とても小さな集落だった。街、というよりも村に近いだろうか。あるいは寄せ集めか。その集落の人々は全員が顔見知りであったし、子供なんて、集落の全員が世話をしているようなものと言っても差し支えないほど、人々の距離感はとても近く、そして親しげだった。自分以外には、そうだったのだ。この集落で生きにくいのは、ただ一人だけ。自分一人だけだったのだ。
 この集落の者には一人も見られない、とても派手な髪色をしていた。それに添えられる瞳の色も、派手な髪色を際立たせるような煌びやかな色をしていた。それが、余計に人の目をひいてしまったのだろう。父とも母とも似ていない、とても鮮やかな髪だった。
 父は、当然のように愛してはくれなかった。いや、愛してくれてはいたのだろうか。うまくは理解できないが、あれを愛だとは思いたくなかった。
 母は、きっと愛してくれていた。名前すら呼んではくれなかったが。時折こちらを見てくる目には、これもやはりうまくは理解できない、しっとりとした温度がある気がした。
「っ、はあっ! はっ、はあ、うっ、げっほ」
 あの日は、山の中を走っていた。薄暗くなり始めた山の中、晒した手足を草木に叩かれながらも走ったのだ。手足が動かせる限り、どうにか、早く集落へ知らせなければと。ただがむしゃらで、危機の報せを持っていたのだ。広い街で出没し始めていると噂の、どこで湧いたかもわからない、イペリットという黒く巨大な生き物。人を襲うというそれらが、この集落の近くまでも迫ってきているその情報。それだけを持って、あの日は走っていたのだ。
 あの時は、まだ子供だった。だから、合理もなにも考えず、ただ真っ直ぐに走っていたのだとおもう。自分を愛してくれない集落で、家で。この危機を伝えて皆で逃げることができれば、これからも同じ生活が続いていくのだと思っていた。本当に、そう思っていたのだ。
「かあさん!」
 力強く家のドアを開けて、呼んだ。この時間には夕食を作り始めているはずだ。だからと、予告もノックもなしに家のドアを開けたのだ。
 玄関にあった大きな靴には気付いたが、目はそれを滑って部屋の奥を見た。
 自分と同じ色の髪の人間を、初めて見た。本当に存在していたのかと、そんなことを、まるで現状を理解できていない状態で思ったのをよく覚えている。その髪色では確かに、この集落の中にいれば、悪目立ちしてしまうのも無理はない。
 派手な髪の男は、呆然とした視線をどう捉えたのか。母の上から体をどけると、ゆっくりと笑みを浮かべた。まるで鏡の中で見る姿の未来の姿だ。それでようやく、父は父ではなかったのだと。母は長く不貞を働いていたのだと。
 ぐんっと体を後ろに引っ張られ、どさりと尻から落ちた。揺れる視界の中、男の困惑した声と母の悲鳴がする。昨夜ぶりに見る父の大きな背中が、二人を覆い隠さんばかりに大きく見える。手に持っている仕事道具の鍬が違うことに使われているのを始めてみた。誰にも似ていない父の顔がぎらりとこちらを見る顔はいつも通りだったのに。
 あの派手な髪の男と似た自分も、同じようにされると思った。しかし、手からカランと鍬を落とした父は、優しく名前を呼んでくれた。ただ一人しか呼んでくれないその名前を、いつものように優しく。派手な髪の男が母にしていたように、小さなこの体の上に覆いかぶさって。あの派手な髪の男と同じ顔をしている自分を。
 手からカランと鍬を落とした。既に乾いていた血の上、新たに血が重なって床にぴちゃりと散る。動かない三人がいる部屋の中。熱気が籠った部屋で、一人分の荒い息だけが籠って空気が淀む。
 すべてが映画のスクリーンの中での出来事のようだった。既に遠い昔に体験したことのように思えた。すべては少し荒い画質、荒い音質で映し出されただけの映像で、自分が物語に手を加えることなどできはしない。そんな、淡々と流れ終わった映画のエンドロールから目も話さず、起こったことをただ思い返しては理解しようと胃の腑に落としていく。そんな時間を、ぼんやりと過ごす。
 ボタンの取れた服。シャツの前を留めることもできず無音で床に広がる血を眺めている時間は、やはり他人事だった。その時は、既に耳から入る音に注意を払っていなかったのだろう。なんの音も耳には入ってきていなかった。
 だから、玄関のドアが開けられて外の光が入ってきた時。ようやく、時間がまともに流れ始めたように感じた。
 自分よりも目立つ髪の色をした人を初めて見た。陽の光のせいとも違う。夕方の少し強い日差しは、彼の桃色の髪を強く照らす。
 自らの栗色の巻き毛の、なんと平凡なことか。頬に血をつけたままこちらを見る桃色の髪の男は、まるで映画の主人公だ。驚いた顔はしたものの、部屋の中を見渡してすぐにこちらへ駆け寄った。血まみれ、汚れまみれの体や服を気にすることもなく、強く抱き締める体は、父よりも大きかった。
「君だけでも生きていてよかった……この集落は、全滅だ」
 その時、ようやく。この集落に迫っていた危機のことを思い出した。そして、自分がなにもできなかったことを思い出した。
 集落には、その後帰ることはなくなった。イペリット達に踏み荒らされた集落は今では瓦礫と墓場の山。その後の集落を見た人々からは、「よく生き残ったものだ」と口々に言われるほどに今は荒れた土地と化している。まるで川のように、アリの行列のように。局所的にイペリットが流れ込んできたあの集落は、今ではどんな生活があったのか、どんな人々が住んでいたか。少しの手がかりすら拾えないほど、無惨なものとなっているらしい。
 あの日救ってくれた青年は、今はどこでどう生きているのだろう。目を惹くあの髪は、人々に疎まれることはなかったのだろうか。
 想像したが、些細なことだ。
 栗色の髪に軍帽を被せ、青年は立ち上がった。
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少年・デ殿のお話
初公開日: 2023年08月24日
最終更新日: 2023年08月24日
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