一瞬、体育館の窓の外が光る。
 それから数秒おいて、ゴロゴロと不穏な音が響き、やはり雷だったか、と深津一成は改めて視線を窓の方へ向けた。部活が始まった時分には雨は降っていなかったと思うが、これから降るか、雹になるかもしれない。
「こんな時期でも雷って鳴るんすね」
 と、妙にのんびりした事を言いだしたエースを見遣ると、沢北栄治は心底感心したふうな顔だ。
 冬の選抜を控えた時期で、もう初雪までのカウントダウンが始まっている。深津は一つ頷くと、沢北の方を向いた。
「今の雷は、たぶんおまえが知ってる雷と違うものベシ」
「……は?」
 彼は深津の言葉に、ぽかんとした顔を見せた。せっかくの二枚目が台無しだ。
「おまえが知ってる雷と、これから冬の間にこのあたりで起こる雷は別物ベシ」
「か、雷に種類がある、んですか?」
 いぶかるように、というより、ほとんどおそるおそる聞いてくる少年を手招いて、深津はコートの脇に置いてあるホワイトボードに向かう。近くに居たイチノがやれやれ、といった感じで溜息を吐き、ホワイトボード側に居たマネージャは、苦虫を噛み潰したような顔でペンを渡してくれる。
「お前が知っている雷は、ふつうの雷ベシ。日本全国で主に夏に見られるが、春や秋にも発生するベシ。これは太陽光で熱せられた大地からの上昇気流で起こる」
 深津はホワイトボードに略図を描く。地表で熱せられた空気が高い場所、多くは山の斜面を登る際に起こる上昇気流から積乱雲が発生する図だ。
「この積乱雲の中で、細かい水の粒子が衝突と摩擦を繰り返し、」
 のあたりで確認すると、沢北が既に悲愴な顔をしていた。
「……わかるか?」
「わかりません!!」
 即答過ぎて、思わずその形の良い坊主頭を叩く。隣でイチノが「手加減してやりなよ」と言い、マネージャは「これは沢北には無理だろ」とそこそこ酷いことを言っている。
 深津はひとつ咳払いをすると仕切り直す。
「まあいいベシ。実は雷のメカニズムははっきりとはしてないベシ」
「えっ、そうなんですか?!今でも?」
「へえ、それは意外」
 沢北ばかりかイチノも驚いているが、事実である。雷自体は分子の摩擦による放電現象で、要するに静電気と一緒だ。ただ、どんな条件が揃うと雷雲が発生し、落雷が起こるのか、明確になっていないはずだ。
「いずれにせよ、雲の中で生じた電位差が雷になるベシ。ふつうは雲から地表に放電され、そのエネルギーが光と音になって知覚されるベシ」
 と、云いながら、深津は雲から地表にギザギザした線を描く。
「ただし、これが冬になると」
 続けて深津はテキトーに日本列島を描くと、日本海側の海岸線に向けて、南西から北東への矢印と、北西から南東への矢印を描く。南西からの矢印には”対馬暖流”、北西からの矢印には”寒冷前線”と入れて、改めて三人を見渡した。
「冬の日本海側では、比較的あたたかい対馬暖流からの熱気が、上空に張り出す寒冷前線の冷気とぶつかって積乱雲が出来るベシ。この時、ふつうの雷と同じように雲の中で電位差が生じるベシ」
「あ、そうか、山じゃなくて海でできるのか」
 マネージャが素直に驚いている。
 夏と違って、冬に太陽光エネルギーが暖めるのは地表では無く海面だ。このシステムで積乱雲が生じるのは、世界でも日本海とノルウェーあたりの海域だけだという。
「この雲が日本海側の陸地にやってきて放電する。これを冬の雷、冬雷というベシ。またの名を鰤起こし」
「は? ぶり?」
「……鰤、かな?」
 平仮名で喋った沢北の横で、察しの良いイチノが漢字変換して口にした。冬の日本海、新潟と富山では鰤漁が盛んだが、その始まりを知らせる風物詩としてその名があるという。
「イチノ、さすがベシ」
「やったー!」
 素直に喜ぶ少年に拍手したあと、深津は改めてホワイトボードに向かう。そして、改めて地表を一本線で表すと、その上に雲を一つ、更に高い位置にもう一つ雲を描く。
「この二種類の雷の違いは、成り立ち以外にもあるベシ。夏の雷は」
 深津は高い位置の雲から地表までギザギザの線を描きながら、
「落雷、つまり上から下へ電子が移動する。逆に、冬の雷は」
 次は地表を示す一本線から、低い位置の雲へ登るようにギザギザの線を描いた。
「地表から雲へ”落ちる”」
「まじで!」
「えっ、そうなの!?」
「うっそ、見たことない」
 三者が異口同音に驚くのを満足げに眺め、深津は更に続けた。
「もうひとつの違いはそのエネルギーベシ。夏の雷が1とすると、冬雷はその10〜100倍のエネルギーがあるベシ。だから、一度鳴るとしばらく、」
 と言ったあたりで、また体育館の窓が光った。
 一、二、三……と、いくつか数えるうちに、またゴロゴロと思い音が響いた。
「間が空くベシ。夏の雷はすぐ鳴るベシ?」
「ええー、すげー、雷に種類があるんですね……」
 心底感心した顔の沢北に、イチノとマネージャも頷いている。深津先生としてはたいへん満足であった。が。
「……勉強中すまないが、いいかげん、練習を再開したいんだが、いいか?」
 そう言って微笑むゴローが現れて、四人、まとめて直立不動で「ハイ!」と返事をしたのだった。
 それから五ヶ月近く経って。
 また体育館の窓の外が光って、深津は顔を上げた。しばらくすると、音とともに、ドン、という衝撃もある。近い。
 豪雪地帯のこの街では、まだ雪がちらつく日も多い。これから嵐になるか、と思っていると、またピカッと光が差し込み、轟音が続く。
 これは……?
「雷ですね、ぶりおこしでしたっけ?」
 その声に、深津は少し驚いた。覚えているとは思わなかったので。振り返れば、もちろん我らがスーパーエースの笑顔があった。
「けっこう近いところに落ちましたかね、今の」
 と言う沢北に、深津が口を開こうとすると、またピカリと光る。間違いない。
「沢北」
「はい」
「これは冬雷じゃないベシ」
「……えええ?!」
 目を見張るどころか、アーモンドアイが落ちそうなほど目を見開く沢北に、深津は「思い出せ」と続けた。
「冬雷にしては回数が多いベシ、これはふつうの雷ベシ」
 そして、この季節に起きるなら、
「春雷、というベシ」
「しゅんらい……」
 その名の通り、春の雷、春の嵐を告げる神の火だ。
 なるほど、まだまだ寒いと思っていたが、もう次の季節が近付いていたのか、とそっと感心する。
「立春の頃の雷は、特に”虫出しの雷”と云うベシ」
 暦ではひと月近く前だが、雪国のここでは今が立春にあたるだろう。その鮮烈な音と光で、冬眠する生きものたちの目を覚まさせ、土の中から出させる、雷。
「えっ、むしくだし?」
「しね」
 というやり取りを経て、沢北に歳時記を叩き込む。
「えーと、つまり、目覚まし時計みたいなモンってことですね?」
「正解ベシ」
 暗い、土の中
 音も光もない 静かに懇々とした眠りから
 まるで 切り裂くように鮮やかな紫電が
「なるほど、じゃあ、俺にとっては深津さんのパスが”春雷”ですね」
「……は?」
 ぽかんと、今度は深津が目を見開く番だった。
「去年、初めて深津さんからパスもらったときに、俺、目が覚めたんですよ」
 世界はこんなにも明るくて広いのかって
 そう歌うように語る少年の声は、何処か遠くで聞こえた。
 深い眠りを覚まさせるほど鮮烈な。
 
「さわきた」
「ハイッ!」
 還ってきたすこぶるいい返事に、深津は努めて静かに応えた。
「今の、落雷地点からこの体育館までの距離を求めよ」
「……はい?」
「もちろん推定値でいいベシ」
「……え?」
 なに言ってんの? と声が聞こえてきそうな顔だった。もちろんそれも無視して、深津はポケットからストップウォッチを取り出して彼に渡す。
「おまえ、期末試験の勉強はしてるか? ベシ」
「…………してないことは……ないです……」
「これくらいは解けないと、アメリカ遠征には連れて行けないベシ」
「えっ、えええ?! 嘘でしょ!?」
「中学の数学の問題ベシ、すぐ解くベシ」
 は!? ちゅうがく?? と呆然とする彼に「ハウス」とコート外を指し示す。
「返事は?」
「……はいいいいいい」
 まつもとさーーーーーん、と泣きながら走り出す少年を見送って、人選だけは正しいな、と思う深津だった。
 春雷、というならば、それは
 それから十年近く経って。
「中学数学、っていうのは、いくらなんでもズルいじゃないですか。あれ、音速わからないと解けないでしょう」
 そんなことを言う男は、押しも押されぬNBAプレイヤの沢北栄治である。
「まあ、おかげで音速も、フィートも、ついでにポンドもオンスも、換算式は覚えましたけどね」
 そのあたりは物のついでである。
「また、春が来ますねえ」
 改めて、彼は冬から春へ移り変わる日本海を眺めながら言う。
 鈍色の海は、段々と淡く、青くなっていく。
 海岸線に並ぶ白い風車の羽が、穏やかな陽光を受けて光った。
「やっぱりね、春が来ると思い出すんですよ、雷の話」
 変わる季節を知らせる神の火と。
「俺にとってはあなたが春雷なんですよ。もうパスはもらえなくても……バスケじゃなくても。新しい世界を見せてくれた人だから」
 春の嵐の訪れを告げる、号砲だったのに。
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春雷_20240323
初公開日: 2024年03月23日
最終更新日: 2024年03月23日
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ワンドロワンライ:春の嵐