ゲゲ郎には秘密がある。
「のう、水木」
ちゃぶ台に突っ伏しながら見上げた先に、台所。そこに前掛けをかけて夕飯を調理する水木の後姿がある。
「なんだよ。今、手ぇ放せない」
煮物をぐつぐつと煮る醤油の香り。その香りとともに振り向く水木の後頭部。
「なんでもない」
「なら、呼ぶなよ」
水木は知らない。ゲゲ郎も言わない。水木のその、少しだけ振り向いたときの後頭部の丸みが、なんだか美味そうだなぁと時々ゲゲ郎が思うことを。
#今日の夕食
水木には習慣がある。
朝目が覚めて、窓の外の朝日を眺める。そうして、ちゅんちゅんと鳴く雀の声を聴きながら自身の布団を折りたたみ、押し入れに。それから。
隣に寝ていたゲゲ郎の規則正しい腹の上下を確認して。ゲゲ郎と共に寝ている幼い鬼太郎を確認する。そうして、二人の頭のそばに膝立ちになり、かがむ。すうすうと寝息を立てる二人の親子が全く起きる気配を見せないのを充分に確認すると。
「ゆっくり寝てろよ」
片目を隠す前髪を掻き上げて、それぞれの額に軽い口付けを落とす。
今日もいい日になりますように。幽霊親子がいい夢を見れますように。
さぁ、一日の始まりだ。
#朝の習慣
傘は危ないからと、鬼太郎に合羽を買った。目立った方が暗闇でも危なくないとゲゲ郎が選んだのは黄色の雨合羽。それを着ると鬼太郎は黄色いテルテル坊主のような様相になる。
「ついでに長靴も買おう」
大人用に比べると小さくてまるでぬいぐるみにでも履かせるかのようなサイズのそれを、それでも少しブカブカしているかのように履く鬼太郎を見て、なんてこの子供は小さいんだと水木は時々妙に驚く。
さて、鬼太郎は? といえば、普段は着ない・履かないそれが雨の日だけ着用できることに少々不満があるらしい。もしかしたら最初に合羽を着て回って見せたゲゲ郎に「愛いのう、愛いのう」と散々褒められたのがきっかけだったのかもしれない。何やら特別なものらしいそれを鬼太郎は着たくて、履きたくて時々雨でもないのにそれらを部屋の隅から引っ張り出して水木に「きう」とせがんだ。
「もうすぐ梅雨だ。嫌でも毎日着ることになるぞ」
だから今日は普通のくっく履こうな?
いつの間にか自然に出るようになった幼児言葉を恥じることもなく水木は鬼太郎に優しく語り掛ける。明日の予報は雨になっていた。
#晴れても君は
山向こうに行ってきたので天狗の酒がもらえたぞ。それはゲゲ郎からの「今夜は二人で飲もう」の合図だ。
そういう日は、水木はなるべく早く鬼太郎を寝かしつけ、風呂も夕食の片付けも早々にすまして縁側に陣取る。そうして星やら月やらを眺めながら小さな猪口を二つ出して、ゲゲ郎と二人、酒を飲みかわすのだった。
「こうしているとあの頃を思い出すのぉ?」
「あの頃って、哭倉村のことか?」
「そうじゃ」
「そうだな」
あの村は夏でも夜になれば涼しい風が通るさわやかな場所であった。東京のムシムシした夏の暑さともカラカラと乾く冬の夜とも違う。静かに鳴く虫の音が妙に清らかに聞こえる不思議な村であった。
「水木、おぬし、愛する者は見つかったか?」
耳の頭をほんのり赤く染めるゲゲ郎は、もう少しだけ酔い始めているのかもしれなかった。愛などという大仰な言葉をわざわざ口にするのは彼が酔い始めている時が大概であったから。泣き上戸であるはずのゲゲ郎がにやりと笑う。その口元は、水木の次の言葉を何やら期待して待ち望んでいるようであった。
「まだ、解んねぇよ」
だから、あえて水木はそうそっけなく返すのだ。酔っぱらっているらしいゲゲ郎に比べ、水木はまだまだしらふに近い。愛だなんて、お前のことを愛しているなんて言うにはまだ少し酒が足りないようだった。
#二人で飲めば
からん、ころん。
ゲゲ郎が歩くとその特徴的な下駄の音が街に響く。
からん、ころん。
しかし、最近は小さな鬼太郎も歩くことができるようになり、ゲゲ郎を真似て下駄を履くものだから同じような足音が二つになっていた。
からん、ころん。からん、ころん。
二つの音が重なり合うのを聞きながら、水木は手をつなぐ親子を後ろから眺める。
「今日の銭湯は温湯だったが、大丈夫じゃったか? 鬼太郎」
「だいぞぶ!」
「そぉかそぉか。鬼太郎は強い子じゃのぉ」
めいっぱい背伸びをした鬼太郎の手を少しかがんだゲゲ郎が繋ぐ。そうして、決して離れてしまわないように東京の夕闇の中、水木の家まで帰っていく。
からんころん、からんころん。
その音は水木には平和の証のように聞こえていた。
#平和の足音
水木がタバコを辞めた。
それはどうやら、鬼太郎を気づかってのことらしい。どこかの雑誌だか新聞だかで「子供の健康に家族の喫煙は悪影響」と書かれていたらしい。もちろん、ゲゲ郎も水木の喫煙と共に禁煙をしろと言い渡されたので、現在この家にタバコは常備されていない。
「いくら幽霊族と言えども人間の子供に悪い影響を及ぼすものが良いわけがない」
「まぁ、そうじゃが」
何年もタバコというものを吸い続けていたゲゲ郎にとって、禁煙というものはとても骨が折れることのように思えた。実際、今現在もタバコが吸いたいのを我慢して飴を舐めている状態なのだ。
なんとなく、口寂しい。
「そうじゃ」
「なんだ? どうした?」
口寂しい、と思っていたところに、水木の顔があった。そうして、同然だが顔の中には口がある。どうせ水木もゲゲ郎と同じように口寂しいのだろう。そう思いついたのだ。
だから。
ちゅ。
寂しいだろう口にゲゲ郎は吸い付いてやった。そうすればまったく口寂しくない。むしろ、温かな感情が口から胸へとするりと落ちていくようだった。
「これで万事解決じゃ」
にっこりと笑ったゲゲ郎の頭が水木の平手で打たれるまであと何秒もかからない時であった。
#禁煙するなら
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