いつから意識していたかと問われたら、星は「はじめから」と答えるだろう。
ホテルの受付で声をかけてきたときの威圧するようなわざとらしい態度を見たときか、あるいはそのあとに「慎み深いんだね」と追加で信用ポイントを握らされて困ったときか。はたまた黄泉に疑いを差し向けようとたくさんの言葉を紡いでいたときか。──そのときにはもうすでに、友人として好ましいと思っていたのは確かだ。
軽薄で軽妙、なにを考えているのか分からない言葉たち。光のない瞳はほとんど星の額や喉元を見ていて視線は合わないし、リスクとリターンを天秤にかけて遊んでいる姿はちょっと怖くなるくらいだ。かと思えば紡ぐ言葉にごまかしはあっても嘘はなく、大胆な大立ち回りをするくせに実質的な損害を被っているのはいつも彼だけだった。
どうにもちぐはぐで、ツギハギみたいな人だ。
そう思ったら確かめたくなった。ちくちくつくった袋の中に、どんな中身が入っているのか覗きたくなった。だからピノコニーの一件が終わったあと、アベンチュリンが入院していると聞いた病院に行ったのだ。
ちょっとの緊張を深呼吸でおさえて、なるべく静かに、音をたてないように扉をあける。レースのカーテン越しに差し込む日差し。広い個室。ベッドのうえでひとり横たわり、左手を額にあてながら祈るように目を閉じているアベンチュリンがいた。左の腕には点滴の管がつながっていて、ひたり、ひたりと透明な液が落ちている。
さみしいくらい静謐で、取り出してはいけない中身を見てしまったと気付いた。動揺する。つま先が変にこわばって扉にぶつかる。かすかな音を拾ったのであろうアベンチュリンが目を開けた。扉に手をかけたまま廊下に突っ立っている星を見つけると「星核ちゃんだ。いらっしゃい」と“いつもどおり”の笑顔を浮かべてそのまま左手を振り、点滴の針が動いたらしく「いてて」……と顔をゆがめる。
多分、きっと、おそらく。あのとき、星は友人に対するものとはちょっと違う、“特別な好き”を覚えた。覚えてしまった。うまく言葉にできないけれど、あの静謐さが彼の本当なんだろうと悟り、言葉にできるくらいちゃんと知りたくなってしまった。
部屋に入って、ベッド横の安いスツールに腰掛けて「お見舞いです」とVサインをして、──初めて、アベンチュリンと目があった。その嬉しさを、よく覚えている。
だから夜中にアベンチュリンから連絡があったとき、すごく嬉しかった。
──“話したいことがあるんだ。”
──“明日、……というか朝になるかな? 列車に行ってもいいかい?”
四月一日。嘘の祝日。わざわざその日を狙ってあのアベンチュリンが話があるという。なにかしらの面白いことを用意しているのだろうと思った。彼が紡ぐ嘘はどんなものだろうとワクワクして、一緒に楽しめたらいいと願ってベッドに入った。
なのに。
「なのにさぁ……!!」
「星。泣いていていいから、せめて立ってくれ。中が見える」
「やだ!」
「……はあ」
水槽のポンプが尻の下でごぼごぼと音を立てている。わずかな段差に腰かけ、膝を抱えるようにうずくまっている星は、アーカイブ室に引きこもってからずっと泣きながら恨み言を吐いていた。
書籍の整理をしていた丹亘は涙で顔をべしょべしょにした星が駆け込んできたとき、最初こそ驚き手を止めたのだが、彼女が叫び散らす文句を聞けば聞くほどに面倒な痴話喧嘩に巻き込まれてしまった気がして、まともに相手をするだけ無駄だと判断し、今は黙々と購入したもののタイトルを確認しながら棚に戻している。一応の気遣いとしてうずくまっている星のスカートがまくれても良いように背を向けているのだが、それを“気遣い”と気付けない彼女は「無視しないでよ親友……」と情けない声をあげるので、先ほどからため息の回数ばかりが増えている。
「好きだってバレてたのかなあ。いつからバレてたんだろう。きっと釘を差されたんだよね。だって今日は嘘の祝日だよ? わざわざそんな日を狙って、……好きなだけでも迷惑だったのかな」
「知らん」
「……丹亘ぉ」
「はあ……。聞いているからそんな声を出すんじゃない」
第一、顔を合わせたこともない男の心情など、丹亘が知る由もない。それでも星の話を聞きながら適度に相槌を挟むのは、彼女自身が、己の感情を探るのに言葉を用いる性質だと知っているからだ。だから時折「そうか」とうなずき、「知らん」と突き放しながらも、騒がしくなったアーカイブ室から出ていくことはなかった。
「嘘の祝日についた嘘は、本当にならないって言うじゃん。わざわざ告白してくるってことは、“僕はずっと嫌いだよ”って言ってるのと同じじゃない?」
「どうだろうな」
「でも、そうだよね。よく考えたら私は一度、彼が死ぬのに手を貸しているわけだし……嫌われてても当然で……今までのおしゃべりも実はお情けだったりして、」
「星」振り返り、うなだれている灰色の髪を見つめながら「お前が見てきた彼は、そういう男なのか?」
星が一層小さくなった。ぎゅうぅぅときつく足を抱え込んで、小さく首を振る。何度も何度も振って「絶対、違う」とこぼした。
「なら、あまり貶めるものじゃない。お前の友人なんだろう」
「うん、そうだね。……今のは、よくない」
よくないのは、分かってるんだ。
そうつぶやいたきり、星は完全に口を閉ざした。幸いとでもいうべきか、涙は止まったようで鼻をすする音も聞こえなくなっている。
部屋は再び、水槽の駆動音で満ちる。──おかげで丹亘は、駆け足で近づいてくる聞き慣れない革靴の音を拾えた。どうやら、この痴話喧嘩から開放されるようだ。丹亘は「パムの掃除を手伝ってくる」と残してアーカイブ室を出ていった。
対して。
足音など気づきもしていない星は、彼を引き留めようととっさに立ち上がるが、声をかける間もなく扉が閉まってしまった。
──ひとりになってしまった。
先ほどまでは丹亘の指が紙をめくる音や、本棚のあいだを動く音があった。けれど今は、ポンプの駆動音が裸足の肌を伝ってのぼってくるばかり。そのせいか、余計に荒涼とした気持ちになってくる。
「私も、」掃除に混ざろうかな……。
そのためにはまず靴だ。裸足で行こうものなら、可愛くも厳しいパムに「危ないだろう!」と怒られてしまう。ただ靴を回収するためにはラウンジに行かなければいかない。アベンチュリンはもう帰っただろうか。この状態で彼と鉢合わせたくない。からかう相手がいなくなったのだから帰っただろうな。……それはそれでさみしいな。
考えがまとまらないままぺたぺたと扉の前を歩き回っていると、不意にノックがなされた。コンコンコン。丁寧に三回。ギクリと足が止まる。
列車の仲間はここが共有スペースであることを知っている。滅多なことではノックなどしない。とすると、ノックをしているのは普段列車で過ごすことのない部外者である可能性が高くて──。
「星核ちゃん、いるかい?」
──ああほらやっぱり。
アベンチュリンの声は存外穏やかだった。思いっきり引っ叩いたのにも関わらず、いつも通り……少なくとも耳に聞こえる声は軽薄で軽妙だ。ほとんど反射で「いない」と返事をすれば「ごまかすならもうちょっと方法を考えたほうがよかったね」と笑われる。
「靴を届けにきたんだ。開けてもいいかな」
「……なら、そこに置いてって」
「…………」
「そこに、靴をおいて。あとで回収するから」
「君の顔が見たい」
「私は見たくない」
扉を開けて、入ってきてくれないかな。いやだ、顔なんかみたくない。そのままどっか行ってくれ。さみしい、そこにいてほしい。会話はしたくないけど声は聞いていたい。
──最悪だ。
思考がぐちゃぐちゃに絡まっている。望んでいることはすべて言葉に直せるのに、矛盾ばかりが生じる。これはだめだ。いじわるでいやな子になっている。
頭の中が混沌としていても、体はどうにも正直だ。突然扉が開けられないように、彼の一言一呼吸を聞き逃さないように、扉を押さえつけるようにもたれかかる。瞬間、ふぅ、とかすかなため息が向こう側から聞こえた。
「ごめんね。靴は口実だ。会話の糸口にしようと思って、それで、」
「…………」
「お嬢さんは話さなくてもいい。けど、僕の声が聞こえているのなら。ノックをひとつ、返してくれないか」
あまりにも弱々しい声だったからか。あるいは珍しい弱音を聞いたからか。はたまた、病室で見つけた静謐と同じものを感じたからか。
少し迷って、星は軽く“こんっ”と金属を叩く。「ありがとう」と返ってきた声は、羽が落ちる音よりも頼りないものだった。
「信じてもらえないかもしれないけど、……今日が嘘の祝日だと気づかなかったんだ。退院してからずっとカンパニーの執務室にこもっていてね。日付感覚がすっかり狂っていたらしい。君が好きなんだと──恋を、しているのだと。そう気づいたら、とにかく早く伝えたくて仕方なかった。
もしかしたら……ううん、確実に、浮かれていたんだ。まだ人を愛せることが嬉しくて、誰かを大切に思えることが嬉しくて。それで、カレンダーの確認を怠った。──ははっ。商人失格だな。大事な交渉ごとだというのに、ラッキーな数字も、マークも、全く、意識になくて、」
「…………」
「……信じてくれるかい?」
「…………」
「信じられない?」
「…………」こんっ。と扉をノックする。
「どうしたら、僕の言葉を、気持ちを。君に信じてもらえるだろうか」
「…………」
「好きだ、好きだよ。君が好きなんだ」
星の頬に熱があがる。羞恥か歓喜か、もしかしたら困惑のせいもあるかもしれない。ドッドッドッドと鼓動が主張する。心臓なんかないはずなのにあまりにも早く強く動くものだから、もしかして口から星核が逃げ出してしまうのではないか不安になり、つい口をおさえる。
ピノコニーであれだけ部屋番号にこだわっていたアベンチュリンが、強いスートだとか指輪を付ける意味だとかで験を担ぐアベンチュリンが。なにも見ずにここにきた。本当に? 本当なのかも。本当ならいい。本当だったら、それは、とても、とても……──。
「僕の気持ちを受け入れる必要はない。ただ、信じてほしいんだ。嘘だろうと決めて無視をしないで。ちゃんと、こんなものいらないと捨ててほしい。僕の気持ちを、嘘にしないでくれ」
沈黙が降る。
互いを探る沈黙が降る。
廊下にいるはずのアベンチュリンは嫌に静かだ。靴を置いていった様子もないし、立ち去った様子もない。星も扉に背中を預けたまま、体から力が逃げていかないようにと必死だった。
冷水を浴びせられた心地だった。信じてほしいのに、フってほしいの? なぜ。好きな人とは好き同士になって、いっぱい仲良くなりたいものじゃないの。どうして。分からない。
──分からないけど。
「……本当の祭日って、知ってる?」
アベンチュリンが、扉に近づいた気配がした。
「嘘をたくさんつく日の次の日、……つまり明日なんだけど。明日は本当のことしか言っちゃいけない日なんだよ。それが本当の祭日。知ってる?」
「いや、初めて聞いた」
「その日にもう一回、きて。そしたら、考える」
「! ……ありがとう」
アベンチュリンがなにを考えているのか分からない? 嘘をついているかもしれない? だからなんだと言うのだ。そんなの今更だろう。
彼の考えが分かったことなんて一度もない。ピノコニーのときだって星はていよく転がされ利用されていた。ずっと裏で画策していて、きれいに整っていた表面ばかりを人の前に差し出している。それがアベンチュリンだ。散々見てきたじゃないか。
「あんたの本当、待ってる」
──……。
四月二日。アベンチュリンは約束通り星に告白をした。
列車組──特に丹亘と姫子──が睨みを効かせるラウンジで、「言うことがあるならここで言って」と星にうながされたり。
人前で告白することを全く想定していなかったせいで、盛大に照れてしまって言葉に詰まるアベンチュリンがいたり。
それで不安そうにした星を見た丹亘が一層アベンチュリンを威圧したり。
ようやく紡がれた告白があまりに嬉しかった星が、勢いよくアベンチュリンに抱きついてきたせいで、少しふらついてしまったり。
アベンチュリンにぎゅうぎゅうとくっつく星を見て、気を遣った姫子となのかが男性陣をつれてラウンジを出ていったり──……。
色々なことが一度に起こったせいで放心するアベンチュリンをぎゅうっと強く抱きしめながら「そういえば、」と、星が耳元でささやいた。
「今日って、なんの日か。知ってる?」
「昨日君が教えてくれたじゃないか。本当の祭日だろう?」
「それ、嘘だよ」
「は、?」
うそ。ともう一度、アベンチュリンが繰り返す。彼女の声音は楽しげで、やわらかい。
「本当の祭日なんてものは存在しないの。少なくとも、カレンダーには書かれてない。私があのとき考えたものなんだ。だから、嘘」
「いや、ま、……え? だってあのとき、明日だったら信じるって……」
「あんたが私の言ったこと信じてくれたから、私もあんたの言ったことを信じるの。おかしい?」
瞬間的に彼の頬が赤くなった。星を抱きしめ返そうとしたらしい手が、中途半端な位置で固まる。迷ったように彷徨って、結局肩にそえられる。
「完敗だ。まんまと君の思い通りになったわけだ」
星は満足そうにふふんと笑って、お互いの頬同士をすり合わせるようにくっつけた。肌を通して、熱が均されていく。
「好きだよ、アベンチュリン」
「……ああ。僕もだ。僕も星が好きだよ」
後日。
星と恋人同士になれたという事実が信じられず、結局集中力を欠きながら仕事をするアベンチュリンが見られたと言うが……それはまた、別のお話。
廊下、右手側。孔雀のような派手なジャケットを着た見慣れない金髪の男が、星が脱いできたらしい黒のショートブーツを持っている。相手のほうもいきなり出てきた丹亘を見て驚いたのか片眉をあげ、すぐに「やあ」と笑った。
「星核ちゃん……いや、星を見てないか。靴を届けようと思ってね」
「お前がアベンチュリンか」
「そういう君は、丹亘くんかな。はじめまして」
不躾な問いにも笑みを絶やさなかったアベンチュリンは、不意に「いてて」と顔をゆがめた。よく見ると左頬が腫れている。どうやら星はしっかりやり返したらしい。
しばしの無言が続く。丹亘は品定めをするように疑り深くじっくりと観察し、それを受けるアベンチュリンは慣れたものだとでも言うように堂々としている。
「星は中にいる」
先に折れたのは丹亘だった。
革靴の足音も、独特な香水の匂いも覚えた。今回だってアベンチュリンに悪意があるようなら門前払いをするつもりだったが、あの目を見る限りは大丈夫だろう。
「彼女を再び泣かせるようなことがあったら、覚悟するといい」
背を向けた丹亘はそのまま左手に進み、パムがいるであろう車両に移動する。惚れた腫れたの話題になることは明白であったし、いくら列車の仲間とは言え、踏み込むべきではないだろう。
アベンチュリンはひらひらとその背中に手を振って見送り──扉が閉まり丹亘が見えなくなったところで、深く息を吐いた。威圧感が凄まじい。とんでもないボディーガードがいたものだ。
さて。丹亘いわく、星はアーカイブ室にいるらしい。ピッタリと閉じられた金属扉。向こう側から聞こえてくる音はない。
──まずはナビゲーターさんの言う通り、誤解を解くところから始めよう。
「星核ちゃん、いるかい?」