なんか塚口の上映スケジュールが新年早々えらいことになってきてるので1日1本ペースではどう考えても足りなくなってきました。
ということで今日見てきた1本目はこれ!
以前公開されてたときはスケジュールが合わなくて見てなかったので今回はなんとかして見るべしということで見てきました。
今敏監督の作品は「現実と幻想のあいまいな境目」が特徴なわけですが、本作ではそれを引退した女優・藤原千代子が語る自分の人生=幻想と、彼女のインタビューをしに来た映像制作会社の社長である立花とその部下である井田=現実が入り交じる構成となっています。
個人的に今敏監督の描く幻想は、現実と同じくらい、あるいは現実以上の強度を持っていると感じるんですが、本作ではその「幻想の強度」を担保する要素として、「架空の物事を演じる存在」である女優という存在が当てはめられていると感じました。
そもそも通常の現実を生きている立花や井田に対し、数々の役を演じてきた女優である千代子は、引退してもなお彼女の幻想の世界を生き続けているんじゃないでしょうか。千代子が語る思い出話は幻想世界となり、現実を生きているはずの立花や井田をその幻想の中に巻き込んでしまう。インタビューを始めたときの、あの女学生時代の千代子の回想に現代を生きているはずの立花と井田が同時に存在しているあのカットこそ、本作の「現実と幻想」の立ち位置を明示したシーンだと思います。
そして、例によって例のごとくわたくし人形使いは本作の詳細な内容に関しては一切調べずに鑑賞したんですが、見る前はタイトルの通り千年間ものあいだ転生を繰り返すような話だと思ってたんですがまあ全然違いましたね。
本作はビジュアルこそ現実と幻想の入り混じったものですが、そのストーリーはかなり直球かつシンプルに「女優・藤原千代子の人生」だったと思います。回顧録と言ってもいい。しかしその過去は、彼女の主観を通して現実と幻想が入り混じった世界となっているという……。
本編ではまさしくカメラを切り替えるように脈絡なく時代やシーンが切り替わったり映画の中のシーンと現実のシーンがそのまま繋がったりしています。この構造は一見脈絡なく現実と幻想が入り混じっているように見えますが、女優である千代子にとってはそもそも現実と幻想は地続きのものなんじゃないでしょうか。そして彼女は、女学生時代に彼女の謎の鍵を託した正体の分からない「鍵の君」を追い求めて生きていきますが、結局は結ばれないまま。そして作中で「鍵の君」はすでに亡くなっていることが示唆されます。しかし彼女はそれを知らないまま、彼の影を追い求めて宇宙へと旅立っていく。
この「鍵の君」が何者なのかは作中では明言されません。しかし、この「鍵の君」は具体性・実在性を持つ人物ではなく、なんというか「千代子の憧れ」そのものだったんじゃないですかね。だからこそ千代子は「鍵の君」とは決して結ばれず、しかし諦めることなく追いかけていくのではないでしょうか。
次、もう何回も見てますがスクリーンで見られる機会はそうそうないので見ましたこの作品。
パンピー(一般ピープルの意)の皆さんにはもうストーリー展開もオチも真相もわかっている状態で同じ作品を何回も見ることを疑問に思う向きもあるでしょうがさにあらず。すべての展開を知っているうえで複数回見ることによる発見もあるのです。
本作の一連の事件の真犯人は未麻のマネージャーであるルミなわけですが、それを知った上で見ていると、同じ場面でも違った側面が見えてきたり、不自然な態度があったりすることに気づけます。
例えば中盤あたりでルミが未麻の部屋でパソコンをセットアップしているシーンで、未麻がスタジオに送りつけられてきた手紙爆弾の話を振ったときにルミの表情が隠れてたりとか、濡れ場を演じることになった未麻の撮影を眺めているときに撮影が始まる前は退屈そうにあくびしてたのに撮影が始まるとスイッチが切り替わったみたいに涙を流したりとか。
あとはやはり1998年当時のパソコンやら何やらですよ。以前の感想にも書きましたがもはや完全にインターネット老人会案件のでかいCRTモニタとかモデムをはじめ、携帯電話すらまだ普及してない時代がかつてあったんだなあ、何もかもが懐かしい……と沖田艦長になってました。
本作はいわゆる「信頼できない語り手」的な手法で作られており、作中での要所要所では「画面に映っている人物と実際の人物が違う」というシーンがいくつかあります。すべての真相を知った上で、それらのシーンを探すのも楽しいんじゃないでしょうか。