僕は、昔からこの男が嫌いだった。
「剣持さん、貴方こんな所に居ていいんですか?会議の時間では?」
「いいんですよ別に、僕が出なくたってガク君が適当にどうにかやってくれるんで」
「いや駄目でしょう…」
「ねぇ加賀美さん、これ食べていい?」
「どうぞ。……っ、あ」
「おっと……」
「すみません、ありがとうございます」
「左手で重いもの持つなって言ってんじゃん。落として割ったらどうするの」
「はは…つい。頭では分かっているんですけどねぇ」
「…握力、戻らないの」
「あの頃と同じようには戻りませんけど、昔よりは随分マシになりましたよ。日常生活には支障ありません」
「ふぅん……」
軍人なのに、軍人らしくない。野心なんてまるで無くて、戦いは嫌いで、自らの力で得た地位を活用しようともしない。この弱肉強食を絵に描いたような場所で、誰に食われる事もなく、誰を食う事もなく。なのに軍内での評判は良くて、貴族達からの信用もあって、部下達から随分慕われている。誰もが羨むものを全て持っているのに、それを否定する。
「あぁそうだ、佐伯君達はお元気ですか?ついこの前手紙が届いたんですよね」
「佐伯?あぁ…貴方の教え子でしたね。元気ですよ、緋八や星導達も皆、なかなかに良い駒としてよく働いてます。…気になるなら会いに行けばいいのに」
「いやいや、お仕事の邪魔をしてはいけませんから。手紙には私を気遣う言葉ばかりで、彼らの近況についてはほんの少ししか書かれていませんでしたので…元気なら良かった。手紙を書くなら自分の近況もちゃんと書きなさいと伝えておいて下さい」
「手紙書けばいいのに」
「余計な小言まで書きそうなので」
「喜ぶんじゃないですか?」
「どうですかねぇ」
皆から慕われているのを頑なに認めないのも気に食わない。自分の教え方が良いと褒められても、教わる側の努力の賜物だと謙遜する。教え子から手紙が届くくらい慕われてるってのに、返事もしやしない。本当に迷惑だと思ってるのか?返事が来ないのに数ヶ月に一回は手紙が送られてくるのに。
「そうだ」
「はい?」
「近々、僕の部隊が前線へ向かうようです」
「は……そう、ですか」
「えぇ。皆張り切ってますよ、貴方に教えて貰った事を最大限に活かせるって」
「はは…活かせない方が良いんですけどね」
「僕ら軍人ですよ?そのために貴方は教えたんでしょう」
「それはそうですが…そう、か。前線と言うと、南方の国境線ですか」
「えぇ、今は不破っちの部隊がそこに居ますね」
「加勢に?」
「さっさと終わらせて来いって事でしょ。ま、一筋縄では行かなそうだけど…」
「出立は?何時ですか」
「2週間後」
「急ですね」
「そう?貴方が現役の頃は3日後に行くとか言われてましたけど」
「そう…でしたっけ?」
「おいしっかりしろよ、そんな前じゃないだろ」
「いやぁ、こっちに移ってからあの頃より考える事が多いので…」
手に取っていた万年筆を置いて、ぐっと伸びをした加賀美さんは、また左手でマグカップを持ちそうになって右手に持ち替える。
「…という事は、貴方とこうしてお喋りをするのも暫くはお預けですか」
「そうですね」
「……ん?…ちょっと貴方、今日の会議まさかその南方へ行く話の作戦会議じゃないでしょうね」
「え?うーん、さあ。どうだったかな」
「…貴方ねぇ……伏見さんに任せっきりにしてると、そのうち愛想つかされますよ」
「無い無い、ガクくん僕の事大好きだから。会議だって、俺が行くから刀也さんは加賀美教官の所に行ってきたらどうですか〜って送り出したんだし」
「甘やかされてますねぇ」
「なんとでも。…ま、僕が居なくても貴方がやる事は変わりませんよ。未来の軍を率いる人材を育成して、送り出す。それだけです」
悔しい事に、この人が教鞭を取った途端、卒業生の質が格段に上がった。もちろん、我が国が誇る士官学校の教官は皆優秀だ。今までだって十分優れた卒業生を排出してきた。僕もその一人だ。だけれど、加賀美さんがメインで教えていた、僕の部隊に配属された8人の卒業生達は、皆卒業したてだとは思えない程に優秀な即戦力だった。多少の無茶も難なくこなし、フォローも出来る。勿論、今までとは違う最前線へ出れば多少の問題は出るかもしれないが、それはそれ。誰もが通る道であり、そこを越えられなければ遅かれ早かれいつか死ぬ。僕らはそういう世界に身を置いているのだ。
「分かっていますよ。今教えている子達も優秀な人材が揃っています、卒業する頃には直ぐに戦場へ出られるようになっているでしょう」
「そりゃあ頼もしい限りで」
「剣持さん」
「はい?」
「くれぐれも無茶はしないように。危ないと感じたら直ぐに引きなさい、貴方は少し強引なきらいがある。押しが必要な場面は勿論ありますが、貴方が動けなくなったら貴方が率いる部隊も動けなくなりますよ」
「…それ、あんたが言う?」
「経験談です」
「はー…」
あぁまったく、嫌な場面を思い出した。わざとか?…違うだろうな。この人は本当に僕を心配して言っている、そういう人だって分かってる。
「まぁ、僕の命は貴方のものですからね。大丈夫、死ぬまで戦地に立つつもりはありませんよ」
いつか言われた、随分横暴な言葉を思い出す。よくよく考えたら、結構な言い分だよな。お前の命は上司である自分のものだって言い切るんだから。
「せいぜい、手足が千切れても命だけは持って帰ってきてやりますから、安心して待って」
「駄目です」
「…何が?」
「あの時の私の命令がまだ有効であるなら、命だけじゃ足りませんよ。五体満足でここへ帰りなさい。一つの欠けも許しません」
目線が一際鋭くなる。もう随分見ていなかった、あの頃と同じ目。…あーあ、嫌だな。この目を見ると、従わなければという気持ちになる。何が嫌って、この目を見るのがまだ好きだって自覚があるのが一番嫌だ。
「いいですね、剣持」
「…はいはい。分かりましたよ、加賀美教官殿。せいぜい頑張ります」
「宜しい。良い報告を待っていますからね」
「了解。…そろそろ会議終わるかな。僕は戻ります」
「次の会議はちゃんと自分で出るんですよ」
「気が向いたらね」
「こら」
「では、次会うまでお元気で」
教官室を出れば、士官学校の生徒達が廊下を歩いているのが見える。懐かしい制服だ。
「……仕方ない、次は出てやるか…」
僕に向かって敬礼をする生徒達に軽く手を振り、学校の裏口から出て本部へ続く道を歩く。…仕方がないから、佐伯達に加賀美さんの近況でも報告してやろう。それから、手紙を喜んでいた事も。あとはガクくんから会議の内容を聞いて、その後はなるようになれ。どれだけ考えた所で戦場に出れば全て無意味、己を信じて剣と銃を握るしか無い。
南方の国境戦線は日々激化していると聞く。さて、僕は五体満足で帰れるだろうか。…帰らなきゃなぁ、あの人に言われちゃったし。
「あー、ほんっと…嫌いだな」
あの人が嫌いだ。昔も、今も。こんなにも従いたいと思わせるあの人が、嫌いだ。嫌いだけれど、世話になった人だから。だから、ちょっとしたお願いくらいは聞いてやってもいいだろう。さっさと降伏させて、帰って、あの人が戸棚に隠してる菓子でも食ってやるんだ。