冬休みというものは終わるのが体感的にも日数的にも短い。今だに8つを越さない雪華はちんまりとした体躯でランドセルを背負い学校に通いながらも、習い事の始まる生活に慣れようとしていた。
土日水に空手教室。月金にピアノ。火に書道。木曜日は月に一回あるヴァイオリンや花道、茶道を詰め込み、休みなど殆ど皆無な毎日が完成となってしまった。
それに並走し学校の宿題や、家の手伝いと休む時間すら僅かしかない。
大人から見ても吐き気を催すほどの激務に駆られている雪華は、どうすることができないと知っているからこそ従順と日々を送っている。
確かに好きなことができない日々は退屈であるが、夕飯などが抜かれたり、冷たい水で窓を拭いたりすることよりかは良い。変に怒らすことの方が面倒臭いと諦めている。
それに叔父は通う教室の指定などはしなかった。だからその配慮か、通っている場所の先生の殆どが顔見知りで、変に意気込まなくてもいい。
何せピアノ教室として通っているのが宗谷の家なのだから、叔母の優しさが見れる。どれだけ激務だろうとも、人が雪華を慮ってくれるのだから環境には恵まれたものだ。
雪華の家は京都の中心部に近く、一歩道を出れば観光客でごった返した場所に出る。
まだまだ冬は終わっていないというのに人数は減らない。昨夜降った雪が道路の端で氷となっており、新雪の美しさが失われていた。
学校から帰り、一度家に寄ってから雪華はピアノ教室に向かった。今日は金曜日である。年末年始はとっくのとうに終わっているが、旅行に来るための車はたくさん横切った。
バスに乗って30分揺られたところを少し歩く。銀閣寺近くにある家は、観光地として有名な場所であるが静かな住宅地となっている。
「お邪魔します」
慣れたように目的の場である家の門扉を開く。授業回数は手で数えられるくらいしか行っていないが、迎えられる暖かさから雪華に遠慮などなかった。
扉を開け、靴を揃えているところで声がかかった。ピアノの先生であるよし乃だ。
「雪華ちゃん。先に教室の方に向かっとって」
「はい」
静かで冷えた廊下を歩くと、前から学ランを着た宗谷が来た。宗谷は雪華を見て、何に驚いたのか目を開く。
「どうかなさいましたか」
宗谷は雪華の上から下までを舐めるように見た。
「……洋服を着ている」
顎に手を当てて無表情な宗谷が珍しく分かりやすい驚き方をしている。
そういえば、と宗谷とはあの日以来顔を合わせていなかった。関西将棋会館に通っていたとは聞いていたから、気には留どもも深くは聞かなかった日を雪華は思い出す。
雪華の家は珍しく普段着を着物で過ごす人が多い。流石に学校に着物ではいかないし、習い事に一々着替えなかった雪華であるが、洋服であったのは今日が初めてである。
「珍しいね」
「宗谷様が制服をお召しになられていることも珍しいと思いますが」
「ああ、そうかな。学校から帰ったばかりだけど、一回家に寄っただけだから」
一回家に寄っただけとは、雪華と同じく今から向かう場所でもあるのだろうか。彼の性格からしていく場所など容易に見当がつく。
「将棋でしたか……確か今は三段リーグでしたか」
「うん。このままなら来期で四段に上がるかな」
三段リーグを勝ち、上に上がるということはプロになるということである。宗谷はそれを軽く、簡単かのように錯覚させるほど激情もなく語った。だがその淡々としたのが、事実だと物語っている。
「確か、まだ14歳であったと聞きましたが」
「合ってるよ」
宗谷は来期で昇段といった。ならばそれは中学生でプロ入りと、異彩なことを成し遂げることになる。どうりで、忘年会の時あれだけ絡まれていた筈だ。
「無理はしないでくださいね」
好きだからと没頭することは悪くない。だが宗谷はきっと寝食を忘れてしまう程のめり込むだろう。だからこそ、雪華は釘を刺すように声をかけた。
余生なお世話だとは思う。だが宗谷は頷き、雪華の頭に手を乗せる。ゆっくりと撫で、雪華は宗谷を見上げた。
「君もね」
手は下ろされた時、よし乃が通りかかった。もうすぐ授業が始まる。
「それじゃあ」
「はい、また」
雪華と宗谷は別れた。
学ランを着た宗谷は物静かであれど、どこにでもいる大人しい生徒にしか見えなかった。そんな彼が将棋界に名を残すであろう才能を持っているのだから、人は見かけによらぬものである。
雪華は撫でられていた頭に手を置いた。
「咎められてしまった」
意趣返しに返されていたのか、それとも無意識か。無理はしないでといった言葉が返されてしまうとは。
ふう、と息を吐く。
無理はしていないつもりなのだけどな。