。
「おきたんすか……ねてなきゃだめすよ……」
それだけ言うと、きゅっきゅと俺の手を握り直してすうっとまた眠りに沈んでいった。
「……………いや、おきろ、よ」
ドクドクと太鼓を叩くように耳の奥から響く。いきなり起こして人を驚かせた上に、また眠るとか何考えてんだこいつは。
しかし先ほどより強く手を握られてしまったようで、俺の手がうまく離せない。まだしっかりと力が入らないのは、さっきまで高熱で寝込んでいたせいだろう。枕の上に頭を横たえて、俺は再び上がってきたと思しき熱を覚ましたくて布地に顔を擦り付けたが、一向に下がる様子はなかった。まだ、風邪は治らないらしい。くそ。