昔読んだ小説に「愛しく思った者の爪の形までよく覚えている。きっと、彼がバラバラになろうと私は彼のちぎれた指を探し当てられるだろう」という一説があった。
俺には愛という物がわからない。そんな物を遠い昔に置き去りにしてしまった。
そう、ゲゲ郎に話したら泣き上戸らしい男の表情がすんと真面目な物にすり替わっていた。
「おぬしも出会うさ。いつか」
「そんな日が来るのかねぇ?」
来ないだろうというニュアンスのまま、ほろ酔いで返した。その言葉はハッキリとした声音に受け止められる。
「来るさ。必ず」
まっすぐに見つめてくるゲゲ郎の小さな瞳が真っ赤な色をしているとその時初めて気付いた。その瞳。そんな美しい光を見たのは初めてのことだった。思わず、吸い寄せられるようにその顔に自分の顔を近づけてまじまじと眺める。
「幽霊族ってやつはみんなそんな綺麗な目をしてるのか?」
「なんじゃいきなり」
「宝石みたいだ」
「酔っておるのか?」
「そうらしい」
一瞬よぎった空想に自分でも自分が酔っているのに気付かされる。瞳の輝きを宝石に例えるなんてまるでメロドラマかなにかのようだ。止め止め、と顔の前で軽く手を振る。
「わりぃな。変なこと言った」
「いや」
ゲゲ郎も相当、赤い顔をしている。つるべ火の光に宝石のようなきらめきを湛えていたゲゲ郎の瞳がいつの間にか半眼になっている。眠いのかもしれない。
もうそろそろ墓場も冷えてきた。いくら夏といえども山の夜は冷える。墓場での飲み会もそろそろお開きにした方がよさそうだった。
「帰ろう。もう大分暗い」
つるべ火にも助かったよ、と声をかければ、ふぅっとどこかに消えていく。つるべ火の去った後の夜道は本当に真っ暗で、ただゲゲ郎の吸うタバコの火が小さく蛍のように灯るばかりだった。
一向に立ち上がらないゲゲ郎の様子にもう一度「行こうぜ」と声をかける。すると今度は、返事の代わりにぐいと腕を引かれてゲゲ郎のすぐそばにしゃがみ込まされた。そうして、目の前にタバコの火。
危ねぇダロと抗議する前にそのタバコが横にぽいと捨てられる。ふぅっと吐いたゲゲ郎の息は馴染み深いタバコの臭いがした。
「愛するということの、味見をさせてやろう」
煙いと文句を言おうとした俺の唇に何かが当たる。その柔らかさに、そうか俺は接吻をされているんだということに気付いた。あろうことか、片目しか見えぬ男、幽霊族のゲゲ郎に。
ヌルリと舌が入ってくる。その温かさにびくっと身体が思わず跳ねる。突き飛ばそうと肩を押すが、しっかりと後頭部を捕まれて離れることが出来ない。
ちゅく、と上顎を舌で撫でられ、舌を絡め取られるとなんだか頭がふわふわとしてくる。それは酔いの所為なのか、それとも違う何かなのか?
上手く息継ぎが出来ずにどんどんとゲゲ郎の肩を叩く。そうするとやっと彼は俺を解放し、そうして暗闇に光る赤い目で俺を見ていた。
「味見はどうじゃ?」
「酔いすぎだぞ、ゲゲ郎」
タバコの臭いと酒の香り。それから互いの唾液が甘く絡んだ気がしたけれど、俺は深くは考えないことにした。そんなことに気を取られてはいられない村に俺たちはいるのだから。
「サッサと帰って寝るぞ」
「承知」
本当にわかっているのかいないのか。いまいち解らない返事をしてきたゲゲ郎を後に従えて。俺は墓場を去る。今日からは座敷牢ともおさらばできると聞いているから。
味見に関しては、互いに酔った勢いの気の迷い。そう思うことにしていた。
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ゲ謎ワンライ2024/01/06
初公開日: 2024年01月06日
最終更新日: 2024年01月06日
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味見・爪の形