水木は度々悪夢にうなされていた。
それは、戦地での思い出だ。何度自分が死にそうになったことか、何度友人の死を目の当たりにしたことか。無意味に見える突撃、ただ上官の不安感を紛らわすためだけの折檻。そういうものが横行する蒸し暑い、毒虫の這い回る不衛生な宿営地。
そういったものを、夏の蒸し暑さと共に、羽虫の羽音と共に思い出し、そうして、夢に見てしまうのだ。
「また・・・・・・うなされてたわよ」
同居する年老いた母が心配げに水木を見やる。それに大丈夫だ、気にするなと答えるしか水木には方法が無い。その日も、いつもと変わらず仕事に向かわなければならなかった。きっと今日も残業だ。
だから、水木は夜明けが好きだった。夜が明けてしまえば悪夢も見ない。朝になり、仕事をがむしゃらにしていれば昨夜見た夢も忘れることが出来る。だから、蒸し暑い夏の唯一の美点は夜明けが早い。そのことだけだった。
そうして水木は、その夏、哭倉村に行き、そして、その記憶をなくして再び元の家に戻ってきていた。
哭倉村から帰ってきてからの水木は抜け殻のようだった。以前のような活気も無く、何より、最大手の取引先をなくしてしまった彼の仕事はほとんど無くなっていた。
ただ一つ、良いことがある。それは、夏の蒸し暑さの中、いくら寝苦しくてもあの悪夢を見なくなったのだ。
その代わり、決まって見る夢があった。それは、もしかしたら戦場のことを思い出すよりもずっと悪夢なのかもしれない。なぜかといえば、その夢の中で水木は全くピクリとも動けないのだ。真っ赤な桜の下に着流しのシルエットの男がいる。それを、ただ、見ているだけ。立ち去ることも、駆け寄ることも、目をそらすことさえ出来ない。ただ、シルエットとぼんやりと目が合っているような感覚があるだけ。そんな曖昧で短い夢が最近の水木のお決まりの夢であった。
秋になると元々、水木は悪夢を見なくなる。それと呼応しているのか、例の桜の男の夢も見なくなっていた。
ある日の夜明け、水木の枕元に人影が現れた気がした。母が何か用事でもあるのかと身を起こすと、白い塊のようなものが窓の外を飛んでいくように見えた気がした。こんな時間に何だろうか? そう、疑問に思った事への疑問も無く、いつの間にか水木は家の外、白い塊が向かった方に歩いていた。その先には寂れた廃寺がある。いつもであれば通り過ぎているそこを、なぜか水木はその時、無性に心惹かれる物があった。ぎしり、と寺に足を踏み入れる。
中に入ると、白い着物を着た挑発の顔の崩れた女、それから、包帯でぐるぐる巻きになった大男。思っても見なかった光景に水木はギョッと後ずさり、何やら話している包帯男の言葉もろくに聞かずに駆けだしていた。ススキの生える草原を、ただ、一心不乱に家の方向に向かって駆けていた。
その日から、水木は夜明けを嫌いになっていた。あんな醜い化け物に会うなんて。意味もわからず白い物体を追いかけていた自身が呪わしかった。
しかし、不思議な物である。あまりにもあの男女の様相が異様だったからだろうか? それとも、白い着物の女が具合悪げに足を引きずっていた事が気になったのだろうか? 水木は、その後何度も彼らのことを思い出しては、記憶から消し去ろうとした。しかし、あんな衝撃的な出会いを消しされるわけが無い。この時ほど水木は自分の記憶力の良さを呪ったことは久しぶりであった気がした。
夜明けに行った、荒れ寺に、もう一度向かう。そこには、事切れている男女がいた。生き物が腐っていく独特の臭いがする。
いくら異形のものとは言え、その光景はあまりにも痛ましかった。特に、女の腹が異様に膨れている。もしかしたら、子供を身ごもっているのかもしれなかった。
水木は女を抱え上げる。想像していたよりもずっと軽いその重さに再び衝撃を受けながら、水木は女を墓地の隅に埋めることにした。ありがたいことに、いくら荒れ寺といえども元は寺。あちこちに人を一人埋められそうなすき間はあった。
周りに倣い、木の板をたて、大きな石を2つ重ねる。そうするとそれは一気に墓標らしくなっていた。
降りしきる雨の中、水木は静かに両手を合わせ、きびすを返す。男の方も埋められるだろうかと思案していると。
「おぎゃぁ!」
どこかから赤子の大きな泣き声が聞えた。思わず、近くにあった木の陰に身を隠す。しとしとと肩に降りかかる雨粒が何か水木の記憶を揺さぶる気がした。
泣き声は続く。そして、先程水木が重ねた石が動き、後ろに立てた木の板が倒れ。
赤子が、墓場から這い出てきていた。
その光景に、水木は一瞬、動くことが出来なかった。しかし、その間にも赤子は地面を這いずり回り、水木の方に近付いてくる。水木は思わず、その赤子を抱き上げていた。左目が潰れている。左目、と思ったときにもやはり、なにか記憶が揺さぶられるような感覚があった。
この子供は絶対に災いを招く。そう思って子供を墓石に打ち付けて殺そうと振り上げた。
その時。
あの、桜の男の姿が頭をよぎる。
「鬼太郎を、頼む」
夢でピクリとも動かなかった男が、そう言った気がした。
ハッとした水木。そうして、赤子の顔をもう一度覗き見た。何か、忘れている。多分、心の奥に刻み込まれた大切なしかしなくしてしまった記憶。それがこの赤子、鬼太郎に関係しているように思えた。胸が苦しい。
水木はそっと赤子を抱きしめた。その子供にしては冷たい体温が、何かを思い出させようとするが、何も思い出せない。
夜明けはまだ遠い。しかし、水木はもう本当に悪夢を見なくなっていた。
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2023/12/28ワンライ
初公開日: 2023年12月28日
最終更新日: 2023年12月28日
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②悪夢 / 夜明け