レイシオとケンカをした。
 きっかけ自体は覚えていない。ほんの些細なものだったと記憶している。ミーティングの際、いつもの通り茶化しやからかいを混ぜた僕のせいかもしれないし、剣呑のバターと皮肉のジャムをたーぁっぷり塗ったレイシオの返答のせいかもしれない。咀嚼するには重たいそれらを詰め込まれていらだち、いらだったせいで煽りが出る。そこからだんだんと売り言葉に買い言葉が激しくなっていき――。
「やっぱり僕には天才様の考えは分からないや。ヌースも見る目がないんだね」
「僕には家族をはじめとした理解者がいる。君の理解も、一瞥いちべつも必要ない」
 ――そして決定的な言葉を放ってしまった。
 これはまずい。致命傷だ。彼にとっても、僕にとっても。レイシオにとって神の一瞥は、誰もが把握している爆心地である。対し、僕にとっての家族もまた、繊細すぎる話題であった。
 会議室の中に冷ややかな空気が流れる。同席している部下が可哀想になるほどだ。だというのに、頭の切り替えがままならない。それはレイシオも同じのようで、あかがねの瞳には怒りといらだちの炎が鈍くくゆっているのが見て取れた。
 そのときは会議室の予約時間がきたので、ミーティングは――ついでにケンカも――強制終了となった。
 運がいいと言うべきなのかもしれない。僕も彼も重要パーソンで、それが揃いも揃って冷静ではなかったのだから、時間を置くのは有効だろう。これもまた幸いなことに、今回の案件はまだしばらくかかる。つまり、レイシオと顔を合わせる機会もまだあるわけだ。そのときに、冷えた頭で謝ればいい。あのときはごめんね。君の大事なものだって分かっているつもりだったのに、手を突っ込んでしまった。許してほしい。――と。簡単なことだ。
「……簡単なこと、の、はずだったのになあ」
 最終目標だった商談は、レイシオの提供した資料と僕の舌鋒ぜっぽうをもって、カンパニー側の大勝利に終わった。双方、これ以上ないほどに満足できる契約を結び、握手をして、応接室を出てから、帰路についている。
 そう、帰路についている。情けないことに謝罪のタイミングを逃したまま、先ほどレイシオと別れてしまい……上記の言葉がため息とともにこぼれた。
 僕らはよくも悪くも、“大人”すぎた。次に顔を合わせたとき、レイシオは驚くほどにいつも通りだったのだ。会議室でのやり取りなどなかったかのように、当たり前に会話をし、必要なデータの解説をして、上がったアイデアに対して技術的なアドバイスと修正を施し、仕事をまっとうした。
 部下の前できちんと謝罪をして「業務提携は問題ない」という対面を保ちたかったこちらとしては、彼の態度に不自然なところがないのなら、わざわざ話題を蒸し返す必要もないだろうと判断を下す。あとで個人的に謝りにいけばいい。
 そう、考えていたのだが――。いざレイシオを前にすると、「ごめん」の三文字を絞り出すことすらかなわなかった。口を開くたびに、“彼には家族がいる”という一点が引っかかって、言葉が声に直らない。中途半端に開いた口をごまかすために笑って、仕事の確認をしたいとでまかせを放ち、レイシオの眉間にシワが寄るのを何度も見てきた。
 ――最後まで石膏像を被らなかったのが、せめてもの救いかな。
 別れる直前に見た、あかがねの瞳を思い出す。じ、とこちらを見つめる視線が怖くて、謝るなら今だと理解していたにも関わらず、「それじゃあ、僕らはこれで失礼するよ。次もよろしくね、教授」と使い慣れた笑顔の表情で握手をし、あのバターとジャムを食らう前にと逃げてきた。
 おかげで、星艦せいかんまでの道を歩きながら脳内反省会が止まらない。
 ――こりゃ、いわゆるケンカ別れってヤツになるのかな。
 ちゃんと謝れなかった。彼の視線が怖くなってしまった。ひどいことを言ったという自覚がじりじり重たく胸にのしかかり、“普段のやり取り”のマニュアルを押しやってしまう。いまさら謝罪したとて、それは僕が楽になりたいからではなかろうか。彼のためではなく、自分のための謝罪になったら意味がない。じゃあ、レイシオのための謝罪って、なんだ? 思考が堂々巡りを繰り返して進まない。進まないから言葉にならない。言葉に直せないからごまかして、代わりの安易な話題に逃げる。最悪だ。
 ――ちゃんとした“ともだち”になりたかったんだけど、もう無理かな。
 取引相手じゃない。利用し合う仲でもない。敵対することや裏切りを前提としないような、そういう当たり前の“ともだち”になれるかもしれない……なんて、どこかで期待していたことを自覚する。
 こころなしか足取りが重い。左手をボトムのポケットに入れて無心で歩く。
 ビル群を抜け、帰還すべき星艦せいかんが見えてきたところで、端末が短く振動した。どうやら、メッセージを受信したらしい。ブーッ、ブーッ、と数度震えて、……静かになった。
「――……」
 少し考えてから、道の端により端末を取り出す。ホーム画面には“レイシオ教授”と表示されていた。
 なにか仕事で不備があったろうか。今日を含めてここ最近の出来事をひとつずつ思い出し並べてみる。――心当たりがない。なら、確認は早いほうがいいだろう。
 こちらの様子をうかがう部下に「少し待って」と声をかけて、メッセージアプリを立ち上げる。
 綴られていたのは仕事に関することでも、ましてや恨み言でもない。レイシオからの、謝罪文だった。
 顔を合わせると心にもないことを言いそうになるため、メッセージで失礼する。
 先日の件を謝りたい。すまなかった。
 君が僕を気にかけてくれているのは分かっている。君の気遣いや歩み寄りをすべて否定するような言い方になってしまったこと、本当に申し訳ないと思っている。
 あれから日にちも経ってしまったし、今更かもしれない、それでも、きちんと謝りたかった。
 すまなかった。
 見間違いか。それとも僕の希望を映しているのか。
 どこか信じられない気持ちで何度も文面を読み返す。――教授が、僕に、謝っている。間違いない。なぜ。僕が先に禁句を口にしたのに。
 メッセージアプリを立ち上げたことによって、既読がついたのに気がついたのだろう。追加のメッセージがぽこんっと届いた。
 やはり顔を見たい。
 今からそちらに行ってもいいだろうか。
 顔を上げる。指示を待っていた部下たちに「先にふねに戻ってて!」とだけ告げて、静止の声を振り切って来た道を戻る。
 歩きながら、レイシオへ通話をかける。彼もメッセージアプリを開いていたのだろう。すぐに繋がった。
「僕も、」
 なにか言われる前に、口を開く。
「僕もちゃんと謝りたい。からかってごめん、嫌なことだって分かってたのに、ごめんなさい。ずっと気になって、謝りたくて、でも自分が楽になりたいから謝りたいのかとか考えてたらうまく言えなくなって、それで、」
「大丈夫。聞いている。落ち着け」
「……僕も、会って謝りたい」
「ああ。ちゃんと会って話そう」
 道の先に、あのあかがねが見えた。僕と同じように端末を耳にあてている。
 あちらも僕を見つけたらしい。驚いたように目を見開いて、……ふっと表情が緩んだ。もしかしたら、僕も同じように頬が緩んでいたかもしれない。
 通話を切って、端末をポケットへ。あちらも同じように、耳から端末を外した。
 大丈夫、今度はちゃんと顔を見て話ができる。
 だって僕らふたりとも、それを望んでいるんだから。
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レイチュリ ワンライ『メッセージ』『内緒話』
初公開日: 2024年04月29日
最終更新日: 2024年04月29日
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コメント
ワンドロワンライ、開催おめでとうございます。
参加したいなあと思って。私がレイチュリと言っているのでこれはレイチュリです。
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