斎宮宗は腕組みをし、目の前の黒い四角い機械をうろんげに見つめた。手のひらに収まるほどの小ささである、小さなレンズがついていて、それを掲げて見せた手の持ち主である影片みかがちょっと眉をさげ伺うように宗を見上げた。
「んと……ES主催の番組あるやん? 今度の、ほら」
「ああ、あのくだらない」
「くだらないって……」
ばっさり切って捨てた言葉を受け、みかはもごもごと口を動かした。大方、雇い主の意向を真っ向から否定するのもためらわれ、そもそも他人にノーと言うのが苦手な子ではあるのでそういった遠慮もあり、しかしながら結局のところ宗と同意見なのだろうことも透けて見える。この子のことはおおむね理解しているつもりだ。彼は結局のところ、控えめに見えるくせにやたらと負けず嫌いで頑固だ。
「君もそう思っているくせに」
だからあえてそう言ってやる。みかは、小さく口をとがらせ観念したようにため息をついた。
「まあ……おれのなかでいちばんはお師さんの芸術やし」
「当然なのだよ。それで? その番組に出ないことは了承済みだろう?」
企画が回ってきた時真っ先に【出演辞退】を叩きつけたのを相手も隣で見ていたはずだ。だからそこに異論はないと思っているのだが。みかの手の中の機械は小型のビデオカメラのようだった。
「うん、ほんでな、出ないかわりに、定点カメラでおれらの生活を一日撮影しておいてほしいんやって」
「……はあ?」
定点カメラ? 生活?
意味が分からない。不信感もあらわに聞き返すよりないのだが、そのカメラを手のひらにのせたままみかは小首をかしげて見せた。さながら料理をサーブするウェイトレスのようなやり方だが、そういえばこの子はアイス屋などでバイトもしていたな、と懐かしく思い出した。
「番組におれらは出演しない。それは了解されたけど、それだと不公平になるやろって」
「僕らが拒否したのだからこちらからは文句をいうべくもないけれど?」
「おれらのファンにって意味やと思うけど」
なんだか言いくるめられている気がしてきて面白くない。だがみかを睨むのも違う気がして、宗はただじっとその機械を睨んだ。無機質なレンズが宗を見つめ返している。
「おれもどないしよ思うて……でも、お師さんの生活、ちょっと見てみたいっていうファンの気持ちもわかるし」
「僕は見世物じゃないのだけれど」
「でもお師さんおうちのなかでもきっちりしてていっつも完璧やから、見られて困るものもないやん?」
「当然なのだよ!」
売り言葉に買い言葉でそう答えてしまって、ほんなら決まりやなぁ、とにっこり笑われた。よくわからないが、まあ、いいだろう。たかだか一日、いや睡眠時間などを覗けば半日程度かもしれない。特別なことをする必要もない。そう考え、そのままの流れで撮影は次の週末、ちょうどふたりがオフの日ということで決まった。
「ほんなら、いくで~」
こちらに声をかけてから、みかが機械のスイッチをいれる。レンズの横の小さなランプが赤く光り、録画が始まったらしいことがわかった。
「おこんにちはぁ。Valkyrieの影片みかです、今日はValkyrieのパリでの日常をお届けするなぁ」
さっそくカメラに向かってしゃべりだした後ろ姿を眺めながら、宗はいれておいた紅茶を一口飲む。相談の末、リビングの一角にカメラを設置することにした。ソファとテーブル、観葉植物や調度品が映り込んでも雑多に見えず、かつ気に入っているシーンを映し出すために最適な場所を探すのに昨日はそれなりに時間を使った。みかは「どこでもええやん」などと言っていたが、そんなわけにはいかない。斎宮宗はいつでも完璧であらねばなるまい。それは自負であり、誇りだ。
「ここはお師さんの部屋です~おれがパリに来るときはここにお世話になっとるんよ。はい、お師さん~手振ってや~」
みかが大げさにカメラの前から体をずらす。宗はちらりとレンズを見て、軽く会釈して見せた。その後は視線をそらし足を組み替える。
「んあ~お師さんは今日もごっつきれいやねえ。んと、おれらがふつうに過ごしてるのを撮ってほしいっちゅうことなんで、おれもカメラあんまり気にしないようにします。できるか自信ないけどがんばるなぁ」
そもそも日常を映すだけの定点カメラというのならこんなトークなどいらないのではないだろうか。映像もまさかすべて使われることもないだろう。どうせ番組の隙間に少し流れるだけか。大幅の時間はメインの企画にでるアイドルたちに使われるはずで、はたして自分たちのファンがこの番組を見るのかどうかも定かではない。いや、見ないだろう。自分なら見ない。
(影片の日常が見られる、と)
「お師さん今日はどういう予定?」
カメラから離れ、ソファの方に歩み寄ってきたみかが当たり前のように隣に腰を下ろす。二人掛けのソファで膝がぶつかりそうな距離から覗き込まれ、宗はつとめてそっけなく答えた。
「久しぶりのオフだからね。家事はあらかた終わらせたから、読めていなかった本を読もうかと思う。お昼はパスタでも作ろうか」
「お師さんのごはん、うれしい。ほんならおれもここで作業してもええ?」
「どうぞご自由に」
だいたい部屋に引っ込んでいたらカメラに映らないだろう。宗が頷くとみかはいそいそと立ち上がり一度部屋から出ていった。部屋が静かになる。宗が紅茶を飲み終えるころに、裁縫箱とぬいぐるみたちを腕一杯にかかえてみかがリビングに戻ってきた。
「んふふ、繕ってあげたいとこいくつかあるんよなあ。久しぶりに着せ替えしてあげたい子も居るし」
どうやら昼までの時間をぬいぐるみの補修やアレンジに使うことにしたらしい。テーブルに物を広げ始めるのを眺めながら、宗も用意しておいた画集を膝の上で開いた。
ふたりでいるとよくしゃべるのはみかの方で、宗は気が向いたら延々と話し、口を開きたくない時はいっさい話さない。互いに黙り込んでも特に気にすることもなく、自分の作業にそれぞれ没頭することもある。
「んん、リボンがええやろか……それともこっちのボタン? うーん」
みかはぶつぶつと独り言を言いながらうさぎのぬいぐるみをいじくりまわしていた。ちらりと見ると先日新たに家族に加えた子のようだった。あいかわらずくたびれたものが好きらしく、ふたりで蚤の市に出向くとつい買いすぎてしまう。
「なあなあ、お師さんはどう思う?」
そう聞かれて、宗はしばしうさぎを眺める。くすんだアイボリーが基調の、彼の好みにしてはずいぶんおとなしいデザインだった。耳がとれかかっていたけれど先ほど縫い直していた。けれどほつれて薄くなった布は耐久性に不安が残る。
「僕なら大きめのリボンをあてるね。そうだね――この色がいい」
リボンやビーズ、ボタンなどが雑多に詰まった籠を軽くかきまぜ深い緑色の太めのリボンを取り出す。使いかけらしく長さがすこし短いが、どうにかなるだろう。
みかは、ぱっと目を輝かせた。
「うん! 素敵や!」
いそいそとリボンを受け取り、耳の付け根に巻き付ける。慎重にバランスを整えながら、「んあ、ここのまんなかにこのきらきらのボタンつけたらかわいいんやない?」と嬉しそうに手を動かしていた。宗はみかの顔をしばし眺め、知らず口元を緩めた。
前から古いものを補修するのが好きな子ではあったが、ここ最近は前よりずっと創作に意欲的のようだった。彼なりの芸術の発露なのか、仕事以外の気分転換としての手慰みなのか、どちらでもあるのかもしれない。何かを作るとき気分転換に他の物を作るというのは宗にも覚えのある感情だ。
「君、意外と僕に似てきたよね」
頬杖をつきつい微笑みながらそうつぶやいた。みかは、ぱっと顔をあげ目を見開く。
「んえ!? ほんな、恐れ多いわ!」
「……なんでそんなにいやそうな顔をするのだね?」
あからさまに首をぶんぶん振られて拒否されるといくらなんでも傷つくのだが。
けれどみかは主張を翻そうとはせず「おれなんてまだまだやもん」との一点張りだった。もそもそとボタンをつけ、玉止めしてきゅっと針に通した糸をひく。
「まあ……お師さんみたいになりたいなあっていっつも思っとるけど」
「ふん、それならせいぜいがんばりたまえ」
宗はため息をついて立ち上がった。みかは首をめぐらせこちらを追いかける。
「あ、もうご飯の準備?」
「そう。君はきりのいいところまでやっていたらいい」
「おれも、おれも手伝う!」
「だからいいのに」
キッチンに向かって歩きながら、ふとカメラの存在を思い出した。ちらりとそちらを振り向けば最初と変わらない場所でレンズがソファを映し出している。背中にまとわりついてきたみかにわかるように右手でカメラを指さして見せると、あ、とみかが足をそちらに向けた。
「えーっと、これからお昼ごはんつくりまーす。定点カメラやけどだれもうつってなかったら寂しいかな? これキッチンにもっていってもええ?」
「不衛生にならない場所におくように」
「はぁい。ほんなら、みんなに料理するお師さんを見てもらいまーす! お師さんのおまんますっごくおいしいんやで! おれ、昔はぜんぜん食べられへんかったんやけどお師さんが愛情こめておまんま作ってくれたおかげでいまはたっくさん食べられるし体重もちょっと増えました」
「喧しい」
「んあ、ごめんなぁ」
みかはキッチンに入ってからしばらくカメラをもってうろうろしている。宗は構わず鍋をとりだし水を注いだ。簡単なものでいいだろう、とてきぱき動いていると、みかもようやくこちらを手伝うつもりになったらしい。「なにかやる? 野菜切る?」と冷蔵庫の前に立った。
「ニンニクをスライスして。ベーコンもいれようか。あとサラダをつくりたいからレタスとトマトと――好きな野菜いれていいよ」
「はぁい」
ぽつぽつ会話をしながらさほど広くないキッチンで動き回る。エプロンをするように、そこは狭いからそっちの作業台を使って、水はしっかり切る、などいちいち細かく口を出してもみかは素直に返事をして従った。
「おれ、最近料理もがんばってるんよ~まだ簡単なものしか作れへんけど。でもお師さんはなーんでも作れるんやで! レシピ本みて新しい料理作ってくれることもあるし、煮込み料理とか大変そうなやつもやってくれるんよなあ」
「君、喋ってるばかりならそこに座ってたら」
「んあ~ごめんなさい」
別に怒ったわけではなく、休んでいたらいい、くらいのつもりで云ったのにみかは慌てて飛んでくる。こういうところは昔から変わらない、落ち着きがなく宗の言葉に一喜一憂して笑って泣いて怒ってせわしない子だ。
振り向けば、ちょうどみかが背後に立っていた。ぱ、と目があって、みかがなぜか照れくさそうに笑った。
「なに」
一応聞いてみると、みかは恥ずかしそうに、んふふ、と笑う。
「なんかこうしとると新婚さんみたいやない?」
「馬鹿なことをいうな」
「んふふ~いまこそダーリンって呼ぶタイミングやない?」
「ば・か」
付き合っていられない――そもそもカメラがあるのを忘れていないだろうかこの子は? と思ったけれど、あの東北でのSSのときも当たり前に観察されていたわけで、どこであろうとこの子はこんなものなのかもしれない。
皿にふたりぶんのパスタをよそいながら「ほら、食べるよ」と促すと彼はぱっと飲み物を取り出した。言わなくても伝わるのは、まあ楽である。互いのことを理解するのに、以前であれば人形師と人形であるから、というとらえ方と集中と努力を必要としていたが、結局それは人間同士でもかわらないのだった。
一休みしてから午後はふたたびリビングへ戻った。宗は準備していた本を読み終えてしまったので一度作業部屋に向かう。みかは次の舞台の衣装案や背景の装置のアイディアを出すことにしたらしい。まだ具体的な形はきまっておらず、あいまいなイメージを膨らませていく段階だ。なかなか言葉にしにくい部分であって、彼はいまノートになにやら図や言葉を書きつけている。
刺繍のためのあれこれを抱えリビングに戻ってきた宗は、さきほどと全く同じ姿勢でソファに座っているみかを見つける。膝をかかえて踵をソファの座面にのせ、背中を丸め小さくなってなにかを書きつけている姿はさながら繭に籠るようだった。さっきまでのおしゃべりはなりをひそめ、ひたすら右手を動かしていた。
サイドテーブルに一式を置いてもみかはこちらを振り向きもしない。宗は黙ってキッチンに入り、ケトルにたっぷり水をいれ火にかけた。ティーポットを棚から取り出し紅茶の葉を選んで、スケールに乗せきっちりと茶葉を計測する。ティーカップは最近気に入って使っている小ぶりの薔薇柄をふたつ並べた。無論ソーサーもスプーンもそえて。
家であろうと提供する相手が半同居人のような相手であろうと、紅茶を飲むということはその雰囲気ごと味わうことに等しい。
すべてをお盆にのせ華奢な砂時計をひっくり返し、静かにリビングに戻る。みかは先ほどとまったく変わらない姿勢でノートにむかっている。首や腰をいためないだろうか、と顔を顰めてしまった。
「お茶をいれたよ」
「んー」
お盆ごとテーブルに乗せても彼は上の空の返事だ。目はノートからそらさず、右手もぎゅっとペンを握りしめている。あきれた気分で、宗はソファの前、彼のすぐ目の前に立ってみる。
「影片、書きものをするときは姿勢よくしなさい」
「んんー」
「影片くぅん? 僕を無視するなんていい度胸だね」
「んあー」
耳に入っているのだろうが、そして返事はしているがまったくもって誠実ではない。さすがにむっとして、宗はその顔を覗き込むように背中を曲げる。
「影片、こら」
「ん」
宗の影に、小さくまとまったその子はすっぽりとおさまってしまう。俯いているのでかわいらしい旋毛がのぞき、あちこち跳ねたやわらかそうな黒髪とその下から覗く白い鼻先がちょこんとあった。この角度から見るのは新鮮に思えて、けれどいい加減こちらの声を聴いてもらわねばなるまい。
(僕を無視するなんて)
宗は右手を伸ばし、無遠慮にその顎先を掴んだ。軽くひきあげて、みかは抵抗も見せず顔をあげる。視線がどこかぼうっとうつろで、考え事をしているあいまいな表情のまま、あどけない顔をさらした。
宗はさらに体を屈め、軽く唇をくっつける。
「……んあ」
わずかに触れ、離れて、そのままもう一度角度をかえて。あいさつ程度の口づけをかわし、ゆっくりと顔を離すとようやく焦点があったらしいみかの瞳がぱちりと瞬きをした。
「……お師さん」
「ようやく戻ってきたのかね? あのねえ、集中するのもいいが」
「……カメラ」
「……は?」
呆然としたみかの声を、単語を、宗は頭の中で繰り返す。カメラ。カメラ?
「……あ」
思わず気の抜けた声がこぼれた。つかんだ顔をゆっくりと離すと、みかは軽く体をのりだし、宗の体幹にそっと手をそえおそるおそるというように宗の背中の向こう――カメラを置いたはずの場所に視線をやる。
「えっとぉ……いまの、撮れたんやろか?」
ほとんど音にならないひそやかさで囁かれ、宗はだが動けない。後ろを振り向けない。
「――――僕の体が影になって、いたとは思うけれど」
「ま、まあ、あとで編集してくれるよな、うん」
「誰かに見られる前に君が編集したまえ!」
咄嗟に怒鳴ってしまって、みかが「んあ~! できるかなあ!?」と叫んだ。
おしまい!
ありがとうございました~!!