男は揺れ動く振動で目を覚ました。と言っても、目を開けてもそこは薄暗く、一体それがどこなのかさっぱり解らない。ただ、はっはと息を切らす人間の吐息が間近に聞えるので、どうやら何か袋のような物に入れて運ばれている様であった。
男は、思い出す。水木を息子と待っている間に人の姿に戻れた。その息子からの霊力のなんと温かかった事か。その温かさにかまけてついつい息子と共にぐっすりと眠りについてしまったのだ。
そこまで考えたところで、男はハッとする。以前、幽霊族を誘拐して生き血を薬にしていた連中がいた。その生き残りがまだいて、幽霊族である男をさらった可能性がある。に、しては、札も貼られていないようだし、何の変哲もない麻袋に入れられているだけでどうにでも抜け出せそうである。手足を切られた様子もない。
そこでもう一つ思い至る。男が寝ていたのは水木の家である。あそこには水木と男の息子、鬼太郎しか住んでいないことになっている。元々男は、目玉に手足が生えただけの姿なのだ。人間は男があの家にこっそりと住み着いている事など知らないだろう。ならば、可能性としては水木と間違えて誘拐されているという可能性である。背格好も全く違う男と水木だが、男性であり鬼太郎と共にあの家にいたという事実、そこに水木が居なかったという事実だけは確実なのだ。
さて、しかし。
ならば、なぜ水木が人さらいに狙われるのだろうか? 見目麗しい美青年でもなければ、筋骨隆々の働きが良さそうな男でもない。ましてや、身売りに出されるような女子供でもないのだ。銀行勤めではあるが、重役に就いている訳でもないし、実家が資産家という話も聞いたことが無い。更に言えば、近くに居たさらいやすいだろう鬼太郎をさらわずに水木と間違われた男をさらうのだ。何かしら水木個人をさらう確固たる理由がありそうであった。
――とにもかくにも。
何かしらの危険がどうやら水木に降りかかっていること、このままさらわれてやるほど男は親切ではないことは事実であった。男は、その髪をシュルシュルと伸ばし、ぶちりとちぎる。そうして、そのままそのちぎった髪で組紐を組み始めた。それは男が昔その手首に巻いていた先祖からの守りの組紐とよく似通った組み方をされていた。
男はその組紐に霊力を込める。すると、男の姿はみるみるうちに縮み、最終的にはただの目玉に手足が生えただけのいつもの姿に戻ったのだった。編んだ組紐をその身体に巻き付ける。
驚いたのは男を担いでいた人間であった。自分よりも大きな身体の男を麻布に詰めて担いでいたというのに、いきなりその袋が軽くなり、しぼみ、大の大人一人が手品のように消えてしまったのである。慌てて袋の中身を確認することだろう。
ほぼ空になった袋を、開け、逆さまに振る。そこから転げ落ちてきたのはまん丸な目玉。人間は思わず、ぎゃっと大きな声を上げていた。しかも、その目玉から手足が生えて走り出したとすれば、いくら肝の据わった者だろうと腰ぐらい抜かす物である。人間はすっかり動けなくなり、目玉を追うことも出来なかった。
一方、目玉になった男は、ただひたすらその頭脳を働かせていた。少しでも早く、そして、他の人間に見つからないように水木の家に戻らなくてはならない。ただ、東京に土地勘が全く無い目玉には、どうすれば水木の家にたどり着けるのかの手がかりさえ見つからなかった。ひとまず逃げ込んだ路地裏で、危うく、野良猫に噛みつかれそうになる。
「お待ち」
穏やかな女性の声がする。見やればそこに、人のような姿をしているが、頭に猫のような耳を生やし、猫のような尻尾を尻から垂らした女性が立って居るではないか。
「あなた様は、幽霊族の親父殿ではないですか?」
「わしのことを知っておるのか?」
目玉はぱちくりと瞬きながら女性を見上げた。どこか目玉の生前の妻、岩子に似たようなつり目の顔立ちの彼女は、ふっとその目元を緩ませ、小さな目玉の視線に合わせて小さくかがんでくれていた。
「最近、砂かけババァが息子殿のお世話をしに行っているとか。うちの子も砂かけババァにはお世話になったので噂を耳に挟みましたのよ?」
「おぉ、では、そなたは猫又族の方・・・・・・」
猫又族にも最近、小さな女の子が生まれたと目玉も聞いていた。おかげで、砂かけババァはあちこちの子供の世話でてんてこ舞いらしいということも。猫又の娘の方がいくらか年が上なようなので、そちらは親御殿に世話を任せて砂かけババァは主に鬼太郎の世話に来てくれていることも砂かけババァから目玉は聞き及んでいた。
猫又族という者達の多くは、人間界に詳しい者が多い。なぜなら、元々は人間に飼われていた猫が妖怪となった場合も多くあるからだ。ならばきっと、この辺りの地理にも詳しいだろうと目玉は推測していた。
「もし、この辺りにお詳しいようなら、わしを水木という人間の家に、わしの息子の居る家に、送り届けてくれんかの?」
「お安いご用ですわ」
「ありがたい」
つい今し方まで美しい女性の姿をしていた彼女は、しゅるりと真っ白な猫に変化する。その尻尾が9つに割れている事以外は、一見すれば普通の猫のように見えた。目玉がその背中にまたがると、白猫は飛ぶように駆けだした。トントンと家々の塀を渡り、細い隙間をすり抜け、暗がりを物ともせずに駆け抜けていく。そうして、辿り着いたのは水木の家の窓辺。ありがたいことに少しだけ窓が開いていた。その隙間から、目玉だけ部屋の中にこっそりと入った。瞬間、床で仰向けに寝そべっていた鬼太郎と目が合ったが、台所で何やら炊事をしているらしい水木には気付かれずにすんだ。
「ありがとう。助かりました」
「いえ。助け合うのがお化け界のルールですから」
「では・・・・・・もう一つ、お願いしても構わないじゃろうか?」
「私たちの出来る範囲でしたら」
「この家のあの男、水木が人間にさらされそうになっているようなんじゃが・・・・・・理由が全く思い当たらん。何か、情報がありそうじゃったら、是非、教えていただきたい」
「わかりました」
「かたじけない」
「お子様、可愛らしいですね。それに、私の姿を見ても騒がれないご様子、頼もしいですわ」
白猫がふんわりと微笑むと、それを見たのか、鬼太郎もふにゃりと笑みのような表情をする。思わず、目玉もその目を緩ませていた。
「何かわかりましたら、人間の居ないときに伺いますわ」
「かたじけない。恩に着ます」
トッと、来たときと同じ身軽な様子で壁を駆け下りていく白猫を見送りながら、目玉は鬼太郎のかけている布団の中に潜り込む。あの村での事を一切忘れている水木にはまだ、その目玉の姿を見せて話をするわけにはいかなさそうであった。
「あー、あ!」
鬼太郎がバタバタと手を羽ばたかせる。それに気付いたのか、水木が鬼太郎の方を振り向いていた。
「悪いな、さすがに腹が減っただろう?」
哺乳瓶を片手にやってくる水木は目玉の存在には気付かない。ただ、薄く空いていた窓には気付いたようで、ぴったりとそこを閉め直していた。
「にしてもお前は、やっぱり人の子じゃないのか?」
鬼太郎を抱き上げながら、水木がぼやく。よく見える右目はまん丸に見開かれているが、前髪で隠れている左目は生まれつき視力がないようであった。その、前髪ごと水木は鬼太郎の頭を丁寧に撫でていた。鬼太郎の小さな両手が哺乳瓶に向けられて伸ばされれば、水木はかいがいしく鬼太郎にそれを与えるのだった。
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