ばれんたいん、というものがあるらしい。
「実休さんも大将になにか用意するのか?」
「うん?」
きょとんとした顔を返すと、薬研君は驚いたとばかり目を丸くした。薬を配合していた手を止めて、改めて僕と向き直る。
「てっきり長船の兄さん方から聞いてるもんだと思ってな。すまん、俺の早とちりだった」
それは主の時代より、すこし前の文化らしい。大切なひとに、甘味を贈る日。愛の言葉を伝える日。
なんだかこんのすけが言っていたものとすこし違う気がするけれど、それもまた時代の変化、というものなのだろうか。ちなみに主は、どうしてこうなった、なんて頭を抱えていた。たしかに数の多いほうが勝ち、なんて無粋なものよりは、ものを贈り合うことで愛情を確かめ合うほうが何倍も素敵だ。
さすが初期鍛刀は、いろいろなことを知っている。思えば、それは信長公の傍にいたときからそうであったような気がする。彼に連れられて見聞きしてきたことを、さも楽しそうに語って聞かせてくれたのだ。次は実休さんも一緒にいこうな、なんて、叶いもしない約束を交わして。
でもその誘いがうれしくて、そうだね、とうなずいたりしたものだ。ゆるゆると思い出す記憶に、ふと頬が緩む。
二度焼けたこの身でも、こうして残るものがある。それはものであった頃のことだとしても、変わらない。
であればひとの身を得たいま、こうして抱くものはなんだろう。
「ま、大将ならなんだって喜んでくれると思うけどな。渡さなくても特に問題もない」
「……薬研君は、どうするんだい」
「俺は大体弟たちにのっかってるな。なんせ乱がそういうの好きだろ?」
ああ、と納得した声をあげる。たしかに彼ならば、喜んで甘味を選びにいきそうだ。自分たちでつくる、というのも手段のひとつではあるらしいが、厨当番の迷惑にならないようそれなりに制約があるらしい。そうでもしなければこの大所帯だ。十分にまわらないのだろう。うまくできているんだね、と笑うと、そうなんだよなぁ、と薬研君も苦笑いのようなものを浮かべてみせる。
「店で買うのもなかなかおもしろいもんだぜ。それこそ、長船の兄さん方のほうが詳しいだろうよ」
「じゃあ、光忠あたりに聞いてみるよ」
「おう。そうしてくれ」
手伝いありがとうな、という言葉を背に、薬研君の部屋を出る。
その足で向かったのは、おそらく自分とおなじ光忠の名を冠する弟がいるであろう、厨だった。
「バレンタイン?」
「そう。光忠はどうするのかなって思って」
「主に渡すものでしょう? 作りたいなら、僕もお手伝いするよ?」
僕は自分で作る派だからね、とつづいた言葉に、成る程と相槌を返す。たしかに光忠は料理好きだし、こうして厨に詰めていることが多い。前の主の影響だと笑うけれど、実際光忠のつくってくれた料理はどれも美味しい、と思う。それはまだ顕現して日が浅いから、というわけではないことは、ほかの刀剣男士たちを見ていればなんとなく理解できた。
「福島さんは買うほうだと思うけど……。でも主にあげたいっていうより、日本号さんにっていう意味合いのほうが強そうだね」
「それもあり、なのかな」
「彼にとってはね。もちろん、実休さんが渡したいなら、だれに渡してもいいと思うよ」
そう言われると悩んでしまう。織田の子たちにも、それに長船の刀にも恩や義理がある。でもそれは、おそらく主に抱くものとはまた別なのだろう。よくわからないけれど、なんとなく、ちがうのだろうな、ということだけは理解しているつもりだ。
ふと考え込むと、光忠は困ったように肩をすくめた。
「まあ、顕現したばかりだしね。今年は無難に買って渡すのでもいいのかもしれないよ」
「薬研君が、そういうのは長船の子が詳しいだろうって」
「なるほどね。じゃあ、詳しそうなひとに案内するよ」
そうして言われるがまま連れてこられたのは、長光の刀の部屋。
突然来たにもかかわらず、その刀――、大般若長光は、からからと笑って僕を出迎えてくれた。
「それで、俺のところに来たってわけかい?」
すなおに頷くと、そうかいそうかい、とさも楽しそうに大般若君は笑みを深くする。
「祖にそう言われちゃあ断れないわな。ま、大船に乗ったつもりで任せてくれ」
「有難う。助かるよ」
「気にしなさんな。あんたも俺たちにとっちゃ祖の刀にほかならないんだから」
たしかにそうかもしれないけれど、僕にはあまりその実感がない。記憶があやふやだから、というよりは、すくなくとも僕や福島にとって、光忠と呼ばれるべきは燭台切一振りだから、という思いのほうが強いのだろう。
しかしそれでも、おなじ長船である彼らからすれば僕もまた祖の刀であることにかわりはない。
「ま、今回はてっとりばやくこれの世話になるかね」
言いながら取り出したのは、刀剣男士それぞれに支給された端末だった。おなじものは僕も持ってはいるけれど、まだあまり触れていない。そのうち慣れるだろうさ、という薬研君の言葉を信じておきたいところだ。
「俺もわりに使うんだよ。実際に見て歩くのも楽しいが、こっちのほうが安く買えたりするもんでね」
どうせこの時期だ。たくさん見て決めるといい。
そんな言葉にもう一度、有難うと感謝のそれを口にする。いいってことさ、とやはり軽快な口ぶりにどことなく安堵して、彼の説明を頼りに端末を操作する。
彼の言葉どおり、どこの店でもばれんたいんに向けて着々と準備を進めているらしい。すごいね、と感想を漏らすと、いつの時代も人間はそういうもんだったろう、と目を細める。
「あんたの前の主だってそうさ。俺は面識がないが、織田信長ってやつは南蛮由来のものやら新しいものが殊の外好きだったそうじゃないか」
「……そうらしいね」
「なんだ歯切れの悪い」
「記憶が曖昧なんだ。二度焼けたせいかもしれないけれど、どうにもおぼろげでね」
まぶたの裏にあるのは、紅い焔と、燻り残った炭の臭い。
そこで僕は、僕であった刀は焼けた。薬研藤四郎や、ほかの刀たちとともに。あの本能寺で。
なんとか生きながらえたと思った矢先。大坂城落城の際に再びこの身は火に包まれた。
そういう時代だった。天下にもっとも近かった人物が最期に振るった刀。それに取り憑かれて、どれほどの人間が争いに身を投じたことか。
……僕はそれを、知っている。
記憶としてではなく、「事実」として。
刀剣男士としては、それが正しいのかもしれない。いずれにせよ、僕は二度焼けた。焼身となった刀の行方は知れない。おそらく現存していないのだろう。それもまた、あの乱世においては仕方のないことだ。
静かに端末上で指を滑らせる。かわいらしく、そして美しく飾られた甘味――、ちょこれいと、が、ところ狭しと並んでいる。
傷ひとつなく、そんなものなど知らないという、無垢な顔をして。
途端頭に浮かんだのは、主の姿だった。どういうわけかはわからない。僕よりはるかにちいさく力のない彼女。刀どころか木刀を振るうことすら満足にできない。けれど僕たちに力を、この身を与えてくれたちいさな少女。
野に咲く花のようだった。顕現して初めて見たときに、そう思った。
血のにおいのしない彼女。やわらかでここちよい、春の匂いをまとったひと。しかしこうして戦場に立つことを、選んだ少女。
彼女はみなに慕われていた。幼子の姿をした短刀はもちろん、彼女よりはるかに背の高い薙刀や槍、大太刀たちにも。太刀も打刀も脇差も、彼女を姉のように、妹のように大切に思っている。
では僕は、どうなのだろう。
ぐるぐると頭のなかでなにかが渦巻いていく。考えがうまくまとまらない。かつての記憶を振り返るときのようにもやがかって、どうにもはっきりしなくなる。
つられるように、指の動きがだんだん遅くなる。それを見て取った大般若は、ははぁ、となにかわかったように声をもらした。
「そういうやつならこの本丸にもごまんといる。それにその火傷は、あんただけの傷じゃない」
言葉に、おもわずそろりと左腕に指を這わせた。その下には醜く爛れた火傷の跡があり、ときに熱をもち疼く。この顔にもその跡は残っていた。忘れるなかれと、呪いのように刻まれた。
おまえは、魔王の刀なのだと。
しかしその呪いを受けたのは、僕ひとりではない。宗佐左文字の刻印がそうであるように、へし切り長谷部があの男と侮蔑の意を込めるように。そして薬研藤四郎が、静かに思いをはせるように。
僕たちは、たしかにそこに在った。
それがいまは、この本丸に集っている。
ふと、張り詰めていた糸がぷつりと切れたような心地がした。ようやく、というべきなのだろうか。よくわからないけれど、悪いことではない、ということだけは、感覚的に理解した。
そんな僕に向かって、諭すように大般若は言葉を続ける。
「それでも織田の連中があんたを受け入れてるってのは、そういうことなんだろうよ。長船だってそうだ。あんたは光忠の刀で、俺たち長船の祖。それが偽りであるわけがない」
まっすぐな言葉は、勢いそのままに僕を射貫いた。
思わず目を丸くして、彼のほうを見る。しかし大般若は自分の口から出てきた言葉に驚くこともなく、ただ平然とした目をしていた。
「……驚いたな」
「なんだなんだ。そんなこと他人に言われるまでもないだろうに」
「いや、うん。そう、なんだけど」
なんとも形容しがたい。ええと、と言葉を探すように宙に視線をさまよわせる。しかしそこに答えが書いてあるはずもなく、そのまま沈黙してしまう。……気まずい、ような感じがしたけれど、それでも彼は僕から目をそらすことはなかった。
それどころかどこかやさしい目を、僕に向けてくる。
「すくなくとも、この本丸にいる連中はあんたを受け入れる覚悟なんざとうにできてるんだよ。実休光忠」
もちろん、主もな。
……どうやら光忠だけじゃなく、ほかの長船の子たちもなかなかしたたからしい。
そうだね、とため息まじりにうなずく。そうなればいい、そうあってくれと、おそらく心のどこかで願っていたのが伝わっていたのか。それともこの本丸の審神者が、彼女が、そうさせるのか。どちらなのかはまったくわからないけれど、僕は恵まれていることだけは、たしかなようだ。
「おっ、それいいんじゃないか」
ずいと身を乗り出してきた大般若にすこし圧倒されながら、ええと、とたどたどしく指を動かす。
表示されたそれは、黒地の箱に、金を中心とした装飾が施されたきれいな小箱。まるで万華鏡をのぞきこんだような柄が全体にちりばめられて、箱を眺めているだけで満足してしまいそうなもの。ちょこれいとのかかった[[rb:ふろらんたん>・・・・・・]]、というお菓子が入っているらしいけれど、どういうものなのかはよくわからない。
けれどもたしかに、これがいい、と思った。どういうわけかは、わからないけれど。
そんな僕を知ってか否か、彼はいいねえ、と囃し立てるように口を開く。
「さすがは織田の刀。お目が高い」
「そうかな?」
「すくなくとも俺はいいと思うね。主も喜ぶだろうよ」
なんせ、やってきたばかりのあんたが初めて主のために選んだものだからな。
改まってそう言われると、なんだか自信が持てるような気もする。じゃあこれで、とそうそうに決定してからの操作がまた大変ではあったけれど、なんとかなった。
有難う、助かったよ、と感謝の言葉を述べるついでに、最近つくったばかりの薬草茶を差し出してみる。気に入るかはわからないけれど、と続けたものの、彼はすなおにそれを受け取ってくれた。
「大事にいただくよ。なんせ俺たちの祖がこしらえてくれたものだからな」
大袈裟なそれに苦笑しながら、ゆっくり部屋を離れる。
まだ数回しか話したことがなかったのに、どうして心はおだやかだった。
 *
それは、とっくに深夜と呼んで差し支えのない頃合いだった。なぜだか寝付けなくて、そろりと自室を抜け出して夜の散歩に興じていたら、明かりが見えたのだ。こんな時間に遠征から帰ってきたのだろうか、と不思議に思いながらもそちらに足を向ける。
厨のほうだ。かすかに水が流れる音もする。
好奇心に負けてそのまま足を進めると、そこには長い白衣をひっかけた薬研君が、きょとんとした顔で出迎えてくれた。
「なんだ実休さん。もう休んだのかと思ったぜ」
「薬研君こそ。眠れないのかい」
「いや、今日までにやっておきたいことがあってな。どうせだから茶でも淹れようと思って」
言われて視線を落とせば、たしかに薬研君の手にはやかんが握られていた。どうもそのまま豪快にお湯を注ぎ込もうとしているらしい。戦や軍議になると冷静に意見を述べてくる印象があるのに、どうにもこういうところがある。悪いことではないんだけれど、と苦笑しながら厨に足を踏み入れた。
「僕がやるよ」
「そうかい? じゃ、お言葉に甘えようかな」
案の定、急須には無造作に茶葉が突っ込まれている。おそらく飲めればいい、というだけで特に味のことなど考えていないのだろう。薬研君らしいところではあるけれど、さすがにこれは光忠でなくとも躊躇してしまう。
さて、と丁寧にふたりぶんのお茶の準備をし直すと、思い出したように薬研君が口を開いた。
「そういや、いいものは見つかったか?」
「うん。長船の子たちはすごいね。僕なんかよりずっと頼りになる」
「そらここにいる年期がちがうからな。実休さんだって、すぐに強くなる」
「薬研君よりも?」
「それはどうかなぁ。俺、これでもこの本丸ではじめて極になった短刀だぜ?」
にやりと笑みを浮かべる薬研君には、ちいさく肩をすくませてしまった。修行を経て極となった短刀は、とかく強く俊敏だ。特に夜戦に秀でているらしく、闇夜に光る彼らの瞳には何度かぞくりとさせられている。手合わせで一本とるのも至難の業で、演練で極短刀がずらりと顔を並べていると身震いすることもしばしばだ。
「でもま、楽しみにしてるさ」
「うん。そうしてくれると、僕も嬉しい」
「そうなったら大将も喜ぶだろうしな」
……自然と彼女のことが話題にのぼるのは、この本丸にいる刀剣男士としては当然なのかもしれない。
しかしそのたび、何故か僕のなかになにか得体のしれない感情が燻りだす。火種らしい火種ではない。けれど無視することは、僕にはどうしてもできなかった。
「ね、薬研君」
「ん?」
「主ってさ。やっぱり特別、だよね」
「……ま、ふつうのひとではないだろうな。なんせ俺たちみたいな刀剣男士の主になるようなひとだ。それだけで十分、並大抵のことじゃない」
そう口にしたものの、僕が求めているものではないことはなんとなく理解してくれたらしい。さすがは薬研君だ。いわずとも、僕の欲するものを察してくれる。
ふと思案顔を浮かべた彼は、ややあってから苦々しい言葉を口にした。
「でもな、実休さん。それは俺たち刀剣男士にとっての話であって、実休さん個人が抱えるものはまた別なんだぜ」
「そういうものなの?」
そういうもんなんだよ、とまだ湯気のたつ茶碗に手を伸ばす。うまいな、とからりと笑う薬研君は、織田にいたときと寸分違わない。
だからこそ、僕はまだ彼の傍にいられるのだろう。
長船の子たちともまたちがう。けれどもたしかに、彼のちかくは居心地がいい。
そしてそれ以上に、彼女の傍らにいたいと、思ってしまう僕がいる。
「審神者のひとりやふたり、刀剣男士と恋仲になろうが時の政府には関係ないだろうよ」
それはそれでどうなのだろう。とはいえ、その点に関して僕の知識はだれより心許ない。
「いざとなったら智慧を貸すぜ。宗佐と長谷部だって、事情を話せばうまいことやってくれるだろ」
「そう、かな」
「ま、大将がそう望むのならって話だ。性急すぎると成せるものも成せなくなっちまう」
信長さんみたいに鳴かねば殺すなんて脅しはできんしなぁと冗談めかす薬研君に、ただ微笑み返す。
それに気がついてか、薬研君も屈託のないそれを滲ませた。
「俺は実休さんの味方だよ。たぶん、長船の兄さん方もそのはずだ」
背中は任せとけ、と薬研君が胸をたたく。なんとも頼もしいその姿に、そっか、と苦笑して。
口にしたお茶は、すっきりと喉ごしやわらかで。
だからやっぱり、あれも添えることにしようと思ったのだ。
明くる日。迎えたばれんたいん当日に、僕はゆっくりと主の部屋に向かう。
提げた紙袋の中身に、彼女が喜んでくれるかはわからない。どんなものでも主は受け取ってくれるだろうというけれど、どうせなら、好んでくれるものがいちばんいい。
ちょこれいと、と、煎じたばかりの薬草茶。
きっと甘いものをたくさんもらうから、そのお供になればいいと思って。
「主。ちょっといいかな」
どうぞ、といわれてから襖を開く。
こぼれだす花のような甘い香りに、やっぱり、と安堵する。
君は僕の、特別なのだ、と。
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