イーラの鉄槌が、空中に投げ出された。鉄扇の形をしたそれは重力を無視して空を切り、回りながらある場所目掛けてへと飛び去って行く。常人ならざるもの、まるで天災のように飛んでいく鉄の塊をただ眺めることしかできなかった。その軌道の先に、スレッジハンマーの機体があったとしても。誰も手を出すことは出来なかった。ああ、という感嘆のような言葉が通信間際に聞こえて、それからは衝突、次いで爆発。唖然としながら見上げる人類に、イーラは戻って来る鉄扇を悠々と受け止める。
「邪魔なんだよねぇ、なんだか知らないけどさ。安全圏から悠々と戦場を眺めてて、蠅みたいに飛び回って」
「貴様ァ―!」
誰が咆哮したのかは分からないほど、人類の怒りは武器の弾薬へと変わり、その戦いの火蓋が落ちた。一足先に交戦していたブレイバーンとイサミは、その様を呆然と眺めて、そのうちにハンドルをきつく握りしめる。
「スズナギ二尉…」
「落ち着くんだイサミ。冷静さを欠いては」
そう言いながらもブレイバーンの声音には少々の怒りが滲んでいる。ポーパルチープム、セグニティスとの戦況が済み、残るはイーラのみだ。イーラとの交戦が先になったところで、戦艦が間に合ったのだがその中でイーラからの宣戦布告ともいえる行動である。成す術なく地面に落ちていく機体を見ながら、中にいるであろう人間の燃え盛る様を思い浮かべてイサミはぐっと奥歯を噛み締める。
「くそ、くそぉ!」
「各TS部隊、交戦の許可を出す。主砲準備!」
「この野郎、やってくれたな!」
怒声が飛び交う中で、銃弾と火薬が鉄槌のようにイーラを目掛けて襲う。だがいつぞやのスペルビア同様、ふんと鉄扇で煙を払いのけてしまって呟いた。
「つまんないな。やっぱり僕の願いを叶えてくれるのはブレイバーンだけみたいだね…」
「くそぉ!」
イサミの激情が強く握りしめるほどにメーターに貯められる。だが勇気というよりも、それは憤怒であろう。ゲージが全て溜まらずにいる。
「ブレイブ、斬!」
剣を構え、斬りつける。イーラは斬撃を受け止めるが、その背後からミサイルが立て続けに発砲される。爆発が起きるがシールドに阻まれた。巨大な攻撃力でなければ攻撃が通らないだろう。分かっていることだが、スペルビアに攻撃が通った実績がある。シェリーは大型の砲弾に照準を合わせたがイーラは揺らがない。のし、のしとゆっくりとTS部隊に足を運んできた。ブレイバーンを背にしながらも余裕のある態度である。イーラはブレイバーンの望みよりも、周囲の人類が戦いをしらけさせるものと認定したようだ。
「邪魔だなあ」
「待て、待てやめろ」
イサミが慌ててイーラの背から追い掛けるものの、イーラの投げた鉄扇の方が早かった。隊列を崩し、逃げるように身をよじったもののそれよりも先に。
「うわあああああ!」
「みんな!」
ざざざ、ざ、と無線が切れる音がひっきりなしに続いた。
足元を負傷したTSは自立歩行を出来ずに地に突っ伏していた。その追撃が機体を負傷したのだろう、パイロットにも負担が掛かったのか頭部を切ったのか血がどこからか噴き出している。地面を這うように飛び出した時、ずきりとした痛みが走った。後遺症が残るかもしれない。激しい裂傷を受け、腹部にも衝突があったのか浮遊感がある。叶うのなら何かを吐き出すかもしれない。だがその嘔吐感を無視し、なんとかはいずり出す。TSが動けなければこの機体に留まっていたら危険である。戦場に身一つであるが、なんとか這いずり出す。使える機体があるかもしれない。戦艦に戻れば武器もある。血が腹に溜まる感覚に苛まされながら、サタケは歩き出した。そこに広がるのは焼け野原だった。散り散りになったTSが至る所で倒れている。空軍、陸軍による人類の武力が無惨にも壊れている。大きく息を吐いた。そうだ。戦局は混乱していたが、ブレイバーンはどうなったのか。サタケが最後に機関銃を放ったところで、記憶がとぎれとぎれである。イーラはこの世の全てに怒りを向けてきた。その憤怒は地上を燃やし尽くし、武力を徹底的に叩きのめした。飛行機が潰され、TSが潰され、戦車が潰され、人気が無い。無線が入って来た。おそらく空母からであろう。
「誰か、通信可能な者は傍受せよ」
「ダイダラ1。機体の負傷により現在地上へ」
「良かった。ブレイバーンは」
時は遡る。蹂躙しつくす前にイーラへブレイバーンは向かって行った。その怒りに満ちた剣筋は多少乱れ、ほぼ拮抗していたといって差し支えない。最後には、ブレイバーンの横っ腹に鉄扇が食い込み、衝撃を受けたイサミをブレイバーンは排出した。最後には高笑いをするイーラに向かって、ブレイバーンが振り上げた剣は憤怒に充ちていたものであった。憤怒にまみれたブレイバーンを見て満足したのか、イーラは斬られて四散する。
「あはははははぁ!」
その笑いが響き渡った時、人類は勝利した。だがブレイバーンは片膝を付いてしまった。イサミは衝撃で体が潰れている。ブレイブ1に通信を試みるが、誰も応答せず。サタケがようやく這い出した時は、静かな地平線だけが広がっていた。人の声も聞こえない。
「ブレイブ1との交信が途絶えた。アオ三尉の安否報告を」
「ダイダラ1、了解」
地面を踏み出し、歩き出す。ようやく得た平穏である、人類にもたらされた平穏だ。だがここはあまりにも静かである。あるのは静寂と炎が燃える音だけだ。じゃり、じゃりとブーツが砂利を踏む。少しずつ少しずつ、残骸の間を歩いていく。
「ダイダラ1。ブレイバーンの機体確認。アオ三尉は…確認。視認出来る」
「ダイダラ1、了解。アオ三尉の安否は」
「………」
「分かった。…サタケ二佐、アオ三尉の回収の前にクラーケンに同乗しているカワダ副司令官、ハイデマリー少将と連絡が付かない。確認してくれ」
「了解」
サタケは重い足取りでゆっくりと歩き出す。目視できるほどに、投げ出されたイサミの体は容易に想像が着くものだった。クラーケンはほどなくして見つかった。装甲がへしゃげている。上から鉄扇を叩きつけられたように潰れている。サタケは中に身を滑らせた。この様子では安否は確認出来ないだろうが、声を掛けるまでは分からない。虫の息であるのなら救助せねばならない。カワダとハイデマリーの名を呼んだ、運転席にはプラムマンがいる筈だ。ひしゃげた装甲が、運転席に食い込んで天井がまるでプラムマンの首を挟むように、あるいは首を潰したように、運転席にだらりと手が垂れている。その奥にある主砲に付いていたカワダとハイデマリーが、無事であろうはずもない。サタケは奥に向かった。主砲も同じく天井がひしゃげて、まるで折り紙のように鉄板が食い込んで二人の体を床と天井で挟んでいる。主砲が爆発しなかったのは幸いだが、血しぶきがあるはずなのにそこには何も見えなかった。人は潰された時、思ったよりも血は外に吹き出さないのかもしれない。かろうじて見える手首を手に取り、生存反応が無い事を確認する。二人分。確認できないことを報告しなければならない。そのままよろよろとクラーケンを出ようとして、運転席がふと目に入る。だらりと垂れる日焼けした腕。その手がきれいな形を保ったまま、ただそこに垂れている。唐突に胃の奥からせり上げる物があった。血ではない。胃液ではない。感情である。その手にグローブ越しで触れた時に、弾けるように頭の中を飛び散って涙がぼたぼたと零れ落ちた。
「ダイダラ1」
嗚咽が込み上げて、応答が出来ない。失った世界を見やった。それが悲しいのではない。生き残ったことが悲しいのだ。子供のように泣く声に混じって、ルルの泣き叫ぶ声が聞こえて来た。
はっとサタケは目を開ける。ここは軍用車の中だ。場所はハワイの海岸の上の車道。時刻は夕暮れである。眩しい夕日に目を細めて、サタケはあらかじめ定められたセリフのように呟いた。
「本当に、宇宙人だと思うか?」
同じように隣の席からプラムマンの声がする。
「なんであろうと関係ありません、敵であれば倒す。それだけです」
「……」
どうしたと言いたげな目線が寄越されて来る。決められた文言をただ言うだけだ。彼らには同じ時空をループしている自覚がある。サタケが決められた文言は口にせず、座席にもたれかかるようにして息を吐いた。
「君が死ぬ運命を見た」
「それは軍人らしい最期でしたか」
「不本意かもしれないが、戦場ではあった」
「それならば本望ですな」
サタケは眉をひそめる。生き残った身になって欲しいと身に迫ったからだ。
「地獄のような光景だったよ」
「天国のような戦場は見た事がありませんな」
「デスドライヴスと人類は相討ちになった。それが」
「我々の役目です。軍人として世の平和を取り戻すために戦う。それだけです」
「多大な犠牲があっても?」
「そうです」
軍人であればその命を消費して、それが持つべき当然の覚悟であろう。だが目前にした戦場に込み上げるものは血か涙か。すべて吐き出したかもしれない。
「忘れることです。現実では貴方は生き残り、今貴方はハワイにいる」
「…そうだな」
この男に、この嘔吐したくなるような絶望は分からないのかもしれない。それが実戦経験の差だと言われればそれまでである。現実の重みに内臓が負けて吐き出し、えづく。この苦しみはきっと自分にしか分からないのだと結論付けて、サタケは息を吐く。己の心は己だけの物だ。他人に分かることはない。そこに寂しさを覚えるほど、人生経験は浅くは無い。ただ軍人としてなめ合える傷もあるのだろうが、見てもいない物を見ろと言うのは絵空事だ。
「貴方は生き残りましたか、前回では」
「そうだな」
「それは良かった。全滅は避けられれば意味のある物でしたでしょう」
確かに意味はあっただろう。世界は平和になったのだから。その代わりに植え付けられた大きな傷を、神のようなものが気に食わないのか時を巻き戻している。何度も見る繰り返される時が、その証拠だ。
「君らしいな、上級曹長」
ようやく決められた言葉を吐いたので、プラムマンの空気が少し緩んだ気がした。彼もこの時空の輪の中において、自然と身を潜めているのかもしれない。この世は生きるも地獄、死ぬも地獄だ。ここで彼ら軍人が倒れることは許されない。
「今回の事をどう考えている」
「要点が見せませんな」
「ATFに所属し、私の指揮下に付いたことだ。君のように優秀な男なら、実戦経験豊富な指揮官の元につきたいと思うだろう」
「それも関係ありません、二佐殿」
若干の間。
「前の指揮官はそこそこ優秀でしたが、運が無かったから死んだ。貴方がそうでないことを願っています」
「…それを聞いて安心したよ」
それだけ口にして、彼らの時はいつもの通りだ。サタケははあと息を吐く。
「貴方が生き残れば、私は本望でしょうな」
それは予定にないセリフだ。プラムマンを見やると、彼は穏やかな顔をしていた。ここで絆されるのも地獄、絆されないのも地獄である。進めど進まねど。この地獄のお供にその手を取って。